トヨタが中国で反転攻勢
加速する世界最大市場での次世代戦略
2019.08.12
デイリーコラム
立て続けに発表された2つの提携
これまでに何度電気自動車(EV)ブームがあっただろう。スポットライトはいつも自動車産業の外からで、オイルショックや深刻化する大気汚染への対応策としてEVは格好のアイコンにされた。2006年制作のドキュメンタリー映画『誰が電気自動車を殺したか』ではEVがいかに不遇の時代を過ごしたかが描かれている。しかし、EVは時代に翻弄(ほんろう)される悲劇のヒロインであると同時に、何度もよみがえる不死鳥のようなヒーローでもあるのだ。
2019年7月25日、トヨタ自動車は中国配車サービス最大手の滴滴出行(Didi Chuxing/以下、DiDi)と、中国におけるMaaS(Mobility as a Service)領域の協業を拡大することを発表した。両社は既に「e-Palette」に関する事業での協業などを公表しているが、今回はMaaSのための合弁会社を設立し、トヨタは合弁会社とDiDiに対して合計6億ドル(約660億円)を出資するという。
DiDiは配車サービス大手ではあるが、アプリ事業者ではなく、物流や保険なども含めた総合的なモビリティーサービスを提供するプラットフォーム事業者である。中国ではキャッシュレス決済も進んでおり、ユーザー数5億5000万人超のDiDiの保有データは、ダイヤの原石が埋まる山と言っても過言ではない。DiDiは日本市場にも進出しており、ソフトバンクと合弁会社を設立してタクシー配車アプリを提供している。
これだけを見ると、トヨタというよりモネ・テクノロジーズ(トヨタとソフトバンクの提携で生まれたMaaS事業を手がける新企業)の話題のように思えるかもしれないが、トヨタについてはほかにも注目すべきポイントがある。
7月19日、トヨタはEV最大手の比亜迪(BYD)と、EVの共同開発で合意したことを発表した。BYDは電池事業で創業し、車体開発に乗り出した中国の企業だ。トヨタはプレスリリースでBYDを「2008年には世界で初めてプラグインハイブリッド車(PHV)の販売を開始し、2015年以降は、EVとPHVを合わせた販売実績が4年連続世界トップ」の企業だと、かなり立てて紹介しているのが印象に残る。トヨタはハイブリッド車市場をけん引するも、リチウムイオン電池のリスクを考慮して長らくニッケル水素電池にこだわってきた。一方のBYDは、リチウムイオン電池で急成長を遂げた。その両社が協業し、2020年代前半にも中国市場でEVを市場に送り出すのである。
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トヨタを振り向かせた中国市場の変化
いま、自動車業界の取り組みはすべてCASEとMaaSに集約される。トヨタはEV市場で圧倒的な存在感を示すBYDと、そしてモビリティープラットフォームを有するDiDiと組んだことで、中国市場におけるCASEとMaaSの基盤を固めようとしているのではないだろうか。
では、なぜトヨタは中国市場に情熱を注ぐのか。
背景にあるのは世界における環境規制の変化だ。言うまでもなくトヨタにとってはハイブリッド車が環境対応車の筆頭で、実際にハイブリッド車のおかげで欧米の厳しい規制を乗り越えられてきた。しかし、世界的にはハイブリッド車への優遇策は徐々に消えゆく傾向にある。ハイブリッド車は同格のガソリン車と比べれば燃料消費量は少ないが、ガソリンを燃焼させることに変わりはない。PHVのように外部充電が可能なモデルやエンジンを発電機として使用するモデルに加えて、簡易なマイルドハイブリッドなども出てきたため、基準を厳密化していく必要があったようだ(真偽のほどはともかく、ハイブリッド市場がトヨタ一強になっていることへのやっかみだ、との声もある)。
中国で施行される新エネルギー車(NEV)規制でも、ハイブリッド車は対象外になっていたのだが、7月12日付のロイターの報道によれば、ガソリン車よりもハイブリッド車を優遇する措置を検討しているという。これが実現すれば、トヨタにとって中国という大きな市場でのビジネスは大きく変わる。
もう一つ見逃せないのが、中国政府による自動車生産の外資規制廃止の動きだ。従来は外資が中国の自動車メーカーに対して出資できる比率は制限されていたが、規制が緩和されれば50%を超える出資が可能になり、経営権を持つこともできる。規制緩和は段階的に進められ、2022年までに完全撤廃する計画だ。中国市場で勝負をしたい外資にとって、この政策は強烈な追い風になり得る。
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EVブームに見る中国の狙いと自動車メーカーの思惑
こうした政策は自国の自動車産業および周辺産業の活性化のためにほかならない。中国は以前からEVにリソースを集中させることで、世界の自動車産業に圧倒的な存在感を示そうとしてきた。しかし、冒頭に述べたようなEVブームを知る日米欧ではEV市場がなかなか立ち上がらない。中国としては車両だけでなく、リチウムイオン電池などの部品や素材でも商売をしたいわけで、そのために世界の自動車メーカーをNEVの土俵に上げたいのだ。
日米欧の自動車メーカーから見れば、中国市場は資材調達先であると同時に、世界に残された数少ない巨大市場の一つ。中国政府の変化を慎重に読み解きながら、自社にとってベストなタイミング、ベストな施策で市場に入っていく機会をうかがっている。そうしたなかで、トヨタはCASE & MaaSに象徴される世界の自動車産業(モビリティー産業)の変化に対応すべく、電動化戦略の前倒しを発表した。中国市場でも、本腰を入れるならいまが潮目だと判断したのではないだろうか。
とはいえ、NEV規制にしても外資規制廃止にしても、公表しているとおりのスケジュールおよび内容で進んでいく保証はない。中国のしたたかさは誰もが知るところだ。しかも、中国が後押しするEVが本格的な普及期に入る保証もない。世界の自動車メーカーはEVに前向きな姿勢を見せるが、軸足はあくまで電動化であって、エンジンを手放す気配はない。両者の間でどういった綱引きが行われるか、今後の展開を注視したいところだ。
現在のEVブームは過去のブームとは違うと言われているが、個人的にはまた不発に終わる可能性も否定できないと思っている。それでもいいのだ。EVはまたよみがえり、らせん階段を上るようにゆっくりと普及に向けて前進していくような気がする。それがEVの宿命ではないだろうか。
(文=林 愛子/写真=トヨタ自動車/編集=堀田剛資)
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林 愛子
技術ジャーナリスト 東京理科大学理学部卒、事業構想大学院大学修了(事業構想修士)。先進サイエンス領域を中心に取材・原稿執筆を行っており、2006年の日経BP社『ECO JAPAN』の立ち上げ以降、環境問題やエコカーの分野にも活躍の幅を広げている。株式会社サイエンスデザイン代表。