第549回:“機能美”は色あせない!?
「チープ・カシオ」と「空冷フォルクスワーゲン」の意外な関係
2018.04.13
マッキナ あらモーダ!
緊急事態を救ってくれたカシオ
カシオ製スタンダードウオッチを愛用している人を、近年イタリアや周辺各国でよく見かける。大半は、日本で“チプカシ”(チープ・カシオ)の愛称で親しまれているデジタル式である。
ここ1年ほどは、フィレンツェの紳士モード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」に現れるようなファッションピープルの中にも、装着している人が時折いる。
歴史をさかのぼれば、カシオが時計ケースやバンド素材にプラスチックを採用し、今日のスタンダードウオッチの土台を作ったのは1978年のことである。
ボクが中学生になったのは、その直後だった。当時腕時計は「中学になったら買ってもらえるもの」。校則で装着が禁止されなくなるのも中学からだった。
だからといって、ボクがカシオの時計を買ってもらったわけではない。実際の買い主である戦前生まれの両親は「時計といえばセイコー」という既成概念があったからだ。
ちなみに、両親がカシオブランドを軽んじていたわけではない。わが家にはその数年前に清水の舞台から飛び降りるつもりで買った、蛍光管表示のカシオ製電卓があった。使用後は毎回クッション入り専用化粧箱に入れ、定位置にしまっていた。カシオといえば計算機だったのである。
ということで、ボクにとって最初の腕時計はセイコー製となったが、中学3年の修学旅行の、まさに前日だった。それが壊れてしまった。急きょ市内のスーパーに駆け込んだところ、唯一陳列してあったのは、カシオ製デジタルだった。ケースやベゼルは今日のスタンダードウオッチよりやや立派で、「1カ月めくり」表示が可能な完全自動カレンダー付きだったと記憶している。
ジェームズ・ボンドとスウォッチによろめいて
その後カシオを末永く愛用したかというと、そうではない。同年、銀座の映画館で見た『007 ユア・アイズ・オンリー』では、ロジャー・ローアが演じるジェームズ・ボンドがセイコー製スペシャルモデルを装着していた。それにシビれたボクは、そのデザインに極めて近いセイコーを新たに買ってもらったのである。
大学時代は日本進出直後でまだ珍しかった「スウォッチ」に飛びついてしまった。恐らく学内で一番早かったと思う。当時のスウォッチは、まだ品質が不安定だったようで、気がつけば針が外れてベゼルの中を泳いでいたこともあった。それでもそのファッショナブルさに引かれて、次々と買っては使い続けた。
そんなある日のこと、しまっておいたカシオをふと取り出してみた。驚くべきことにボクが放置していた間も、黙々と動き続けていた。処分するのも忍びなく困っていたら、母が「引き取る」という。自分のお古を母親が使っているというのは仲良し親子のようで、息子として格好悪く思えた。しかし、母はまったく気にしないどころか、「便利」といってそのカシオをずっと身に着けていた。
かくして、リアルタイムでカシオ製デジタルウオッチの黎明(れいめい)期を体験してしまったボクである。昨今いくら「80年代レトロ」などと評されても、「何を今更」という感じでトレンドに乗れずに今日に至ってしまった。
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アクティブ旅のプロや、カーデザイナーも愛用
ところでカシオはいつごろヨーロッパに上陸したのだろうか。イタリアに住む身としては気になるところだ。
正確を期すため、東京のカシオ計算機広報部に問い合わせてみた。
回答を要約すると以下のとおりだ。まずは1967年にスイス・チューリッヒに欧州事務所を開設し、電卓の販売を開始したのが始まりである。続いて1972年、重要戦略拠点と位置づけたドイツで電卓の販路を拡大すべく、ハンブルクに販社を設立。1975年からは時計の販売を開始するとともに、英国ロンドンにも販社を設けた。イタリアに拠点が開設されたのは、露、仏、蘭、西と同時期である1990~2000年代という。
