第454回:ランボルギーニ親子ゆかりのルートに完成!
“イタリア版・新東名”はこんな道
2016.06.17
マッキナ あらモーダ!
日本でいうなら東名高速
今年2016年は、ランボルギーニの創始者フェルッチオ・ランボルギーニの生誕100周年である。彼の子息トニーノが筆者に語ってくれた草創期の思い出話がある。ときは1960年代。
「おやじと一緒にクルマ(ランボルギーニ)に乗って、フェラーリやマセラティのドライバーを待ち構えているんだ」。
そして、彼らを見つけた途端、抜きつ抜かれつのバトルを仕掛ける。スーパースポーツカー乗りは、速いクルマへの関心を絶やさない。
「そこで、次のサービスエリアですかさずLamborghiniの名刺を渡す、というわけだ」
その舞台となったのはイタリアの自動車専用道路であるアウトストラーダのA1号線、通称「太陽の道」のボローニャ~フィレンツェ区間だ。太陽の道は、北部ミラノからボローニャへと東に向かったあと、フィレンツェ、ローマを経てナポリまで半島を南下する、イタリアの大動脈である。日本でいえば、役割は東名高速道路に近い。
ボローニャ~フィレンツェ間は、1960年12月に開通した。アペニン山脈にかかる峠であるため、フィレンツェに向かって、きつい下りカーブが連続する。当時のスポーツカー乗りにとっては、まさにドライブ天国だったという。フェルッチオと息子のトニーノは、そこで“路上セールス”を繰り返していたというわけだ。
いまとなってはイヤな道
しかし昨今は、前述の“ランボの時代”とは、状況が全く違っている。
2車線あるうちの右側、つまり走行車線は長距離トラックがえんえんと列を成している。アウトストラーダが、イタリア経済のみならず欧州経済の一翼を担う道へと成長した証しだが、一般車がその間に入って走ると、車速はかなり遅くなる。
ということで一般車のほとんどは追い越し車線を走ることになるのだが、アグレッシブな運転で煽(あお)るイタリア人ドライバーが少なくない。
なにしろ往年の「フィアット500」や「フィアット600」がトコトコ走っていた時代の道を、200km/h超のスピードを出せるクルマが走っているのである。
ボク自身は、古い「ランチア・デルタ」でイタリアデビューを果たしたころは、走るのが本当に怖かったし、その後もうちょっとマシなクルマに乗るようになってからも、イタリア中で最もイヤな区間であることに変わりはなかった。
オーバーヒートどころか、途中でエンジンから発火しまい、消火活動を仰いでいるトラックや観光バス、路線バスも、何度となく目撃した。
サービスエリアも古い。インターチェンジと一緒になっているところもあった。「なんだ、日本のスマートICの元祖じゃないか」というなかれ。狭い敷地に作られていて、出口に向かうクルマが売店やガソリンスタンドのすぐ脇をすり抜けていくという、恐るべき構造なのだ。
太陽の道とほぼ並行して走る高速鉄道が開業してから、もっぱらボクがクルマではなく列車で移動するようになったのも、もとはといえばこのボローニャ~フィレンツェ間を運転するのが面倒だったからだ。
みんながよろこぶバイパス開通
そんなボクに朗報が舞い込んだ。暮れも押し迫った、2015年12月のことだ。
ボローニャ~フィレンツェ間のバイパス道路が開通したのである。前述のような太陽の道の役割からして、まさに「イタリア版・新東名」といったところだ。
12月23日に行われた開通セレモニーでは、マッテオ・レンツィ首相自らがフィアットのSUV「フリーモント」を運転。早速、当日のツイッターに「非常に感激。ついにバイパス完成」とつづった。「フィアット500クラブ・イタリア」のメンバーたちも、各自のクラシックな500でパレード走行を行った。
構想から実に33年。11年の工期と、計画の2倍にあたる総工費70億ユーロ(約8400億円)を投じたこの区間の総延長59kmには、41のトンネルと、同じく41の陸橋が含まれている。
