第133回:生涯最後のドライブはルノー5で
『92歳のパリジェンヌ』
2016.10.29
読んでますカー、観てますカー
クルマの運転は衰えのチェック項目
警察庁の調べによると、高速道路の逆走事故を起こすのは約7割が65歳以上の高齢者なのだという。そのうち約4割が認知症である。逆走はしないまでも、視力や反応速度は確実に衰えていく。地方ではクルマ以外に交通手段のない場合もあり、年をとっても自分で運転せざるを得なかったりする。老人の運転を禁止すればいいというような単純な問題ではないのだ。
解決には自動運転の実用化が待たれるが、まずは急増する高齢者の事故を防がなくてはならない。2017年3月から高齢者の運転免許更新手続きが変更され、70歳以上になると高齢者講習が義務付けられる。75歳以上は認知機能検査を受けなければならず、認知症と診断されると免許停止か取り消しになってしまう。
家族はハラハラしているが、本人は自分の運転スキルに自信を持っていることが多い。老人からクルマのキーを取り上げようとしてトラブルになることがよくあるそうだ。『92歳のパリジェンヌ』の主人公マドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ)は、自ら「ルノー5」のハンドルを握って出掛けていく。もちろんMT車で、フランスではこういう元気なおばあちゃんが普通なのかもしれない。
彼女が偉いのは、自分の衰えをチェックするノートをつけていることだ。「入浴」「着替え」「階段を上る」などの項目があり、自分でこなせない動作が増えていくことを客観的に知ることができる仕組みだ。項目には「クルマの運転」もある。マドレーヌは運転していて自転車が出てくるのに気づくのが遅れ、危うくぶつかりそうになった。気が動転して立ち往生していると、バイクがぶつかってきてミラーをへし折られる。彼女は自分の置かれている状況を冷静に見極め、一つの決断をする。
「2カ月後に、私は逝きます」
92歳の誕生日に、子供や孫たちがパーティーを開いてくれた。でも、主役であるはずのマドレーヌはそっちのけで、彼らが話題にしているのは自分のことばかり。彼女がスピーチを始めても、ざわつきは収まらない。静まり返ったのは、彼女のとんでもない発言を耳にした時だ。
「以前、気力がなくなって生活に不便を感じたらこの世を去りたいと話しましたね。その時が来たの。2カ月後の10月17日に、私は逝きます」
期限を決めて自ら命を絶つというのだ。家族としては受け入れがたい話である。楽しいはずのパーティーは、一転して険悪な雰囲気に包まれた。娘のディアーヌ(サンドリーヌ・ボネール)は悲しげに理由を問いただし、息子のピエール(アントワーヌ・デュレリ)は腹を立てて声を荒らげる。孫のマックス(グレゴアール・モンタナ)は事態が飲み込めずにぼうぜんとしている。マドレーヌの気持ちを理解している者は1人もいない。
ピエールは母を介護施設に入れるべきだと言う。マドレーヌが発言を実行に移さないようにするには、プロに任せるのが一番というわけだ。理屈としては間違っていないかもしれないが、ただ楽をしようとしているだけのようにも思える。彼はもともと母親と折り合いが悪く、このような混乱は迷惑でしかない。
ディアーヌは自分が同居して介護すると申し出るが、マドレーヌは拒否した。そもそも92歳の老人が一人暮らしをしていることが驚きだが、彼女は自分の生活は自分でコントロールしたいタイプなのだ。彼女を助けてくれるのは、家政婦のヴィクトリア(サビーネ・パコラ)だ。夜中に失禁して汚したシーツを自ら洗おうとしていた時は、それは私の仕事だから、と優しく言葉をかけてくれた。誇りを持って生涯を終えたいとの思いにも理解を示す。
ジョスパン元首相の母がモデル
マドレーヌの衰えは隠しようもない。腰を痛めて身動きがとれなくなり、キッチンでボヤ騒ぎを起こしてしまう。なんとか助けられたものの、入院を余儀なくされる。点滴や酸素吸入の装置を取り付けられ、尊厳を傷つけられた姿にディアーヌは衝撃を受ける。病院で死ぬのはイヤだという母の願いを受け入れ、腰の調子がよくなると外に連れ出した。
「太りそうなものを食べたい!」というリクエストに応え、キャビアを用意した。とても合いそうにない種類のワインが供されていたが、母子は久しぶりに心からの笑顔を交わす。幸福の記憶の中で命を終えたいという母の気持ちを、娘は自分のこととして感じることができた。
この物語は、実話にもとづいている。マドレーヌのモデルとなったのは、ミレイユ・ジョスパン。リオネル・ジョスパン元首相の母である。首相の妹で作家・哲学者のノエル・シャトレが書いた『最期の教え』が原作となっている。映画では家族構成などの設定が変更されているが、ジョスパン家で尊厳死をめぐる葛藤があったのは事実なのだ。
母には娘にも明かさなかった秘密があった。最期を迎える前に会わなければならない人がいる。ディアーヌは母を助手席に乗せ、ドライブに出掛けることにした。彼女は普段「フィアット500C」に乗っているが、今回はルノー5で出掛ける。母が苦楽をともにしてきたクルマなのだ。旅を終え、ずっと整備を請け負ってくれていた工場にクルマをあずける。愛車が天寿をまっとうするのを見届け、マドレーヌも幸福な生涯に幕を下ろす準備が整った。
(鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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