第400回:ベルトーネの通勤電車
2015.05.29 マッキナ あらモーダ!欧州最速の特急とボロい在来線
ボクは東京に行ったとき、牛丼屋でコの字型のカウンターの向こう側にいるお客さんを眺めているのが好きである。牛丼をかっこんでいるおじさんの職業や学生時代のクラブ、家族構成、奥さんや娘の顔までを、しばし想像して楽しむのだ。
イタリアの鉄道に乗ったときもしかりだ。いまだに対座式のシートが多いので、向かいに座っている人を見て、いろいろ空想している。だからボクは鉄道ファンではないが、クルマでしか行けないところを除き、電車や列車を使う。
イタリアでは2015年6月14日、最高速度400km/h(営業速度は360km/h)を誇る、欧州最速の新型特急「フレッチャロッサ1000」が営業運転を開始する。ちなみに0-300km/h加速は4分だそうだ。ミラノ―ローマ間を2時間20分で結ぶ。
いっぽう、そうした世界に誇る高速列車が存在しながら、在来線のクオリティーはというと、決して高いものではなかった。わが家のあるシエナとフィレンツェを結ぶ気動車も、かなり古い。夏場は2両編成のうち1両のエアコンが故障したりするものだから、その車両はガラガラで、冷房の効いたもう1両は満員だったりする。
ようやく数年前から「ミヌエット」という愛称の新型車両が導入された。アルストム製で、ディーゼルエンジンはイヴェコ製だ。先頭には、イタリアのローカル線では最近になってようやく普及してきた密着連結器も備えている。
ミヌエットはモダンな空調も付いていて、従来車より格段に快適だが、一日の時刻表のうち、どの便に割り当てられているかわからない。だからおんぼろ車両か、ミヌエットが当たるかを考えながらホームで待つのは、まさにババ抜きの心境なのである。
新型車両の名前はjazz
先日、トリノ郊外の駅で鉄道を待っていたときのことだ。見たことのない電車が向かいのホームに滑り込んできた。サイドには「jazz」と記してある。さらに驚いたことに、見慣れたBERTONE(ベルトーネ)のサインも記されている。
数日後、その旅の終わりにフィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅に降り立つと、あのjazzが別のホームに停車しているではないか。県内のピストイア行きだった。発車時刻まで15分ほどあったので、車内を見学することにした。ドア付近は「ミヌエット」などと同様に低床ノンステップで、ホームとの高低差が少ない。さらに補助ステップがせり出すので乗降が楽だ。
イタリアの鉄道に詳しい方ならご存じのように、最近までたとえ通勤用でも、ホームからアクセスするには、車両のドア内側に設けられたステップを登らなければいけない古いモデルが多かった。ノンステップ化は、欧州屈指のスピードで高齢化が進むイタリアでは、必要不可欠な装備だろう。重いスーツケースを伴った観光客にもやさしい。
帰宅してから調べてみると、jazzはイタリアの鉄道会社トレニタリアが、2015年2月に導入したばかりの郊外・通勤型車両だった。製造は前述のミヌエットと同じアルストム社のイタリア工場である。4両と5両の仕様があり、4基のモーターを搭載し、最高速度は160km/hだ。同時に従来型よりも低い消費電力や、95%という高いリサイクル率も誇る。車内と車外の双方に装着されたカメラは防犯目的のほか、乗務員による確実なドア開閉操作を助ける。
ベルトーネが担当したのは、インテリア部分である。参考までに、前述のフレッチャロッサ1000の内装および外装グラフィックも、ベルトーネによるものだ。座席レイアウトは、立ち席を多くとった型と、荷物搭載スペースを確保した都市・空港輸送型の2種がある。いずれの編成も、バリアフリーのトイレが1カ所ある。車内照明はLEDで、200Vのアウトレットも備える。将来的にはWi-Fiサービスも提供するようだ。
なおベルトーネの近況を記せば、2013年、ジウジアーロ・デザイン出身のアルド・チンゴラーニをはじめとする複数の企業家が、BERTONEの商標を創業家から取得。新生「ベルトーネ・デザイン」をミラノで発足し現在に至っている。いっぽう、同様にデザイン会社として活動してきたトリノの旧ベルトーネは、救済してくれる企業が見つからないまま2014年に倒産した。
インテリアのセンスは抜群だけど……
jazzで感心すべきは、インテリアカラーのセンスだ。視覚に障害のある人を意識したと思われるイエローのラインが座席横のグリップや段差、そして頭上の物入れの縁に用いられているのだが、日本の路線バスなどのそれと比べて格段にさりげなく、スマートなのである。
近年、日本でも公共交通機関のインテリアデザインのなかには洗練されたものが現れてきたが、全体的に見るといまひとつだ。
例えば新幹線のインテリアは機能的だが、ボクに言わせれば事務機に囲まれたような、どこかオフィス感覚が伴う。東京都営バスのキャラクター「みんくる」柄シートもしかりだ。彼を考案したクリエイターの苦労はくみたいが、個人的には警視庁の「ピーポくん」と同様、抱きしめたくなるようなキャラクターではないため、お尻の下から見られていると戸惑う。
対してjazzの内装は、なんとクールなことよ。これで毎日通勤できるイタリア人がうらやましい。……とベタ褒めしたいところだが、こちらも心配がないといったら、うそになる。
それは「メンテナンス」だ。イタリアでは、いわゆる動く歩道から切符の自動販売機まで、最初はにぎにぎしく導入されても、その後の点検維持が人員・予算の面で追いつかず、最終的には「故障中」の張り紙が貼られっぱなしになることが多い。わが街を走るしゃれた路線バスもしかりだ。導入当初はエアコンが効いているものの、いつの間にか故障している。最近のバスの窓は多くがはめ殺しだから、さらにタチが悪い。
jazzの解説によると、車両には最新の自己診断システムが搭載されていて、メンテナンス効率が向上しているというが、昨今の経費節減でパーツ交換を怠れば、言わずもがな快適性は低下する。エアコンだけならいいが、故障すれば、ただでさえ正確ではないダイヤは、さらに乱れるだろう。
スタイリッシュなものの、冷房が壊れた暑い車内で文句を言いながら乗るか、苦手なキャラクターがちりばめられたシートを我慢してでも、快適通勤するか。難しい選択である。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、Trenitalia)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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