第128回:旧車修理工場を舞台にした日本のノワール
『ケンとカズ』
2016.07.29
読んでますカー、観てますカー
低予算を映画愛がカバー
ハリウッドの超大作では、製作費に200億円以上かけることが珍しくない。人気俳優をキャスティングするには億単位のギャラが必要だし、派手なアクションを見せるためにCGに大金をかける。市場はグローバル化しているから、ヒットすれば莫大(ばくだい)な興行収入を得ることができる。中国マネーが投入され、製作費の高額化に拍車がかかる。コケると悲惨なことになるが、生き残るためにはリスクを取るしかない。
日本の映画製作の環境はまるで違う。市場は基本的に国内のみで、10億円も使えば堂々たる大作だ。日本の商業映画の製作費はアメリカの自主映画の半分しかないと、園子温監督がツイッターで嘆いていた。映画評論家の町山智浩によれば、日本映画の平均製作費では『マッド・マックス 怒りのデスロード』の3分間も作れないそうだ。劣悪な状況の中で、日本の映画監督は絶望的な戦いを強いられている。2011年に『監督失格』が絶賛された平野勝之は、その後5年もの長きにわたって新作を撮れず、家賃を払うのもままならない始末だった。
『ケンとカズ』も超低予算映画である。2014年にクラウドファンディングを行っているのだが、目標金額は50万円だった。監督自身が80万円を拠出していて、足りない分を補おうと考えたわけだ。集まったのは9万円。撮影だけで資金は尽き、編集には2年を費やすことになった。しかし、映画の質は金だけで決まるものではない。傑出した才能と映画愛が、見事な作品を生み出した。
「日産キャラバン」でシャブ密売
ケンとカズは、千葉県市川の自動車修理工場に勤めている。「ホンダ・ライフステップバン」などが置いてあるので、旧車専門のショップだとわかる。「バモスホンダ」もあったが、車両全体が映らなかったのはもったいない。撮影には、東村山にあるホンダの360ccモデルを扱う工場が使われたそうだ。仕事場に並べられたキャブレターやギアボックスなどの部品は、油を吸って黒光りしている。シリンダーを磨いてピストンリングを調整し、エンジンのオーバーホールを行っているようだ。部品の状態を手で確認しながら、地道に作業を続けていく。
地に足の着いた生活である。ただ、汗を流して労働しても十分な報酬が得られないのが現実だ。工場は隠れみので、彼らは覚せい剤の密売で稼いでいた。ケンは恋人が妊娠したことがわかり、父親となって新生活を始めることになっている。カズには認知症の老母がいて、介護施設に入れなければならなくなった。2人とも、金を必要としている。
覚せい剤業界も競争が激しい。顧客を奪い合い、縄張りをめぐって抗争になる。敵対組織との暴力の応酬がエスカレートしていく。路上で客が現れるのを待っている時も、警戒を怠ってはならない。武器を持った連中が襲ってくるかもしれないのだ。
彼らが客と接触するのは、人通りの少ない路地だ。クルマの中で待機していると、連絡を受けた客が通りすがりのふりをして代金を窓から渡す。引き換えにブツを渡し、一瞬で売買が成立する。「日産キャラバン」に乗っているところにリアリティーがある。頑丈な作りで室内は広い。故障して動かなくなってしまいかねない旧車を商売に使うわけにはいかない。
「ティーダラティオ」は目立たない
ケンはカズに誘われてこの商売を始めた。2人は高校の同級生で、時に乱暴な言葉でののしり合うのも気心が知れているからだ。強い絆で結びついているはずだった2人の間に亀裂が生じる。カズが強引な方法で密売ルートを拡大しようとするのにケンはついていけなくなる。元締めのヤクザからも疑いをかけられるが、カズの暴走は止まらない。
隠れ家では液体をトレーに入れてバーナーで焼き、覚せい剤を製造する。熟練の職人が作業をする姿は、自動車工場の情景と変わらない。価格によって純度も変わるようで、
「アンナカ混ぜてんのか?」
「カルキ抜き混ぜてんだよ」
という会話がかわされる。ASKAが言っていたアンナカというのは、覚せい剤の混ぜものとしてはポピュラーなものらしい。
対立組織にカチコミをかけることになり、ヤクザからクルマの調達を頼まれた。リクエストは「なるべく地味なヤツ」。出てきたのはシルバーの「日産ティーダラティオ」だった。見た時にすぐには車名が浮かばなかったほどだから、目立たなさではかなりランクが高い。小道具として正しい選択である。予算がなくても、ディテールをおろそかにしていないから作品のクオリティーが保たれる。
ケンが暮らす部屋は、仲屋むげん堂かチャイハネあたりで見つけたような布で飾られていた。恋人の趣味なのだろう。ケンとは異なる世界で生きてきた女性であることが視覚的に示される。登場人物のファッションも細やかな心配りで選ばれている。まったく手を抜いていない。
正面から暴力を描く鮮烈な映像
この映画にはイケメンもゴージャスな美女も登場しない。ケン役のカトウシンスケ、カズ役の毎熊克哉を含め、失礼ながらどの俳優の名前も知らなかった。人気パフォーマンスグループ総出演で、高額な舞台あいさつで荒稼ぎしている映画とは大違いだ。予算だって天と地の差がある。
最も大きな違いは志だ。監督は自分が面白いと思う作品を作っている。それが多くの観客に受け入れられることを望んでいる。平均的な観客を想定し、彼らが喜びそうなストーリーを人気俳優に演じさせる連中とは器が違う。本作が長編デビューとなる監督は小路紘史。しょうじひろしと読む。底の浅いヤンキー映画を量産するお笑い出身の映画監督とその相方を合わせた名前になっているのは、もちろん偶然だろう。
裏社会が舞台になっているだけに、この映画には凄惨(せいさん)な暴力シーンが多く登場する。カメラは被写体に接近し、執拗(しつよう)に追い回す。iPhoneで撮影しているのだろうか、激しい動きについていくと画面がゆがむ。様式美ではないリアリティーで、目を向けていられないほどの痛みに観客は耐えなければならない。それが彼らの生きている世界なのだ。暴力と痛みを正面から描いているからこそ、最低な奴らの真情を共有できる。
股旅物に新風を吹き込んだ市川崑の『木枯し紋次郎』を思い出した。鮮烈な映像は、監督の才能をはっきりと示している。日本でも本物のノワールが撮れることを、徒手空拳の新人が証明した。映画好きとして、こんなにうれしいことはない。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。