ボクが最近出会った人の中にも、カシオのスタンダードウオッチを愛用している人が少なからずいる。エドアルド・バウザーニ氏(2018年現在、32歳)は、中部のシエナ出身でありながら南部のパレルモ大学を卒業し、ベルリン在住などを経て今は再びトスカーナを拠点にしている行動派だ。
ボクが彼の時計を発見して「おっカシオだ」と指さすと、「日本ブランド最高!」と即座にリアクションが返ってきた。彼はトレッキングやマウンテンバイクのツアーを導くアクティブ・トリップリーダーを生業(なりわい)としている。日々の仕事に、タフなカシオはうってつけなのである。
もうひとりは、トリノのカーデザイナー、ピエトロ・ヌーメ氏(同30歳)だ。
「ピニンファリーナ・エクストラ」を経て、クリス・バングル氏が主宰するストゥディオにアート・ダイレクターとして参画。現在は、母校であるトリノの有名なデザインスクール「IAAD」で教鞭(きょうべん)もとる。パネライやハミルトンも愛用しているという彼だが、カシオを「どのようなシチュエーションや、服装にも合わせられるマストアイテム」と評する。
機能とコストを追求したからこそ
ところ変わって2018年3月、ドイツのヒストリックカー見本市「テヒノクラシカ・エッセン」に赴いたときである。
あるドイツ系メーカーの広報担当者も、やはりカシオを愛用していた。彼のものは金色外装の傷みがかなり激しいが、不思議なことに、それが風合いに転化していた。例えればリモワのアルミ製スーツケースのような感じだ。カシオのスタンダードウオッチは、日本ブランド初の「ヤレていたほうがかっこいい」プロダクトとみた。
その会場内で、目立っていたクルマといえば、“dans son jus”(困った状態:フランス語)と呼ばれる「未再生車」だ。「レストアするのもいいが、ホコリだらけのまま、傷だらけのまま、車がたどってきたストーリーに思いをはせることもできる」と、あるヒストリックカー専門中古車商が指南してくれた。
代表例は、フォルクスワーゲン(VW)の「ビートル」や、姉妹車である「T2バン/キャンパー」だ。むしろ使い込んだほうが味が出る。事実、VW自身もそうした空冷系モデルの、かなりやつれた個体にサーフボードを載せたりして広報写真に登場させている。
歴史に関心のある人ならご存じのとおり、VWは従来富裕層の物だった自動車を広く人々に解放し、同時に高い操作性、メンテナンス性そして耐久性を実現した。
カシオは1974年の時計市場進出にあたり、業界に先駆けてケースとバンドの素材にプラスチックを採用している。それにより生産効率化とコスト低減を実現。同時に、従来はなかったラフに使える腕時計を人々にもたらした。加えて完全自動カレンダーをはじめとする利便性を追求している。
VWしかり、カシオしかり。「使い古し」でもサマになるのは、流行に左右されず徹底的に機能を追求したプロダクトだからに違いない。
まだ生き延びているかもしれない
ついでにもうひとつ、カシオ製スタンダードウオッチの功績を発見した。
初期のApple製「マッキントッシュ」は、いくらデザイン的にクリーンで優れていても、もはや実用には難がある。いっぽう古いカシオは、かなりの確率で実用に供し、楽しむことができる。エレクトロニクス界における初の快挙だ。
ああ、母に渡した例のカシオが今も手元にあったなら、“ヴィンテージもの”としてイカしたのに。実物がどのような末路をたどったかは、本人がもはやこの世の人ではないこともあり、今では知ることができない。
ただし、欧州におけるカシオブームは、英国で「子どもの頃になくした腕時計が20年後に庭で発見された」という話がネット投稿されたのがきっかけだった。
母のカシオも、もしやいまだにどこかで時を刻んでいるかと思うと、しばし空想に浸れるのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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