第430回:よみがえっていた幻の「ピニンファリーナデザイン歯ブラシ」
2015.12.25 マッキナ あらモーダ!ピニンファリーナよ、お前もか
イタリア・トリノのデザイン会社、ピニンファリーナは2015年12月14日、インド企業との間で、株式を売却することで合意したと発表した。
具体的には、ピニンファリーナ家の持ち株会社「ピンカー」が、所有するピニンファリーナ株を、インドの自動車メーカー「マヒンドラ&マヒンドラ」と傘下企業「テック・マヒンドラ」(以下、2社合わせてマヒンドラ)に売却する。ピニンファリーナ家が売却するのは、発行済み株式全体の76.063%にあたる。
マヒンドラは、買い付けによって、残りのピニンファリーナ株の取得も目指す。加えて、ピニンファリーナの増資も行う。
マヒンドラとの交渉は数カ月にわたって続けられてきた。なお、従来ピンカー社が所有するピニンファリーナ株は、経営再建の過程で銀行団の抵当権の対象となっていた。今回の株式売却によって、ピンカーの負債が解消されるかたちだ。
いっぽうで、マヒンドラによる救済が明らかになっても、当日のミラノ証券取引所におけるピニンファリーナ株は、前日比68%の大幅安を記録した。
カロッツェリア界の節目
イタリアのテレビニュースは、「イタリアの“宝石”が、外国資本の手に」といったヘッドラインで大きく伝えた。
それは同じ日のニュースであった「FCAのS.マルキオンネ会長、アルファ・ロメオのF1復帰を示唆」を大きく上回る取り上げ方だった。イタリアでピニンファリーナが、他のカロッツェリアとは比べものにならないくらい一般市民に広く知られていることの証左といえる。
なお、イタリアにおいてマヒンドラは無名ではなかった。インドから輸入された廉価なトラックやSUVが各地で販売されているからである。
発表によれば、ピニンファリーナの独立性は守られるという。ただし1930年から3世代にわたり続いた創業家支配に終止符が打たれたかたちだ。思い起こせば、長年ジュネーブモーターショーでは、カロッツェリア御三家ともいえる「イタルデザイン・ジウジアーロ」「ベルトーネ」「ピニンファリーナ」が、最も良いポジションにブースを構え、来場者を迎えてくれたものだった。
しかしすでにイタルデザイン・ジウジアーロは2010年にフォルクスワーゲングループ傘下に入り、創業者のジョルジェットジウジアーロは2015年に引退した。2013年に発足した新生ベルトーネは、社名を取得した新経営陣によるもので、過去のベルトーネと直接関係はない。
今回のマヒンドラによるピニンファリーナ買収は、かつて世界の自動車界に名をはせたトリノのカロッツェリアにとって、ひとつの節目となることは間違いない。
日用品店で久々の再会
そのような、ある種独特の感慨とともに迎えた、年末のことである。新年を気持ちよく迎えるべく、歯ブラシを買うため、日用品店へと赴いた。
日ごろから「カーアクセサリーは倹約しても、歯磨き用品はケチらぬようにせねば」と肝に銘じているボクである。とりあえず名の通ったメーカーの歯ブラシから物色し始めた。するとどうだ、イタリアのデンタルケア用品ブランド「メンタデント」のコーナーに、「Pininfarina」のロゴ入りパッケージがぶら下がっているではないか。
ピニンファリーナデザインの歯ブラシは、初めてではない。かつて2007年に「スタイルテック」の名前のもと、イタリアで発売されたのが始まりだ。それは、歯ブラシには珍しく円筒ケースに入っていた。念のため言っておくと、「円筒形」といっても1970年代の修学旅行の必携品だったような軟質ビニール製ではない。硬質プラスチック製で、底部はスタンドとして使えるアイデアであった。
さらなるセリングポイントは、「ブラシ内に埋め込まれた金属により、歯垢(しこう)除去率が15%アップする」というものだった。それはともかく、実際使ってみると耐久性が高かった。当時のボクは歯列矯正器具を装着していたので、使う歯ブラシが、片っ端から、すぐ摩耗してしまった。対してピニンファリーナの歯ブラシは、かなりの日数使用しても毛がダメにならなかった。
にもかかわらず、ピニンファリーナ・スタイルテックは、その後一般市場からこつぜんと姿を消した。たとえピニンファリーナの知名度を借りても、3.5ユーロ(当時の換算レートで約500円)という高額な価格設定が災いしたに違いない。
唯一再会したのは、2010年5月にピニンファリーナがトリノ・カンビアーノ本社内に予約制のミュージアムをオープンしたときだ。すでに歴史作品のごとく、ガラスのショーケース内に飾られていた。
次はポルシェデザイン希望
今回そのピニンファリーナ歯ブラシが、カムバックを果たしたわけだ。
名前は「ウルトラリーチ」に変わっていた。例の円筒形パッケージは廃止されてしまい、普通の歯ブラシと同じものが採用されている。だというのに、価格は3.99ユーロに値上がりしていた。円換算で約540円だ。同じメンタデント社の他グレード製品と比べて1ユーロ高い。思わず「誠に遺憾に存じます」と口にしてしまったが、とりあえず買って帰った。
幸いデザインは前身のスタイルテックを基本的に継承している。ちなみに、開発にあたってはピニンファリーナ自慢の風洞で度重なる空力実験も行われた……というのはボクの作り話だ。
パッケージ裏には「コンパクトなヘッド部分と超薄型ネックのおかげで奥歯まで届きやすい」旨が記されている。いっぽう、例の金属は「歯ブラシで初めて、歯科医療器具からヒントを得ました」というふうに、トーンが抑えられている。それでも「金属入り」というだけでありがたがってしまうのは、クロムテープやメタルテープにシビレた世代の悲しい性(さが)だ。
なお、表記はイタリア語のほかドイツ語も。アルプスの向こうのイタリアファンの存在を感じさせる。
本稿を書くため新年を待たずして使ってみることにした。セリングポイントであるネック以上に、前身のスタイルテックを思い出したのは、磨く力を入れやすい適度なそのウェイト感だ。先端とグリップの前後重量配分も絶妙である。
なお、こうした自動車以外のプロダクトデザインは、1986年以来「ピニンファリーナ・エクストラ」という部門が手がけてきた。マヒンドラによる買収後も、ぜひこの30年の歴史をもつセクションを従来どおり育てていってほしいものである。
ところで自動車にゆかりのあるプロダクトデザインといって思い出すのは、ポルシェデザインだ。オフィシャルショップのレジ横で売られているリーディンググラスはスタイリッシュかつ手が届く価格だが、もうしばらく老眼鏡は必要なさそうだ。といって、他のアイテムは「試しに買ってみるか」といったプライスではない。
ちょっと早い初夢として描いてみたのが、本ページのイラストである。名付けて「ポルシェデザイン歯ブラシ P-6480(虫歯ゼロ)」。高級素材を使用したグリップと、着脱可能な交換ヘッドをもつ。開発陣には、ぜひ検討していただきたいものである。
ということで、読者諸兄姉には、新しい年もよろしくおつきあいのほど。
(文と写真・イラスト=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。