第382回:「大脱走」したくなる国境検問所
2015.01.23 マッキナ あらモーダ!スイスは「黄金郷」だった
2015年1月15日、スイス国立銀行は通貨スイスフランの上昇を抑えるために設定していた1ユーロ=1.2スイスフラン(以下、フラン)の上限を突如撤廃した。為替相場は大荒れし、フランが対ユーロで一時30%も急騰したのは、日本でも報道されたとおりである。
ボクが住むイタリアにとって、スイスは地続きの隣国だ。今週は、スイスにまつわるよもやま話をしたい。
第2次大戦後、多くのイタリア人は、仕事を求めてスイスに渡った。貧しいイタリアとは対照的に「アルプスの向こうはエルドラード(黄金郷)だった」と当時の人々はよく振り返る。参考までに、ジュネーブモーターショーに40年以上にわたって連続出展しているカロッツェリア「スバッロ」を率いるフランコ・スバッロ氏も1957年、18歳のときに南部プーリアからスイスに移り住んだ人物だ。
近年、たとえフラン上昇抑制策が続いていても、スイスは働く場として魅力的な国であり続けた。知人のイタリア人・ダヴィデは、毎日国境を越えてスイス企業に通っている。「フランはレートが高いし、経営は安定している。いいことずくめだよ」とボクに語る。
フラン高で泣く業界
一方でフラン高は、スイスの観光・サービス業界には手痛い仕打ちだった。スイスでホテルを経営する知人によると、近年スキー客は隣国のオーストリアや、もしくはポーランドに行ってしまうらしい。イタリアから来てユーロ換算したお客さんには、「『なぜ数年前と比べて、こんなに料金を高くしたんだ!』って詰め寄られたよ」と言う。そして「それは為替のためで、俺のせいじゃない! と泣きたかったね」とこぼす。
そうしたなか彼は、客室を観光向きからビジネス向きにすべく改装計画を練っていたものの、今回のフランショックでお客はさらに減りそうである。
ガソリンスタンドもしかりだ。かつては、イタリアより安い燃料を求めてスイス側の給油所は繁盛していた。しかし、イタリアのロンバルディア州は地元スタンドを保護すべく、国境付近の住民を対象に燃料の割引制度を導入した。最初は割引券を配っていたが、近年は健康保険と統一のIDカードを提示、またはセルフ機に差し込めばディスカウントが適用されるようになっている。
加えてディーゼル車の場合、スイスは環境保護の観点から軽油をガソリンより高価に設定しているため、国境をまたいで行くメリットがない。ボクも20年ほど前は、国境近くまで行ったときはスイス側に行って満タンにしたものだが、ディーゼル車にしてからそうした越境給油をやめてしまった。
そこにきて、今回の金融ショックである。最新ニュースによると、イタリア国境近くのスイス側土産物店やガソリンスタンドでは、売り上げが激減しているどころか、周辺は閑古鳥が鳴いているという。
国境に門限があった
イタリア-スイスといえば、思い出すのは2年前のことだ。
有名な自動車コンクール「コンコルソ・ヴィラ・デステ」を取材しようと、コモ周辺の宿をネット検索すると、あいにくどこも満室か、ひどく高額だった。そこでボクは一計を案じ、国境の向こうのスイス側の街・キアッソに宿をとることにした。
ところが、アウトストラーダに直結した国境検問所は、週末スイスからイタリアに遊びに行くクルマで、ひどく混雑することが判明した。
スイスはEU加盟国ではないが、国境審査の簡略化を定めたシェンゲン協定に数年前加盟したこともあり、大抵のクルマは国境管理官に制止させられることはない。だが、自然と車速を落とすようクランク路になっているうえ、フランスなど従来のシェンゲン加盟国よりも抜き打ち荷室検査の頻度が高いので、渋滞が起きやすいのだ。
「何か良いい手はないか?」と地図を見ていたら、アウトストラーダとは別に、町外れに小さな国境があることを発見した。行ってみると、渋滞などみじんもなく、すいすいイタリア側に入れた。
その日の深夜のことである。今度は自国に戻るスイス人たちのクルマに巻き込まれるのは嫌なので、再び朝と同じ小さな国境に向かった。しかし、前後にクルマの影がない。検問所までたどり着いてわかった。なんと、閉鎖されていたのだ。
イタリアに住んで以来、数え切れないほど各国の国境を陸路通過したが、夜間は通行できない、いわば門限付きの国境があったとは、われながらうかつだった。鉄のバリケードのすぐ向こうには、街灯に照らされたスイスが見えるというのに。
そのときのボクの頭に浮かんだものといえば、少年時代、テレビの映画劇場で見た1963年のアメリカ映画『大脱走』だ。スティーブ・マックイーン演じるアメリカ兵捕虜が、ドイツの捕虜収容所から逃走中にバイクを奪い、スイスとの国境線を突破しようとドイツ軍とスタントを展開する。名シーンである。
もちろん、そんな突破行為ができるはずがないボクは、映画評論家の故・淀川長治氏の声色で、閉鎖された国境に「はい、さよなら、さよなら、さよなら」と声をかけ、同じく映画評論家の故・水野晴郎氏の口調で「いやぁ、国境って本当に面倒なものですね」などと昭和ネタを連発しながら、アウトストラーダの検問に戻るべく、引き返したのだった。
(文と写真 =大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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