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第72回:マツダ626に住むホームレスの生きがいとは?
『ダブリンの時計職人』

2014.03.27 読んでますカー、観てますカー 鈴木 真人
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経済危機下で製作された映画

《ダブリン海岸駐車場マツダ626》――これが映画の主人公フレッド・デイリー(コルム・ミーニイ)の住所だ。要するに、ホームレスである。ロンドンにいた彼は失業してアイルランドのダブリンに帰ってきたが、すでにかつての家は失われている。仕方なく海岸べりにある吹きっさらしの駐車場に愛車を停め、その中で暮らしているのだ。

『ダブリンの時計職人』というタイトルだと、ダブリンの路地裏で小さな時計店を営む頑固な老職人の物語だと思われてしまいそうだ。しかし、この作品は周囲の人々との温かい心の交流を描く人情話ではない。ずっとハードな現実を描いている。原題は『Parked』で、一昨年イベントで上映された時は『ダブリン海岸駐車場』として紹介されていた。この素っ気ないタイトルのほうが、作品の内容を正確に表現している。

監督はドキュメンタリー畑のダラ・バーンで、アイルランドでバブルが崩壊した後、急激に増加したホームレスをテーマに撮影していた。その過程で多くのホームレスに話を聞き、フィクションとして映画を撮る構想を固めていったという。これは2010年の作品で、ちょうどその年アイルランド政府は国際通貨基金(IMF)に金融支援を要請している。切迫した経済危機のまっただ中で、生々しい現実に触れながらこの映画は製作されたのだ。

「チンクエチェント」に住む隣人

フレッドはロンドンで働いていた時に失業保険に加入していたので、職を失った現在は給付金を受けとる権利があるはずだ。しかし、何度申請しても却下されてしまう。理由は、定まった住居がないこと。失業したから家もなくなったわけで、給付を受けなければ住むところを確保することができない。理不尽な仕組みだが、日本でも生活保護の門前払いが問題になっているわけで、役所の対応は洋の東西を問わないようだ。

ホームレスではあるが、フレッドは規律正しい生活を守っている。朝起きたらカーステレオで音楽を聴きながらヒゲをそり、トランクに積んだウオータータンクの水を沸かしてお茶を飲む。車内で育てている多肉植物の水やりも忘れない。公衆トイレで体を拭いて着替えも済ませ、身だしなみを整える。クルマの中も寝泊まりしやすいように改装し、生活基盤を整えていく。

黄色い「フィアット・チンクエチェント」に乗って現れたのが、青年のカハル(コリン・モーガン)だった。彼は父親と対立して家を追い出され、やはり車上生活者となったのだ。このクルマは現在販売されている「フィアット500」とは別物で、ポーランドで生産されていた安価なエントリーモデルである。1990年代のクルマでもあり、かなり安く手に入れられたはずだ。フレッドの「マツダ626」は日本では「マツダ・カペラ」として売られていたモデルの最終版で、これも2002年に生産を終了している。ホームレスのクルマとしては、なかなかリアリティーのあるセレクトだ。

公開中の映画『あなたを抱きしめる日まで』もアイルランドが舞台で、名女優ジュディ・デンチが演じる主人公のフィロミナがクルマの好き嫌いを表明するシーンがあった。「ヴォクスホール」で旅をする予定になっていて不満を漏らしていたところ、実際にやってきたのが「BMW 5シリーズ」だったのを見てあからさまに喜んだのだ。626とチンクエチェントは、たぶんヴォクスホール以下の存在とみなされているのだろう。

「マツダ・カペラ」
1970年に「ファミリア」の上位車種として発売されたのが「カペラ」である。当時はレシプロエンジンとロータリーエンジンの両方が用意されていた。欧米に輸出され、2代目からは海外での名前が「626」に統一された。1997年に登場した7代目が最終モデルで、2002年に「アテンザ(国外ではマツダ6)」に受け継がれた。
「マツダ・カペラ」
    1970年に「ファミリア」の上位車種として発売されたのが「カペラ」である。当時はレシプロエンジンとロータリーエンジンの両方が用意されていた。欧米に輸出され、2代目からは海外での名前が「626」に統一された。1997年に登場した7代目が最終モデルで、2002年に「アテンザ(国外ではマツダ6)」に受け継がれた。 拡大
「フィアット・チンクエチェント」
「500」ではなく、「Cinquecento」が車名である。1991年から1998年にかけてポーランド工場で生産されたエントリークラスの小型車で、パンダの下位モデルという位置づけだった。アバルトがこのクルマをベースにラリー向けに仕立てた「チンクエチェント・トロフェオ」が限定販売されたこともある。
「フィアット・チンクエチェント」
    「500」ではなく、「Cinquecento」が車名である。1991年から1998年にかけてポーランド工場で生産されたエントリークラスの小型車で、パンダの下位モデルという位置づけだった。アバルトがこのクルマをベースにラリー向けに仕立てた「チンクエチェント・トロフェオ」が限定販売されたこともある。 拡大

FFセダンでもコーナリングは楽しい

カハルからスポーツセンターに行けば体を洗えると教えられ、フレッドはプールで泳ぐことにする。会費は一週間に5ユーロだから、52ユーロしか持っていない彼にとっては大きな出費だ。プールで水中エクササイズを習っていたジュールス(ミルカ・アフロス)と出会い、フレッドは以後もスポーツセンターに通い詰めるようになる。彼女は結婚を機にダブリンにやってきたフィンランド人で、夫を亡くした今はピアノ教師をしながら一人暮らしをしている。

単調なホームレス生活だが、フレッドには生きがいが見つかった。彼も水中エクササイズの生徒になり、ジュールスと言葉をかわす機会が増えてくる。
一方、カハルが抱えている問題は深刻さを増していた。彼はダメだとわかりながらも、ドラッグをやめることができない。わずか600ユーロの支払いができないことで、売人から脅されている。フレッドもお金はないから、彼ができるのはカハルが大事にしている古い時計を修理してやることぐらいだ。

ふたりは連れ立ってマツダ626に乗り、ドライブに出掛ける。制限速度を厳密に守って安全運転をするフレッドに、カハルはクルマをコントロールする楽しさを教えた。林の中の道で、コーナリングのテクニックを練習させたのだ。ごく普通のFFセダンで、パワーもたいしたことはない。ハンドブレーキを使ってクルマを横向きにして喜ぶ程度だが、思い通りに操る感覚を知れば、自分自身を前に進める意欲が生み出されていく。

Parkedという言葉が示すのは、クルマだけでなく登場人物たちの状況だ。行き先は見えず、どうやって動いたらいいのかもわからなくなっている。八方ふさがりの状態は、誰かが打開してくれるわけではない。アイルランドは、今もなお経済の崩壊から立ち直ることができていないのが現実だ。それでも、修理した古い時計は、再び時を刻み始めた。

(文=鈴木真人)


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『ダブリンの時計職人』
2014年3月29日(土)より新宿K's Cinema 、渋谷アップリンク他全国順次公開。
『ダブリンの時計職人』
    2014年3月29日(土)より新宿K's Cinema 、渋谷アップリンク他全国順次公開。 拡大
鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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