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第605回:愛され続けて70年 イタリアにとってアバルトとは何か?

2019.11.20 エディターから一言
イタリア・ミラノで2019年10月に開催されたファンミーティング「ABARTH DAYS 2019」には新旧のアバルトが欧州各国から集結した。
イタリア・ミラノで2019年10月に開催されたファンミーティング「ABARTH DAYS 2019」には新旧のアバルトが欧州各国から集結した。拡大

2019年3月に、創設から70周年を迎えたアバルト。当初から過激なチューニングで名をはせ、いまなお高性能モデルで知られるブランドは、イタリアでどう育まれてきたのか。これまでの歴史、そしてかの地で熱烈に愛される理由に迫る。

アバルトの創業者であるカルロ・アバルト(1908-1979年)と、その手になる珠玉のコンプリートカー。傍らに添えられたリンゴの山は、彼が不摂生からレーシングカーに乗れなくなった際、リンゴダイエットで減量に成功したエピソードにちなむもの。


	アバルトの創業者であるカルロ・アバルト(1908-1979年)と、その手になる珠玉のコンプリートカー。傍らに添えられたリンゴの山は、彼が不摂生からレーシングカーに乗れなくなった際、リンゴダイエットで減量に成功したエピソードにちなむもの。
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アバルトの70周年を記念する切手(写真)も登場。サンマリノの切手局が「ABARTH DAYS 2019」に合わせて6万セット発行した。価格は1.6ユーロ。
アバルトの70周年を記念する切手(写真)も登場。サンマリノの切手局が「ABARTH DAYS 2019」に合わせて6万セット発行した。価格は1.6ユーロ。拡大
「ABARTH DAYS 2019」でのひとこま。おびただしい数のアバルトが会場に並んだ。
「ABARTH DAYS 2019」でのひとこま。おびただしい数のアバルトが会場に並んだ。拡大

国民性にピッタリ

フェラーリはイタリアである。この言い方は正しいと思う。100人の凡人よりひとりのリーダーを求める国でしか生まれなかった自動車だ。アルファ・ロメオもイタリアである。これも当たっている。技術力、デザインセンス、ブランド力はイタリアという国の強みを凝縮している。

それではフィアットはどうか? フィアットこそイタリア、これもぴったりだ。七転び八起きの同社の歴史はまさに浮き沈みの激しいこの国の鏡。それでも、もしもイタリアという国、イタリア人の国民性を最も表している自動車は? と尋ねられたら、私は迷わずこう答えるだろう。

「アバルト!」

今年設立70年を迎えたアバルト(Abarth & C.)は、カルロ・アバルトが41歳のとき創業した。カルロはイタリア系オーストリア人、ウィーン育ち。30歳の頃に父の故郷であるイタリアに移った。1946年、ポルシェ設計事務所のイタリア担当だったとき、自ら販売した同社のF1カー製作プロジェクトの陣頭指揮を執ることになりチシタリアに移る。動く彫刻といわれた「202クーペ」で知られるスポーツカーメーカーだ。しかし経営者があまりにF1製作にのめりこみ資金をつぎ込んだために、チシタリアは倒産。そこで、カルロは自社を興したのである。

サソリをエンブレムとしたのは彼の星座だったから。カルロは11月15日生まれ、確かにさそり座の男だ。しかし例えば彼が双子座だったらエンブレムには使わなかったと思う。彼がサソリを使ったのはその形がまねしにくいから。もうひとつは小さくても毒があるから。この2つの理由こそ、カルロのビジネスビジョンを示しているように私は思う。誰にもまねできないチビのワル。

「ちょっとデキる」のがたまらない

カルロは幼い頃から乗り物/機械/スピード好き。典型的なエンスー少年だったが、同時に特徴的に感じられるのは、早い時代から(自分より)大きいものを追い越す快感とスピードに浸る喜びを求めたこと。けがでバイクレーサーの道をあきらめ、サイドカーに転向したとき、オリエントエクスプレスと速さを競ったことは、この2つの“好き”を明確に物語っている。

実際、1957年に登場した「フィアット・アバルト500」シリーズは、デビュー年にモンツァサーキットで行われたスピード記録チャレンジで500ccクラスの記録を打ち立てている。1963年には「595」、さらに「695」が生まれたが、いずれもベースは“ヌオーヴァ・チンクエチェント”。かわいいけれどノロマのグズを、小さくてもパンチの効いたすばしっこいやつに仕立て上げた。

