第85回:孤独な公妃の心の支えとなったクルマとは?
『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』
2014.10.17
読んでますカー、観てますカー
女優から公妃への華麗なる転身
「メルセデス・ベンツ190SL」が坂道を上っていく。運転席の美しい女性は、グレース・ケリーだ。カメラが引いていくと、クルマのまわりには照明器具や撮影機材があり、スタッフたちに取り巻かれていることがわかる。これは、彼女の最後の作品の撮影シーンだったのだ。虚構の世界で他人の人生を演じる日々は終わり、女優を引退した彼女はリアルな生活へと戻っていくはずだった。しかし、モナコ公妃という立場は、映画以上に演技を必要とする過酷なステージだった。
この映画は、グレース・ケリーがモナコ公妃として華やかな生活を送っていた数年間を描いている。『ダイヤルMを廻せ!』や『喝采』などで人気絶頂だったグレースは、モナコのレーニエ公に見初められて1956年に結婚する。日本にも他国の大統領に嫁いだなんとか夫人という人がいるが、ちょっとスケールが違う。ハリウッド女優から公妃への華麗なる転身は、世界中の話題となった。そして、映画では彼女が政治をも動かした顛末(てんまつ)にフォーカスを当てている。
絶世の美女を演じるのは、やはりクールな美しさで知られるニコール・キッドマンである。最近では『ペーパーボーイ 真夏の引力』の汚れ役などで演技の幅を広げていたが、今回は真っ向から美しさで勝負している。カルティエやディオール、エルメスなどの協力で当時を再現した衣装が作られ、60年代のファッションを忠実によみがえらせた。凝り性のオリヴィエ・ダアン監督は美を追究することにのめり込み、ニコールの鼻の穴の形が左右で異なることがわかるほどの極端なクローズアップを多用している。
ド・ゴールに脅されたモナコ
タイトルに“公妃の切り札”とあるように、グレース公妃がモナコ公国最後の望みとして勝負をかける物語である。わずか50年ほど前の話だが、当時の国際関係にはずいぶん野蛮な手法が横行していたらしい。ド・ゴールのフランスはモナコに対して厳しい要求を突きつけ、従わなければフランスに併合すると通告した。モナコは企業への徴税を行わないタックスヘイブン(租税回避地)で、フランスの企業がモナコに移転して税金を免れる事例が多かった。アルジェリア戦争で金欠になっていたフランスは、企業に徴税して支払うようにモナコに命じたのだ。
大国フランスににらまれては、小さなモナコはひとたまりもない。面積は約2平方キロで、浦安市にある夢の国の4倍程度だ。軍隊なんてものは存在しないので、戦車を送られれば降伏するしかない。建国の歴史は13世紀までたどれるが、侵略されては独立を回復する繰り返しだった。第2次世界大戦中も、イタリアに占領されたり、ドイツに踏み込まれたりしている。1962年になっても、安定した国家運営は難しかった。周囲のパワーバランスをうまくコントロールして生き残るしかなかったのだ。
国が危急存亡の瀬戸際にある中、ヒッチコックがグレースに映画への出演を打診してくる。よそ者扱いで王室の中に居場所のない彼女は、久しぶりのハリウッドで憂さを晴らそうと出演に乗り気になる。しかし、公妃が国をほっぽり出して女優業に復帰したとなれば、モナコの信用にも大きな影響を与えかねない。一度は出演を許したレーニエ公も、グレースに二度と映画に出ないよう命じるほかなかった。
女優として演技力を見せつける場は、ハリウッドに限られるわけではない。グレースは、そのことに気づく。自らの美貌と巧みなせりふまわしは、映画よりも国際関係の舞台で輝くことができる。欧米諸国の有力者を集めた舞踏会には、ド・ゴールもやってくる。晴れの場に登場するため、彼女は華麗なドレスをまとい、妖しい光を放つジュエリーを身につけていく。その姿は、戦いを前に武器を整える戦士のようにさえ見える。
F1コースをポルシェで飛ばす
ド・ゴールは、戦車ではなくフランスの誇る最新鋭のクルマ「シトロエンDS」で乗り込んでくる。王族や貴族たちは「ロールス・ロイス・シルバークラウド」に乗って続々と姿を現す。舞踏会の会場前は、さながら高級車の見本市のようだ。現在でも、モナコではロールス・ロイスをはじめとする高級車やフェラーリなどのスーパースポーツが普通に街角を走っている。普通のものさしでは測れない異空間がモナコなのだ。
グレースも、運転手付きのロールス・ロイスでどこにでも行ける地位を手に入れていた。しかし、彼女は王宮での生活に退屈すると、ひとりでドライブに出掛けた。映画では、「ポルシェ356」で山道を飛ばすシーンがある。海と山に挟まれたモナコでは、ほんの5、6分走れば気持ちのよいワインディングロードなのだ。モナコGPでF1マシンがバトルを繰り広げるあの道を走れるのだから、うらやましい環境である。
レーニエ公はカーマニアとして知られるが、グレースもクルマ好きとして知られている。彼女の愛車の中には、「ホンダS800」もあった。ロールス・ロイスの後席に収まるより、スポーツカーを自ら操ることを好んでいた。似た境遇の女性では、ダイアナ妃もクルマが好きだったらしい。昨年公開された映画『ダイアナ』では、彼女が「アウディ・カブリオレ」に乗って王宮を抜け出し、恋人に会いにいく場面があった。
ふたりには、クルマに関してもうひとつの共通点がある。ともに自動車事故で亡くなったことだ。ダイアナ妃は、恋人のドディ・アルファイドと「メルセデス・ベンツS280」に乗っていたところをパパラッチに追い回され、トンネルの壁に激突した。グレースは、「ローバー3500」を運転中にヘアピンカーブでガードレールにぶつかり、40メートルの崖から転落した。女優として生きたグレースは、人生そのものが映画のようにドラマチックだった。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
-
第288回:自称詩人は中古車で自由を表現する?
