第188回:あのほんわかキャラのクルマが恐怖の舞台に
『ジュリアン』
2019.01.24
読んでますカー、観てますカー
異様な緊迫感の離婚調停シーン
映画『ジュリアン』はジャンルをひとつに限定することが難しい。社会派ドラマであるとともにサスペンスの要素もあり、最後にはホラー映画のような様相を呈する。扱っているテーマは、親権である。冒頭のシーンは、家庭裁判所。11歳の少年ジュリアン(トーマス・ジオリア)の扱いをめぐり、離婚調停が行われる。
妻ミリアム(レア・ドリュッケール)は日常的にDVを受けていたと話し、単独親権を求めている。夫アントワーヌ(ドゥニ・メノーシュ)はそれを否定し、共同親権を認めるべきだと主張する。弁護人が代わりに論述を行っていて、ミリアムとアントワーヌは互いに目を合わせない。冷静を装い表情を動かさないが、どちらかがうそをついているのだ。スクリーンからは異様な緊迫感が伝わってくる。
事前にジュリアンの陳述書が提出されていた。「僕も姉さんも“あいつ”が嫌いです。二度と会いたくありません」と書いてある。これが決定的な証拠となりそうに思えるが、そんなに簡単な話ではない。子供を引き離して一緒に暮らすうちに、相手の悪口を吹き込んで洗脳するケースもあるからだ。裁判官も判断しかねている。
姉さんというのは18歳のジョゼフィーヌ(マティルド・オネヴ)で、成人とみなされて親権は争われない。彼女は数年前にケガをしていて、それがアントワーヌによるものだという診断書が証拠として出される。しかし、実際には体育の授業で負傷したのだと反論された。真実はどこにあるのか。
どちらが本当のことを語っているのか
アントワーヌは落ち着きがなく、感情を押し殺しているようだ。暴力的な衝動を隠しているようでもあるが、息子を取られてしまう恐怖におびえている不器用な男なのかもしれない。ミリアムは表情を動かさない。高い知性を持っているから落ち着いていられると解釈することもできるが、感情のない冷厳な性格の持ち主という可能性もある。
調停のシーンは10分ほどにすぎないが、あまりの緊迫感に観客は疲れきってしまう。ミリアムとアントワーヌのどちらが本当のことを語っていたのかは判然としないままだ。裁判官も事情は同じだろうが、結論を出さなければならない。ミリアムに伝えられたのは、共同親権を認めるという決定だった。アントワーヌには2週間に1度ジュリアンに会う権利が認められる。母子で新しい生活を始めようとしていた彼女にとっては絶望的な状況だ。
この時点でも、観客はまだすべての状況を把握できてはいない。確かにジュリアンは父との面会を恐れているが、幼い子供には事情が理解できていないことだってあり得る。週末になって、アントワーヌが迎えにきた。ジュリアンは嫌がっているが、母はもっと拒絶の意志が固そうに見える。母を守るためには、裁判所の決定に従って父と過ごすしかない。
日本人にとっては、この状況は不思議なものだ。日本では単独親権が普通で、多くの場合は母親が子供を育てることになる。父親に面会権が認められることもあるが、実際には権利が行使されないケースも珍しくない。2004年のテレビドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』は、草彅 剛が演じる主人公が理不尽に娘を取り上げられる話だった。
乱暴な運転に表れる焦燥感
国際結婚の増加にともない、ハーグ条約に関する激しい議論があった。国境を越えて子供を連れ去ることを防止して親子が面会する権利を守ろうとするもので、日本では2014年から効力が発生している。子供の権利が守られることが何よりも優先されなければならないのは当然のこと。ただ、実際にはさまざまなケースがあり、暴力的な親との同居を強いられることもあるようだ。単独親権と共同親権のどちらがいいとか、男親と女親のどちらが優先されるべきだとか、単純に言い切ることは難しい。
ジュリアンが父を嫌うのには理由があるのだろうか。アントワーヌは「ルノー・カングー」で迎えにきた。ジュリアンは渋々乗り込んだものの、表情は硬く喋(しゃべ)ろうとしない。父は次第にいらだっていく。それでも息子に嫌われたくない一心で、懸命に優しい態度をとろうとする。ジュリアンはずっとおどおどしていて、恐怖に耐えているようだ。
アントワーヌの焦燥感は、運転の仕方に表れる。乱暴にアクセルを踏んで急発進させ、ハンドルの切り方もていねいではない。子供がいるのに車内でタバコを吸い始めた。彼が自己中心的な人間であることが、次第に明らかになってくる。
カングーは日本ではオシャレ系MPVのような扱いもされているが、商用車のグレードもある。アントワーヌが乗っているのは商用仕様だ。平和で温和なクルマのはずだが、車内は恐怖の空間となる。父のゆがんだ愛情がジュリアンを追い詰めていく。
攻撃的な移動手段となるカングー
アントワーヌは元妻に直接会って話をしたいと思っているが、ミリアムはかたくなに拒否していた。居場所を息子から聞き出そうとして、彼の行動や言動は次第に異常さを増していく。ジュリアンは子供ながらにうそをついて逃れようとするが、追及は執拗(しつよう)だ。観客はなにか破滅的な出来事が起きるのではないかという予感を共有し、息苦しささえ覚えるようになる。
監督のグザヴィエ・ルグランは、この作品が長編映画デビュー。新人とは思えない完成度の高さで、ヴェネツィア映画祭では銀獅子賞を獲得した。93分間の濃密な時間は、緊密な構成力と演出力のたまものだ。ホラー要素に関しては『シャイニング』を参考にしたそうで、密室での恐怖は心臓に悪い。スピリチュアルもオカルトもないリアルな展開だからこそ、恐ろしさが身に染みる。
ラストだけでなく、映画全体が閉ざされた空間を描いていた。子供であるジュリアンにとっては、結婚生活が破綻した両親の間にいることが不自由さの根源なのだ。ほんわかキャラのカングーが攻撃的な移動手段になり、助手席の彼を傷つける道具となる。父の狂気が車内を支配していて、脱出することはできない。
ラストシーンに、この監督の類いまれな鋭い感覚が示されていた。不意打ちを受けた観客は何が起きたかを把握する前に現実の中に放り出され、作品が描き出した暴力が自分の生活にもつながっていることを思い知らされることになる。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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