はっきり区分けされたクラス社会を存続するイタリア、この国の人々は自分が置かれたクラスのなかで身の丈にあった暮らしを大切にする。加えて小都市国家という成り立ちが「おらが社会」に生きることを宿命とした。家は埼玉、子どもの学校は千葉、お父さんの勤務先は東京、みたいな暮らしは考えられない。トリノ人は自宅も職場も歯医者もすべてトリノのなか、これが基本だ。

こういう社会で生きる人々にとって大切なことは、自分のテリトリーのなかで“ちょっとだけ”目立つこと。“少しだけ”差異化すること。1950年代から1960年代にかけて時代のトレンドとなるほどアバルトが人気を呼んだのは、まさにイタリア人のこの嗜好(しこう)にマッチしたためだろう。

新旧アバルトのランデブー。写真手前は1963年式「フィアット・アバルト595」で、後方に続くのは、FCAのいちブランドとなったアバルトから復刻された「アバルト595」(2013年式)。


	新旧アバルトのランデブー。写真手前は1963年式「フィアット・アバルト595」で、後方に続くのは、FCAのいちブランドとなったアバルトから復刻された「アバルト595」(2013年式)。
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現代の「アバルト595」(写真左)もコンパクトだが、往年の「フィアット・アバルト595」(同右)はさらに小さい。それでいて驚異的に速いという痛快さが、人々を魅了した。
現代の「アバルト595」(写真左)もコンパクトだが、往年の「フィアット・アバルト595」(同右)はさらに小さい。それでいて驚異的に速いという痛快さが、人々を魅了した。拡大
疾走する「フィアット・アバルト1000TC」(1965年)。「フィアット600D」をベースにハイチューンを施したモデルで、“ジャイアントキラー”というアバルトのイメージを印象づけた。
疾走する「フィアット・アバルト1000TC」(1965年)。「フィアット600D」をベースにハイチューンを施したモデルで、“ジャイアントキラー”というアバルトのイメージを印象づけた。拡大

ファッション性も極めて秀逸

しかし忘れてならないのは、目立つことや差異化をラグジュアリーやキュート系に振ったものは好まれないこと。イタリア人は貧乏くさいラグジュアリーや子どもっぽいかわいさを嫌う。これもまたクラス/年功序列社会に生きるためで、ハイクラスのぜいたくを横目で見て育つから、取って付けたラグジュアリーを見抜く力を備えている。家では、祖父祖母はじめ年長者が偉いと育てられるが故に、子どもっぽさも嫌うのだ。早く大人として扱ってもらいたがる人々。アバルトは、豪華さよりスピード、かわいさよりシャープさを好む若い層の好みに合ったということだと思う。小粒でもピリリと辛い山椒(さんしょう)は、まさにイタリア人の求めるものだった。

そういえば当時のイタリアでは「アバルト化する」という動詞ができて、国語辞典に載ったという。小さくてもすばしっこいもの、パンチの効いたものをこう呼んだらしい。実に楽しいではないか。グレーハウンドを抜きさる俊足チワワは「アバルト化したチワワ」。こういうチワワがいるかどうかわからないけれど。

もうひとつ、アバルトの商才を語るとき欠かせないのがエキゾーストシステムやチューニングパーツを単品で製作したこと。カルロの番頭さんのような役割を担ったロレンツォ・アヴィダーノが走り屋たちに聞き取り調査を行い、こういう商品が求められていることを確信した。これも「目立つ」「差異化する」ためにぴったりな商品だった。アバルトのマフラーは自動車屋に置かれるだけでなく、ブティックのショーウィンドウに飾られたが、これもカルロのビジネスセンスをよく表している。自動車をライフスタイルのなかのエレメントのひとつとして取り入れるという考え方だ。1960年代には「アウトブティック」というコンセプトのもとにクルマに合う男女のファッションを提案したが、これも何ごとも見た目から入るイタリア人に好まれた。

