第622回:サヨナラの時にこそ人柄が表れる!
歴史的自動車マンから考えるカッコいい“引き際”
2019.09.20
マッキナ あらモーダ!
西川氏も前澤氏も
「退任」のニュースが相次いだ。
2019年9月9日、日産自動車の西川廣人社長兼CEOが、同月16日をもって退任することが発表された。2018年にカルロス・ゴーン氏を追放したものの、自らの不適切な報酬処理が辞任の引き金となった。
9月12日には、ヤフーによるネット通販大手ZOZOの子会社化と、ZOZOの創業者兼社長の前澤友作氏の退任が話題となった。
参考までに筆者が在住するイタリアで、現地経済紙『イル・ソーレ24オーレ電子版』を確認すると、西川氏の退任に関しては9月9日に写真付きで報じられている。
いっぽうの前澤氏はどうかというと、2019年1月に「総額1億円のお年玉」が報じられたほか、2018年にはファッション系やテック系ニュースで「ZOZO SUIT」が関心をもって取り上げられた。だが、今回の退任については、2019年9月15日現在報じられていない。
そこで今回は、米・欧自動車界におけるさまざまな「引き際」について考えてみたい。
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晩節を汚したヘンリー・フォード
計り知れないほどの功績を残しながらも、残念ながら晩節を汚してしまった人物といえば、ヘンリー・フォード(1863年-1947年)であろう。
今や小学生向け学習まんがにスティーブ・ジョブズが取り上げられる時代だ。だが、これまで、そうした本の世界ではトーマス・エジソンと並んで、ヘンリー・フォードは欠かせない人物だった。
1908年の「T型」で成功した大量生産方式は、20世紀の産業ばかりでなく社会を変える原動力となったことは、いまさらいうまでもない。
しかし、56歳の年である1919年に息子エドセルに社長の椅子を譲ってから、少しずつ老害ともいえるかたくなさを見せ始める。労働運動を抑え込むため、ボクサー上がりのハリー・ベネットを側近に雇い、暴力さえも辞さずに組合つぶしにかかった。
反ユダヤ主義にも傾倒。さらに本業ではT型の刷新を拒み続けた。そのため「すべての財布、すべての用途」を標榜(ひょうぼう)し、豊富なバリエーション攻勢をかけたゼネラルモーターズにあっさりと抜かれてしまう。
そして1943年に息子エドセルに先立たれると、再び社長に復帰。経営状態と、自分の健康状態双方が悪化して1945年に孫のヘンリー・フォードII世に譲るまでその座にあった。
まさに引き際を失ってしまったのである。筆者が子供のころに読んだヘンリー・フォード伝には、さすがにこのあたりは記されていなかったが、その光と影ともいえるコントラストは、すさまじい。
社内抗争に敗れても
筆者が、時系列を追うように、同時代に「引き際」とその前後を観察できた人物としては、フィアットのヴィットリオ・ギデッラ氏(1931年-2011年)がいる。
トリノの北、ヴェルチェッリで生まれたギデッラ氏はトリノ工科大学を卒業後、ベアリング製造で有名なSKFに入社。のちに社長にまで上り詰めたが、その座を捨てて米国に渡り、フィアットの農機会社で働く。
やがて1978年、フィアット創業家のジョヴァンニ・アニエッリの目にとまったことで、トリノに復帰。翌79年に当時不振だった乗用車部門の責任者となる。
ギデッラ氏のもとで、1980年代のフィアットは「ウーノ」「クロマ」「ランチア・テーマ」など、ヒット作を連発する。
またギデッラ氏は1987年のアルファ・ロメオ買収にも携わった。筆者が東京で自動車誌の記者時代に上司から聞いた話によると、さまざまな外国人ジャーナリスト一人ひとりの国籍に合わせ、ギデッラ氏は各国語で、それも極めて流暢(ちょう)に質問に答えていたという。
アニエッリからも次期社長と目された彼であったが、社内抗争で財務畑出身のチェーザレ・ロミティ氏に破れた。1988年にフィアットをあとにした彼は、スイスのルガーノに移り、サプライヤーのザウラーで社長を務める。そして1993年に引退したあと、そのまま同地で息を引き取った。
ギデッラ氏が去ったあと、ロミティ氏が仕切るようになったフィアットでは、市場ニーズに合った魅力ある製品開発よりもグループの金融オペレーションが優先された。結果としてイタリア人ユーザーからも次第に見放され、2000年代の危機に陥る。
ギデッラ氏の場合、やや残念な引き際であったが、イタリアのメディアで彼は晩年になっても、時折「あの人は今」的に報じられていた。また、「ギデッラ時代のフィアット」というのも、イタリア経済をポジティブに回顧する文章で、たびたび接する表現である。彼のもとでつくられた製品群が、あまりにも輝いていたのだ。
そうしたフィアット車が好きだった筆者としては、もしギデッラ氏が会社にとどまっていたら、どのような魅力的なモデルがさらにリリースされただろうと、時折思いをはせる。そう考えられる数少ない自動車マンである。