『自然は君に何を語るのか』 2026.3.20 「月刊ホン・サンス」第5弾は『自然は君に何を語るのか』。恋人の両親に初めて会う自称詩人は、気まずい空気の中で次第に感情を抑制できなくなっていく。「キア・プライド」が小道具としていい味! -
第287回:宝石を盗んで西海岸のハイウェイを駆け抜けろ!
『クライム101』 2026.2.12 ハイウェイ101で発生する宝石盗難事件はいつも迷宮入り。「ダッジ・チャレンジャー」で素早く逃走する犯人の犯罪心得は、殺さず、傷つけず、証拠を残さないこと。泥棒、刑事、保険ブローカーが華麗なる頭脳戦を繰り広げる! -
第286回:才人監督が描くディストピアのデスゲーム
『ランニング・マン』 2026.1.29 「アルピーヌA290」で追っ手のハンターから逃げ延びろ! スティーブン・キングが50年前に予見した未来は、まさに現在の状況そのもの。分断とフェイクが支配する現実を鋭くえぐった最新型デスゲーム映画。 -
第285回:愛のためにフルヴィアクーペで突っ走れ!
『トリツカレ男』 2025.11.6 夢中になるとわれを忘れるトリツカレ男がロシアからやってきた少女にトリツカレた。アーティスティックな色彩で描かれるピュアなラブストーリーは、「ランチア・フルヴィアクーペ」が激走するクライマックスへ! -
第284回:殺人事件? トレーラーが荒野を走って犯人を追う
『ロードゲーム』 2025.10.30 あの名作のパクリ? いやいや、これはオーストラリアのヒッチコック好き監督が『裏窓』の設定をロードムービーに置き換えたオマージュ作品。トレーラーの運転手が卑劣な殺人者を追って突っ走る!
-
NEW
第57回:スズキはなぜインドに賭ける? 変わらず牛が闊歩するインドの最新工場を小沢コージが直撃
2026.4.18小沢コージの勢いまかせ!! リターンズ小沢コージがインドへ。日本の自動車ファンにとってインドといえばスズキのイメージだが、実はスズキは現在、インドへの大型投資の真っ最中だ。なぜスズキはインドでこれほどまでに愛されるのか。最新工場を見学して考えた。 -
NEW
ボルボXC90ウルトラT8 AWDプラグインハイブリッド(4WD/8AT)【試乗記】
2026.4.18試乗記2016年に上陸した2代目となるボルボのフラッグシップSUV「XC90」の最新アップデートモデルに試乗。パワフルなプラグインハイブリッドシステムを採用する3列シートSUVの走りを、先にステアリングを握った「V60」や「XC60」との比較を交えながら報告する。 -
谷口信輝の新車試乗――ディフェンダー・オクタ編
2026.4.17webCG Moviesブーム真っ盛りのSUVのなかで、頂点に位置するモデルのひとつであろう「ディフェンダー・オクタ」。そのステアリングを握ったレーシングドライバー谷口信輝の評価は……? 動画でリポートします。 -
第866回:買った後にもクルマが進化! 「スバル・レヴォーグ」に用意された2つのアップグレードサービスを試す
2026.4.17エディターから一言スバルのアップグレードサービスで「レヴォーグ」の走りが変わる? 足まわりを強化する「ダイナミックモーションパッケージ」と、静粛性を高める「コンフォートクワイエットパッケージ」の効能を、試乗を通して確かめた。 -
ハーレーダビッドソン・パン アメリカ1250リミテッド(6MT)【レビュー】
2026.4.17試乗記アメリカの大地が鍛えたアドベンチャーモデル「ハーレーダビッドソン・パン アメリカ1250」に、充実装備の上級モデル「リミテッド」が登場! 試乗して感じられた、日欧のライバルに勝るとも劣らない魅力と、どうしても気になるポイントを報告する。 -
毎日でもフェラーリに乗りたい! 「アマルフィ スパイダー」にみる新時代の“跳ね馬”オーナー像
2026.4.17デイリーコラム車庫にしまっておくなんてナンセンス! 新型車「アマルフィ スパイダー」にみる、新時代のフェラーリオーナーの要望とは? 過去のオーナーとは違う、新しい顧客層のセンスと、彼らの期待に応えるための取り組みを、フェラーリ本社&日本法人のキーマンが語る。