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第324回:エディター、小林さん、彰ちゃん 
― 「最後の部下」による小林彰太郎氏の思い出 (後編)

2013.11.29 マッキナ あらモーダ!

小林彰太郎劇場

前回は、ボクが当時の『カーグラフィック』出版元である二玄社に入社し、「小林さん」もしくは「彰ちゃん」こと小林彰太郎氏のもとで働き始めた話をつづった。自動車の交代運転手役で緊張を強いられたことも記したが、やがてしばらくすると、小林さんとの会話が少しずつ増えてきた。それとともに、小林さんのいろいろなことが判明してきた。以下は今でもまぶたに残る3つのエピソードである。

その1.「小林彰太郎劇場」がある
取材で長旅をしていると、車内では定番の昔話というのがあった。
例えば、若い頃所有していた「トラクシオン・アヴァン」に乗って、ある日知り合いの披露宴に行こうとしたときのエピソードだ。
赤坂見附からお堀に続く坂道で、タイヤがいきなり外れてしまうトラブルに見舞われたときのことである。

「正装した人間が乗ったクルマのタイヤが取れて、へたり込んでいるのは、まさに漫画だったんだろうな。僕を見て近くのタクシー運転手たちが笑うこと笑うこと」

という小林さんから発せられるフレーズは、何度聞いても名作劇場のように、一字一句違わないのだ。
そうした物語が何本もあって、出張に向かう車内で、再放送のごとく繰り返された。そのたび、部下であるボクは初耳のように「へえーっ」「いや、面白い」とリアクションをしたものである。

その2.小林さんにも怖いものがある
それは会社の近くにあった歯科医院だった。といっても、治療を怖がっていたわけではない。小林さんいわく、ある日診察予約を忘れたところ、その歯医者さんから「こちらも計画をたてて診察しているのですから、ちゃんと来てください」とひどく怒られたという。前述の小林彰太郎劇場に準ずるくらい、たびたび聞かされた。

その3.犬好きである
取材先のオーナー宅でのことだ。犬が苦手なボクがビビっていると、小林さんはそのたび、初対面の犬でもなでて落ち着かせてくれた。そうするときの小林さんの歓喜に満ちた笑顔は、なんとも印象的だった。


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©S-Kobayashi Photo Archives
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「小林さん、カッコいい!」

小林さんは、音楽にも造詣が深い人だった。だから、小林さんが長期テストを担当していた「アルファ164」のトランクに装着されていたCDチェンジャーに、ボクは自分のお薦めCDを装填(そうてん)していくこともあった。
ジョージ・ガーシュウィンのCDを載せていったとき、「彼の伝記映画の中で、父親が息子の演奏会にストップウオッチを持って来るんだ。演奏時間が長い曲ほど、名曲だと信じたんだよ」といった具合に、クルマの中で曲にまつわる話に花が咲いた。

音楽の話題はジャンルに境界はなかった。かつての飛行場の街・東京都立川市に伝わる「立川小唄」の一節「シャンがすましてフォッカーに乗った」をボクが披露したときだ。小林さんは「その“シャン”て、何のことか知ってるか?」とボクに言った。
ボクが正直に「知りません」というと、小林さんは「それはな、ドイツ語のschone(美しい)、つまり美人のことだ」と、得意げに教えてくれたものだ。

しかし、当時ルックスの良さで売っていた、美人女性ヴァイオリニストのCDをかけたときは違った。小林さんは、即座に聴くに及ばぬといった態度を示し、「これはお嬢さま芸だな」と切って捨てた。ボクは慌ててCDを切り替えた。
それでも今になってみると、音大生上がりのボクが退屈しないよう、話題を合わせてくれていたのだと思うと、頭が下がる。

話題を合わせる小林さんといえば、火炎派(フランボワイヤン)といわれる流麗なボディー形状の戦前型フランス製カブリオレを取材に行ったときを思い出す。フォトグラファーによる撮影中、小林さんは、「こういうクルマって、フランスのおやじが、木陰の下にクルマを止めて、シートで若い娘を抱きかかえているシーンがぴったりだな」と解説した。当時ボクは20代である。女性への興味が旺盛な時期だった。そのあたりも小林さんは十分察して、話題を合わせてくれたのかと思うと頭が下がる。

女性といえば、こんな思い出もある。あるフォトグラファーの結婚披露宴に招かれたときのことだ。パーティーは会員制だった。参加者の中で最年少かつ独身だったボクは、カップルでないと格好がつくまいと考え、後輩の女子音大生を連れてゆくことにした。
ところが会場に入ってみると、新郎の仕事上、雑誌関係者ばかりだった。ボクが連れていった後輩は、かなり居心地が悪く退屈していた。
彼女の気持ちをボクより先に察したのだろう、小林さんは彼女を立食パーティー会場の壁際にあったソファ席に呼び、音楽のことをいろいろと彼女に聞き始めた。
ちなみにその日パーティーのあと、後輩があまりに「小林さんカッコいい!」を繰り返すものだから、嫉妬したボクは後輩と険悪なムードになったのを覚えている。きっと、あの世でも小林さんは、女子にモテているに違いない。