道路建設会社のアウトストラーデ・ペル・イタリアによる公式ビデオがあるので、興味のある方はこちら(https://www.youtube.com/watch?v=yiMRpgl1idg)でドライブ気分を味わっていただきたい。
年が明けると、知人でフィレンツェ在住の銀行員ロレンツォが「もうバイパス走っちゃった!」と自慢げにのたもうた。ボローニャへコンサートを見に行ったのだそうで、「すげえよ、旧道よりも15分も短縮できちゃった」という。「ちなみにバイパスだからといって、特別なゲートもなく、料金も同じだよ」と追加情報も伝えてくれた。
外国人にはちんぷんかんぷん
というわけで、2016年4月、ボクも遅ればせながら走ってみることにした。
ボクの場合は、イタリア中部トスカーナ在住なので、ランボルギーニとは逆に、フィレンツェ側からボローニャ側に向かって北上することになる。
「フィレンツェ平野を抜けて、すぐにバイパス区間か?」と思ったら、まだクネクネしたカーブが続く。今回開通した59kmは、アペニン山脈区間の、いわば“肝”の部分だけだった。
バイパス起点は、フィレンツェの最後のインターから約22km、サーキットで有名なムジェロからであった。
しかし、そこで思わぬ事態が起きた。各2車線のレーンが分岐するようになっている。「きっと、ちょっと曲がるように設けられたレーンが、新しいバイパスにつながるんだ」と信じてクルマを走らせた。しかし、なんとそちらは旧道につながるレーンであった。なんだよ、せっかく楽しみにしていたのに……。
途中からバイパス側に復帰するルートは作られていなかった。仕方がないのでボクは黙々と旧道を走って峠を抜けた。不幸中の幸いは、旧道を走るトラックが極めて少なくなっていたことだった。
帰路、今度は目を皿のようにして標識を見ながら運転する。すると、旧道との分岐の地点で、バイパス側に分かれるほうに小さく「ヴァリアンテ」の文字が加えられているのを発見した。イタリア語のvarianteは、英語のvariant同様、「異なった」「異形の」という意味だ。これまでもイタリア各地のアウトストラーダに「ヴァリアンテ」という語は存在したが、残念ながらこれまでボクの行動範囲ではなじみがなかった。新しい道を走りながら、ボクのような外国人が、その文字を瞬時に判断するのは、そう容易ではない。
で、バイパスの走り心地はどうかというと、トンネルは多いものの(最長のものは、入ってから出るまで約5分もかかる)、カーブが緩く勾配も少ないため、運転のストレスは極めて少ない。料金も同じだ。かなりお得感がある。
公式発表によると、この快適なバイパス開通によって、年間1億リッターの燃料節約効果があるという。
ステキな国のブラックホール?
後日、再び北に向かって走る機会があった。今度も分岐でバイパスの標識を見落とすまいと、さらに緊張しながらステアリングを握った。
すると、例のvarianteの標識とともに、もうひとつの表示があるのに気づいた。「Direttissima(ディレッティッシマ)」。「直通」を意味するが、従来は主に鉄道の世界で使われていた言葉だ。いきなり、道路に使われても……と、ひとこと文句を言いたくなる。
いっぽう、旧道を示す標識には、「Panoramica(パノラミカ)」と書かれている。おいおい、この間までのボロい道にいきなり「展望道路」とかしゃれた名前つけるなよ。それも表示はイタリア語のみである。
やがて区間を通過し終え、サービスエリアに入ったら、道路会社の最新宣伝コピーが目に飛び込んできた。
「あなたはステキな国にいます」
何度も外国人をビビらせておきながら、イタリア版「美しい国」宣言とは……。
ヨーロッパはいよいよバカンス・シーズン。ステキな国にやってきたと思ったら、ブラックホールのごとく、想定外の道へと引き込まれてしまう外国人ドライバーが続発するに違いない、とボクは今から読んでいる。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>、FCA)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。