第136回:音痴の金持ち女が観客3000人の前でコンサート!?
『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』
2016.11.30
読んでますカー、観てますカー
落語『寝床』のオペラ版
義太夫が大好きな商家の旦那が、長屋の店子(たなこ)たちを集めて披露の会を催す。準備万端整ってもなぜか客が1人も来ないので、番頭を使いに出した。豆腐屋はがんもどきの大量発注があり、ちょうちん屋も急な請負仕事で徹夜になる。小間物屋はおかみさんが臨月。金物屋は無尽の親になった初日。鳶(とび)の頭はもめごとの仲裁。みんなあれこれ言い訳を並べて断りを入れてきた。旦那の義太夫は素人の横好きで聞けたものではないからである。誰も来ないことを知った旦那は、激怒して店立てを言い渡す――。
おなじみの古典落語『寝床』である。明治から大正期にかけて素人浄瑠璃が大はやりし、落語に描かれたような話は実際によくあったらしい。下手くそな語りを聞かされるほうはいい迷惑だが、世話になっているから断れないのだ。『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』は、ニューヨークを舞台にしたオペラ版の『寝床』である。
主人公のフローレンス・フォスター・ジェンキンスは、1868年に生まれた実在の人物。裕福な家庭に育ち、莫大(ばくだい)な財産を相続した。幼い頃から音楽好きだった彼女は、私財を投じてヴェルディ・クラブという音楽サロンを創設する。
若く貧しい音楽家たちにとってはありがたい存在となったが、彼女が出たがりなのが悩みのタネだった。オペラをもとにした寸劇に自らミューズ役として出演したりするのはまだ許容範囲。困るのは自ら歌おうとすることである。彼女には音楽的才能がかけらほどもなかったのだ。
メリル・ストリープの完璧な音痴演技
音程が不確かで自己中なリズムを刻む悪夢のような歌唱なのに、本人は自分が偉大な音楽家だと信じ込んでいたという。人は誰でも客観的な自己評価ができないものだとはいえ、彼女の場合は度が過ぎていた。はた迷惑でありながらどこかかわいらしさを持つ天性の音痴を演じたのは、メリル・ストリープである。
アカデミー賞やゴールデングローブ賞を何度も獲得している名優だが、今回は長いキャリアの中でも最も困難な役のひとつだったに違いない。彼女は女優になる前はオペラ歌手になろうとしていた美声の持ち主だ。今年3月に公開された『幸せをつかむ歌』では、場末のハウスバンドで歌うロック歌手を演じていた。下手くそに歌うのは、うまく歌うよりはるかに難しいミッションである。
音痴演技は完璧だった。妙な表現だが、下手な歌が上手なのだ。絶妙に音程をはずし、不安定な拍子で発声する。わざとらしさがなく、歌が歌えないというのはこういうことなのかと得心させられる。高い声を無理して出すと、まるで林家パー子の突拍子もない笑い声のようだ。67歳にして76歳の役を見事にこなすババア演技も素晴らしい。
フローレンスには、年下の夫がいた。最初の結婚では梅毒をうつされて離婚しており、2度目の夫とは夫婦関係のない事実婚である。情けないダメ男だが女性の欲望をすべてかなえるという上級のヒモ資質を持つシンクレアを演じるのはヒュー・グラント。ハマり役である。まっとうな音楽をやりたいのに伴奏者に指名されて困惑するコズメ・マクムーン役のサイモン・ヘルバーグなど、ほかのキャスティングもすべてが理想的で完全無欠だ。
『この世界の片隅に』と同時期の話
小さな劇場ではなく、カーネギーホールでコンサートを行うのがマダム・フローレンスの願いだった。優しいシンクレアは全力で彼女をサポートする。歌唱指導にはメトロポリタン歌劇場の副指揮者を雇い、特訓を施すのだ。音程はメチャメチャだが、教師はほめて伸ばすタイプである。「まだ修正すべき点がある……でも、これまでで最高の出来ですよ!」と無責任にヨイショするから、彼女はいよいよ本気になる。
カーネギーホールを押さえ、チケットは早々に売り切れた。新聞記事が心配だが、シンクレアは抜け目がない。相当な額を支払って記者を買収している。ただ、歌唱の先生に出席するよう促すと、「その日はフロリダに出張」と言う。マダムの援助を受けているトスカニーニにも「リハーサルがあるから行けない」と逃げられた。まさに『寝床』と同じだ。
1944年10月25日、マダム・フローレンスはカーネギーホールの舞台に立つ。観客席には作曲家のコール・ポーターやソプラノ歌手のリリー・ポンスの姿があったという。1944年といえば、太平洋戦争が終盤を迎えていたころだ。マダムのコンサート評が載った新聞の一面では日本との海戦の結果が報じられていた。
片渕須直監督のアニメーション映画『この世界の片隅に』では、ちょうど同じ時期が扱われている。のん(本名:能年玲奈)が声をあてている主人公のすずは、1944年の2月に広島から呉に嫁いだ。10月には幼なじみの水原が乗る重巡洋艦「青葉」がルソン島で攻撃を受け、ボロボロの状態で帰ってくる。配給が滞るようになり、すずは道端に生えているたんぽぽやかたばみを摘み、工夫をこらして食卓に供していた。生きるのもやっとの国が、有閑マダムがバカ騒ぎをする余裕のある国と戦ったのだ。勝てるわけがない。
ニューヨークの街並みを再現したクルマ
音楽がテーマだから、クルマが出てくる場面は多くない。しかし、撮影ではクルマが大きな役割を果たしていて、陰の主人公と言ってもいいくらいなのだ。舞台も主人公もアメリカなのに、この作品はイギリス映画である。撮影もイギリスのリバプールで行われた。
もちろんセットを組んだのだが、外のシーンはリバプールの市街地でのロケである。現在のニューヨークでは、1940年代の雰囲気を見せることは難しい。当時の面影が残る街として、リバプールが選ばれた。かつてニューヨークに向かう遠洋定期船が出航していたので、雰囲気が似ているらしい。
しかし、いくら似ていても70年前の街並みと同じではない。リアリティーを持たせるのに使われたのがクルマである。カーネギーホールの入り口には、「キャデラック・フリートウッド」や「フォードV8デラックス」などが止まっていて、着飾った紳士淑女が降りてくる。イエローキャブも、フォードやシボレーの戦前型だ。古い建築を背景にすれば、見るからに1940年代の風景である。実はクルマの中には戦後モデルも混じっているようだが、あまり細かいことを追及してはいけない。
ディテールに気遣いが行き届いていることが、いい映画の条件である。キャスティングにも街並みの再現にも真面目な努力が尽くされているから、極上のエンターテインメントになった。メリル・ストリープファンのために付け加えておくと、エンドロールで彼女の名誉挽回のシーンがある。『あまちゃん』で音痴歌手役だった薬師丸ひろ子が最後に見せた奇跡の歌声を思い出した。
(鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。