「アルファ164」
「アルファ164」
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©S-Kobayashi Photo Archives
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小林さんの言葉

ボクが入社して3年目の1991年のことだ。小林さんのお供でドイツおよびフランス東部に出張することになった。12年ぶりにモデルチェンジが行われた新型「メルセデス・ベンツSクラス」(W140)の、それもV12気筒搭載の最高級モデルにアウトバーン&オートルートで試乗するという企画だった。

出発前、「小林さんは疲れると人がいる席でも寝ちゃうから、そしたら大矢君が足を蹴飛ばすんだぞ」と、冗談とも本当ともとれぬ指示を先輩社員から受けた。
ボクは、他にアポイントメントがあって先発していた小林さんとパリから来た長年のカーグラフィック特派員ジャン・ポール・キャロンさんと、シュトゥットガルトの宿で合流した。翌日、当時のダイムラー・ベンツの本社でクルマを借りた一行は、フランスのミュールーズへと向かった。
小林さんは、キャロン氏がいたからだろう、ナビゲーター役を引き受けながらたびたび道を間違えるボクを、決して叱るようなことはなかったが、さぞ困っていたに違いない。

それはともかく国境をまたいだあとの、あの宿でのことだ。ボクがロビーにあったピアノでショパンのワルツを弾いた。すると、隣の宴会場で行われていた結婚披露宴の一団に引っぱり込まれたうえ、ダンスに巻き込まれてしまった。
翌日その話を小林さんにしたのが、まずかった。なぜなら、小林さんは当時日本で流行していたセクシーダンス「ランバダ」と勝手に結びつけ、「大矢は、フランスのおばあさんたちと、ランバダを踊った」と社内で長年にわたり吹聴したのである。

そして最後の晩のことである。アルザスの田舎にある小さなホテルに飛び込みで泊まることになった。エレベーターもなく、細いらせん階段をつたい、皆で上階までスーツケースを運び上げた。
学生時代からヨーロッパというと、都会巡りが主だったボクにとって、「こんなにのどかでひなびたところがあるのか」と衝撃的だった。
するとボクの気持ちを察したように、小林さんが「こういうヨーロッパの田舎はいいだろう」と言った。ボクは即座に「絶対また来ます!」と興奮して答えたのを覚えている。

夜は1階にある食堂で、3人で夕食をとることになった。食事の合間、間が持たなくなったボクは、キャロンさんを前にナプキンで折り紙の鶴を作ってみせた。するとどうだ。小林さんも、ナプキンをとって何かを折り始めるではないか。できたのは「二艘(そう)舟」だった。小林さんと「ランチア・ラムダ」やブガッティ談義をした人は数多くいるだろうが、折り紙対決をしたのは、幻の「P1スバル」を知る人くらいまれに違いない。

二艘舟を作った直後、小林さんは、本当に舟を漕(こ)ぎだした。あ、これぞ先輩の言っていたやつか。いくらSクラスとはいえ、1日600km近くのドライブは、疲れたのだろう。

本当に小林さんを蹴飛ばしていいのか? 果たしてどのくらいのトルクで? かつて手術をしたという細い足に万一のことがあったら?
ボクが「小林さん、ごめん」と心の中で念じながら蹴飛ばそうとした、その時、向かいにいて小林さんを察したキャロンさんが「では、明日も早いですから」と言った。
ボクは意識が戻った小林さんに、明日のスケジュールを話した。小林さんは、威厳を保とうとしたのだろう。ボクに「今言ったことをキャロンさんに英語で言ってみなさい」とおっしゃった。またキター! である。

翌朝、シュトゥットガルト空港でのことだ。キャロンさんがパリ行きの飛行機に乗ってから、ボクは小林さんとチェックインカウンターに向かった。小林さんは、ルフトハンザのカウンターでボクを指して「私は、こいつが嫌いなので、席を離してください」と言う。
言葉どおりだったのかもしれないが、今となっては、これも長時間のフライト中、若造のボクに緊張を強いることのないように、という小林さんの配慮だったと考えよう。

フライトを待つ間、小林さんはボクに言った。
「キミは、旅が好きなようだね」。
ボクは二玄社に入社してからも有給休暇をフルに使っては、個人で世界各国を旅していた。そのためだろう、たびたび一部の役員や先輩から「大矢君はバカンスをとるのがうまい」と嫌みを言われる始末だった。だから、小林さんの口からそう言われたときも身構えた。

しかし、小林さんの言葉には続きがあった。
「日本ではたとえ有名でも、一歩国を出ると一人で動けないジャーナリストがほとんどだ。キミはそうでない、一人で歩き回れる人になってください」
――実際のボクは、そのときの小林さんの言葉を心に刻みつけた、などという優秀でカッコいい人間ではない。それでも今、イタリアに住んで日々悪戦苦闘しながらも物書きを続けていることが、最後の部下から小林さんへの唯一の恩返しであると信じているのである。

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=fiat、ラムダインク)

©S-Kobayashi Photo Archives
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大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。

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