スパナからハサミに持ち替えたランボルギーニ
まったく別の道を選んだ自動車マンといえば、ランボルギーニの創業者フェルッチョ・ランボルギーニ(1916年-1993年)だ。
第2次大戦後にイタリアの国情に合致した小型トラクター製造で財を成した彼は、周囲の反対を押し切って“グラン・トゥリズモ”開発に乗り出す。幸い1966年の「ミウラ」をはじめとする革新的なプロダクトによって、彼は時代の寵児(ちょうじ)となった。
しかし、南米ボリビア政府によるトラクター大量発注が同国の革命によって破棄された事件や、1969年のイタリアにおける歴史的労働運動「熱い秋」などによって経営は急速に悪化した。
フェルッチョは56歳の年である1972年にトラクター事業の売却を決める。自動車部門アウトモービリ・ランボルギーニの株もスイス人実業家へと段階的に譲渡することで彼は企業の経営から手を引いた。
代わりに、買い取った中部ウンブリア州の農園で、ワインづくりに精を出す。スパナから剪定(せんてい)バサミに持ち替えたわけである。
後年、フェルッチョは旧自動車部門の買い戻しを試みて失敗しているのも事実だ。だが、麻畑農家の生まれだったことを回想し、「だから畑仕事は俺の故郷に帰るようなものさ(参考:トニーノ・ランボルギーニ著 拙訳『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』)」と語っている。
彼のワインづくりは年々気合が入り、当初は地元の共同貯蔵庫で熟成させていたが、のちに自らのものを所有するようになる。そして醸造学者も招き、品評会に出しては賞をとるようになった。
なんとも潔い転身ではないか。もし、雄牛のごとく強く個性的なフェルッチョがひたすら自動車をつくり続けていたら、周囲はイエスマンだけになり、結果としてランボルギーニは行き先を失っていただろう。
シトロエンの豪快人生
たとえ本人が望まなかった不遇の最期であっても、豪快な生きざまが語り草となる自動車マンもいる。今年創業100年を迎えたシトロエンの創業者アンドレ・シトロエン(1878年-1935年)もその一人だ。
フォード式大量生産をパリ・ジャヴェル川岸の自動車工場で実践して大成功した彼は、夫人のジョルジーナとオペラ座やキャバレーに毎晩繰り出し、夜のパリで知らぬ者はいないセレブリティーとなった。
コート・ダジュールのカジノでの振る舞いも破天荒だ。シトロエンの研究家ジャック・ウォルゲンジンガーの著書『アンドレ・シトロエン』によれば、ある晩アンドレはバカラで1000万フランを失ったあと、1700万フランを取り戻した。その際、クルピエ(カジノディーラー)一人ひとりに「シトロエン5CV」の目録をプレゼントしたという。
やがて1930年代に入ると、シトロエンはアメリカ車を範とした質実剛健さ第一のクルマづくりではなく、世界をリードする技術を投入したクルマづくりを模索するようになる。
しかし世界恐慌の余波が残る中、過大な研究開発投資は大きな災いをもたらすもととなった。
1934年2月にはフランス銀行に融資を断られる。同年11月にはアメリカのサプライヤーが支払い猶予を認めなかったことでさらに窮地に陥った。その結果、12月21日には裁判所によって破産が宣告される。
そうした中で年明けの翌1935年1月にはアンドレ・シトロエンは入院。7月に息を引き取る。
自動車人よスタイリッシュであれ
かくも波乱万丈の人生を送ったアンドレ・シトロエンだが、今日でも評価されているのは、フランス20世紀産業界への功労度や生前最後のプロダクトであった「トラクシオンアヴァン」の革新性、そしてエッフェル塔を使った電飾広告などフランス宣伝史への貢献度などがあまりにも大きかったためであることに疑いの余地はない。
そのことは、彼が世を去ったあとに企業としてのシトロエンを支えたミシュランやプジョーも否定することはできなかったのである。
経営者、特に創業者の「引き際」を含む生きざまは、のちの世までその企業のアイデンティティーとなることが少なくない。
今日テスラを率いるイーロン・マスク氏には、ファンと懐疑論者との双方がいる。しかし、彼の発信するメッセージや、それにまつわるさまざまな出来事は、少なくとも業界において現在進行形で見られる、珍しい人間ドラマといえる。
最後にもうひとつ。生きざまが素晴らしいトップがいなくなると、それに憧れる若者が減っていき、ひいては業界全体が縮小してしまう。だからこそ、今の自動車業界には「スタイリッシュな引き際」が求められるのだ。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、日産自動車、フォード、FCA、シトロエン、テスラ/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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