フォルクスワーゲン・ザ・ビートル2.0 Rライン マイスター(FF/6AT)
ロング・グッドバイ 2019.11.15 試乗記 フォルクスワーゲンのスペシャルティーモデル「ザ・ビートル」の販売終了とともに、「タイプI」に始まった80年にもおよぶ「ビートル」の歴史が幕を閉じる。最後の特別仕様車「2.0 Rライン マイスター」に乗り“20世紀のアイコン”たる存在をあらためて考えた。乗ってみたらすごかった
若い頃の憧れのクルマは「ゴルフGTI」だったから、タフで信頼性が高いことは知っていても、その当時、鈍重なビートルは正直眼中になかった。80年代になってもメキシコ製の新車が雑誌の広告に載っていたが、わざわざそれを選ぶ人の気持ちは理解できなかった。ところが、ずっと後になって50~60年代のモデルに乗ってみて、ようやくオリジナルビートルの偉大さに気づくことになる。いわゆる“スプリットウィンドウ”のビートルで何度かクラシックカーラリーにも出場し、思い切り走らせて初めてオリジナルモデルのすごさを実感したのだ。
1953年モデルのエンジン排気量は1.1リッターで、最高出力は確かたったの25PSだったはずである。にもかかわらず、軽井沢周辺のきつい登りのワインディングロードでも、その辺の「ジュリエッタ」や「MGA」などにはめったなことでは後れを取らなかった。もちろん上りの山道ではちょっとしたテクニック、というほどでもないのだが、走り方に工夫する必要がある。
走行中にノンシンクロのローに入れるのは避けたいし、いったんスピードを落とすと回復するのが難しいので、可能な限り速度を落とさない。要するに2速のまま速度を保ってコーナーを走るということだ。そうすれば、はるかに強力な親戚の「356」にも食らいついていくことができた。ガンガン山道を飛ばしてもきゃしゃでやわな感触はなく、さすがは本物のミッレミリアにも出場したクルマと感心したものだ。
当時としてはずぬけて簡潔軽量、頑強高精度だったフォルクスワーゲン・タイプI、通称ビートルは、100km/hで巡航できることが設計要件のひとつだったというが、実際に高速道路でも現代のクルマに伍(ご)して走って何の問題もなかった。ただし、そのスピードになると風圧で“アポロ”(Bピラーに取り付けられた方向指示器)がスムーズに出入りしなくなるため、80~90km/hが安心して走れるスピードだ。そのぐらいなら60年以上たった今でも、どこまでも走って行けると思えるほど快適で安定している。あの頃、世界中の若者がビートルとともに旅に出たのも当然なのである。
今更繰り返すまでもないが、フォルクスワーゲンの代名詞たるビートルは本国西ドイツ(当時)のウォルフスブルク工場では1978年に生産が終了したが(後継モデルの「ゴルフ」は1974年デビュー)、その後もメキシコで2003年まで生産が継続され、累計台数はおよそ2153万台に達している(いっぽう1998年には「ニュービートル」が発売された)。
同一モデルの生産台数では「カローラ」が世界一ということになっているが(現在4750万台)、これは一応カローラシリーズに属しているものの、世界中で生産されるさまざまなバリエーションを合計した台数であり、基本的に同一構造のクルマとしてはオリジナルビートルが世界一。やはり「コカ・コーラ」やジーンズと並ぶ20世紀のアイコンであることは間違いない。
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