ミラノのファンミーティングにおいて世界初公開された、アバルトの70周年記念モデル「695 70°Anniversario」。写真のように、来場者には熱狂をもって受け入れられた。
ミラノのファンミーティングにおいて世界初公開された、アバルトの70周年記念モデル「695 70°Anniversario」。写真のように、来場者には熱狂をもって受け入れられた。拡大
「アバルト695 70°Anniversario」のボディーカラーは、1958年にアバルトが開発した「フィアット500エラボラツィオーネ アバルト レコード」に由来する。
「アバルト695 70°Anniversario」のボディーカラーは、1958年にアバルトが開発した「フィアット500エラボラツィオーネ アバルト レコード」に由来する。拡大
現代の「アバルト595/695」に装着される、ハイパフォーマンスエキゾーストシステム「レコードモンツァ」。性能や音質もさることながら、見た目の美しさにアバルトならではのこだわりが見られる。
現代の「アバルト595/695」に装着される、ハイパフォーマンスエキゾーストシステム「レコードモンツァ」。性能や音質もさることながら、見た目の美しさにアバルトならではのこだわりが見られる。拡大

消えることのない情熱

アバルトがだてや酔狂ではなかったことはマシンが証明する。「フィアット124アバルト ラリー」は、「フィアット124スパイダー」をベースにアバルトがエンジンにハイチューンを施したモデル。ダイエットも行われてWRC(世界ラリー選手権)に投入された。後継車である「131アバルト ラリー」はDOHC 16バルブエンジンを搭載。ベース車両のおとなしさからは想像もできないアバルト色がさく裂したモデルで、WRCのマニュファクチャラーズチャンピオンの座をゲットした。

ラリーやレースで好成績をおさめるとフィアットからアバルトにお祝い金が出されたが、フィアットにとってはアバルトが強くなればなるほど出費がかさむ。家賃を払うより買い取った方がお得、これがフィアットがアバルトを傘下におさめた理由だ。一方のアバルトはモータースポーツにかかる費用に圧迫されていたため傘下入りを承諾した。1971年のことだった。アバルトはフィアットグループの競技車開発部門のひとつとなり、ついに1981年からは休眠を余儀なくされる。イタリア中をヤキモキさせたが、2007年、当時采配をふるった故マルキオンネ社長の強い意向で、アバルトは無事にお蔵から取り出された。セルジオ・マルキオンネもまたイタリア系カナダ人。カルロ同様移民2世だ。イタリアを外から見る目を持っていたからこそ、イタリア人の求めるもの、イタリアらしいものに敏感だったのだと思う。

イタリアのことを、ショーファーの最も少ない国(みんな自分でステアリングを握りたがる)、下克上の国(小排気量車が大排気量車を追い抜く)と称し、こよなく愛したカルロだったが、最後まで異国ではあったのかもしれない。引退後はウィーンに戻り、故郷で亡くなった。

いま、さそり座の男がいたことを伝えるのは「アバルト595/695」。70周年を祝ってアニバーサリーモデルが発表された。主流となるボディーカラーは戦闘機をイメージするくすんだグリーン。カルロが愛した色である。

(文=松本 葉/写真=FCA/編集=関 顕也)

「フィアット124アバルト ラリー」。オープントップモデル「124ラリー」をベースに開発された高性能モデルで、1973年から1975年にかけて、フィアットのワークスチームのラリーカーとして活躍した。
「フィアット124アバルト ラリー」。オープントップモデル「124ラリー」をベースに開発された高性能モデルで、1973年から1975年にかけて、フィアットのワークスチームのラリーカーとして活躍した。拡大
「131アバルト ラリー」は1974年に登場。1977年、1978年、1980年の3度にわたってWRC(世界ラリー選手権)でメイクスタイトルを獲得した。
「131アバルト ラリー」は1974年に登場。1977年、1978年、1980年の3度にわたってWRC(世界ラリー選手権)でメイクスタイトルを獲得した。拡大
疾走する70周年記念車「695 70°Anniversario」。現代のサソリも、熱い走りでファンを魅了する。
疾走する70周年記念車「695 70°Anniversario」。現代のサソリも、熱い走りでファンを魅了する。拡大
「アバルト695 70°Anniversario」の生産台数は、アバルトの創設年にちなむ1949台。そのうち200台が日本国内で販売される。
「アバルト695 70°Anniversario」の生産台数は、アバルトの創設年にちなむ1949台。そのうち200台が日本国内で販売される。拡大
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