第121回:人類が二分された世界でホンダS800が希望を担う
『太陽』
2016.04.22
読んでますカー、観てますカー
神木隆之介の夢がかなった映画
2012年の『桐島、部活やめるってよ』で、神木隆之介は散々な目にあっていた。スクールカーストの最下層にいた彼は、クラスでの存在感はほぼゼロ。映画部の活動が唯一の楽しみだが、顧問教師はダサい青春映画を撮らせようとする。こっそりゾンビ映画の『生徒会・オブ・ザ・デッド』の撮影を始めると、脳が筋肉でできたスポーツ部員たちに妨害された。
さぞ無念だったろう。しかし、彼の思いはようやく実現した。『太陽』はヴァンパイア映画である。ゾンビではないが、ジャンルとしては近い。『桐島』で果たせなかった夢を実現することができたのだ。ただし、今回もひどい目にあう。
舞台となるのは近未来の日本。バイオテロによって世界に広がったウイルスにより、人類は壊滅状態になる。生き残ったのは環境に対応して進化を遂げた新人類のノクスだった。高い知能を持つが、ヴァンパイア化した彼らは太陽の下では生きられない。旧人類のキュリオもわずかに残っていて、ノクスの生活する領域からは隔離され、山間部で貧しい暮らしを送っている。神木隆之介の演じる奥寺鉄彦はもちろんキュリオ。ボロに身を包み、いつかノクスになりたいと願っている。
キュリオは転換手術でノクスになることができるのだ。対象となるのは成人前の若者に限られ、申請して選ばれたものだけが進化した身体を手に入れる。
自動車産業を維持できない世界
鉄彦の幼なじみの結(門脇 麦)は、ノクスになりたいとは思っていない。彼女の母親(森口瑤子)は若いころに手術を受け、自分と父親(古舘寛治)を捨てて向こうの世界に行ってしまった。結は母の顔も覚えていない。鉄彦の叔父がノクスを惨殺する事件が起きてから10年間、完全に交流が途絶えていた。懲罰のために経済封鎖が行われていたのである。
交流を再開させることになり、ノクスの官僚たちが乗り込んでくる。2つの地区は湖で隔てられていて、移動するには橋を渡らなければならない。文明的な都会から、彼らはクルマに乗って現れた。「トヨタ・アリスト」や「日産エルグランド」が車列を作る。どれも2000年代初頭のモデルだ。はっきりとした年代は示されないが、どうやらその頃にウイルス感染が起きたらしい。ノクス地区では高度な文明が保たれているが、さすがに自動車産業は存続できなかったようだ。
膨大な数の部品で作られる自動車は、人口の激減した世界では生産体制を維持することが難しいだろう。サプライチェーンを再構築するには、規模を含めて高いハードルがある。優れて20世紀的、資本主義的な産業なのだ。ノクスの世界では、古いクルマを直してだましだまし使っている。2000年代初頭のクルマは、最も新しい部類になるのだろう。
結の母がキュリオ地区を訪ねた時に乗っていたのは、「フォルクスワーゲン・ビートル カブリオレ」だった。キーンという高周波音が聞こえたので、EVにコンバートしてあるのかもしれない。それはともかく、ノクスのくせになぜこのクルマを選んだのか。オープンカーは風と光を楽しむためのもので、ヴァンパイア向きとはいえないクルマだ。
2008年の映画『デイブレイカー』は、人口の95%がヴァンパイアになってしまった世界を描いた。やはり自動車産業は滅びていたが、古いアメ車を改造して使っている。昼間でも乗れるようにウィンドウを覆って太陽光をさえぎり、モニターに頼って運転する。実用的なヴァンパイア仕様車で、彼らはオープンカーに乗ろうとは考えない。
オープンカーで希望の地へ旅立つ
ノクス地区とキュリオ地区をつなぐ橋にはゲートがあり、夜間はノクスの門番(古川雄輝)がいる。鉄彦はたびたびゲートを訪れ、門番と親しくなっていく。話をしてみれば彼らだって同じ人間で、悩みや苦しみを抱えて生きていることがわかる。ノクスになれば幸福になれるという単純な話ではない。それでも、ノクスになりたいという鉄彦の気持ちは変わらなかった。
しかし、転換手術に選ばれたのは結だった。望んでいないにもかかわらず、父親が勝手に申請していた。鉄彦の希望は打ち砕かれてしまう。神木隆之介だから、簡単には最底辺から脱出させてもらえない。宮藤官九郎の『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』でも、彼はいきなりバス事故で死んで地獄に落とされる。しかも、この作品は2月公開の直前に軽井沢で起きたスキーバス事故のせいで延期されてしまうというオマケまで付いた(6月25日から公開)。
一方の結も災難である。門脇 麦は『愛の渦』で思い切った濡れ場を演じていたものだから、この映画でも無駄にエロいシーンがある。手術の時に着せられているコスチュームが、明らかに実用性よりもビジュアルを優先した作りになっている。一度脱ぎっぷりのよさを見せてしまうと付け込まれてしまうらしい。
幸いなことに、この映画では鉄彦にも希望のある未来が示される。彼は「ホンダS800」に乗って旅立つのだ。ビートルと違って、こちらはガソリン車のままである。どこから探してきたのか、ボディーはサビサビでレストアベースレベルのコンディションだ。マフラーからパンパン音が出ていたから、キャブレターのセッティングにも問題がある。
S800のトランクにはある“モノ”が入れられていることになっているのだが、残念ながら絶対に入らない大きさだ。助手席に乗せればよさそうなものだけれど、それができない事情がある。オープンカーは、不自由であるほど屋根を開けた時の開放感が大きい。観終わった後、太陽の恩恵を表現するためにリアリティーを無視してまで選んだのがこのクルマなのだとわかるだろう。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。