第211回:1966年のル・マンを迫真の映像で描く
『フォードvsフェラーリ』
2020.01.09
読んでますカー、観てますカー
提携を模索したフォードとフェラーリ
映画のクライマックスは、1966年のル・マン24時間レース。『フォードvsフェラーリ』のタイトルでわかるように、「フォードGT40」と「フェラーリ330P3」の激闘を描く。実際に行われたレースだから、勝敗は知られている。それでも観ていて興奮してしまうのが、この映画が優れていることの証明である。スピードに懸けたエンジニアとドライバーがリアルに描かれているからこそ、観客は白熱の闘いに没入することができるのだ。
1960年代のル・マンで、フェラーリは無敵の存在だった。圧倒的な速さと強さを持ち、勝利を重ねていく。ただし、台所は火の車。レースでの勝利を生かしてロードゴーイングカーを売るというビジネスモデルは、必ずしもうまくいっていなかったのである。資金繰りに行き詰まり、フェラーリは資本提携を模索する。名乗りを上げたのは、巨大自動車会社のフォードだった。
フォードもまた、経営上の問題を抱えていた。戦後のベビーブームで生まれた世代が運転免許を取得する時期を迎えていたが、彼らにフィットする若者向けのラインナップを欠いていたのである。マーケティング戦略を担当していたリー・アイアコッカは、コンパクトでスポーティーなモデルを提案する。それが1964年に発売された「マスタング」である。ポニーカーと呼ばれるジャンルを切り開いた画期的なモデルだった。
クルマのスポーティーさをアピールするには、フォードは古臭いブランドだった。イメージアップするには、レースで結果を出すことが確実な方法である。手っ取り早く勝利を手にするためには、実績のあるチームを傘下に収めればいい。スクーデリア・フェラーリならうってつけだ。アイアコッカはイタリアに渡り、マラネロに赴いた。
エンツォとヘンリー2世の確執
フェラーリは資金的な安定を得ることができ、フォードはレースの勝利でブランドイメージを手に入れる。ウィンウィンの関係なのだから交渉は簡単にまとまりそうだ。しかし、フェラーリを率いるのはコメンダトーレことエンツォである。レースにすべてをささげる彼と大企業の論理は水と油だ。レースのマネジメントで最終決定権をフォードが持つと告げられて激怒。交渉は決裂し、エンツォはアイアコッカに「醜い工場で醜いクルマをつくってろ!」と言い放つ。
事の次第を聞いたフォード社長のヘンリー2世は色をなした。「ベストエンジニアとベストドライバーを集めろ!」と命じ、ル・マンでフェラーリを倒すことを最優先事項に掲げる。こうしてフォードとフェラーリの対立構造が決定したのだ。映画はもちろんアメリカの大企業とイタリアの工房との闘いを描くわけだが、それだけではない。対立構造はほかにもあったのだ。
勝利のために呼ばれたのは、キャロル・シェルビーとケン・マイルズである。シェルビーは1959年にル・マンに出場し、アストンマーティンに初優勝をもたらした。豪快な走りは高く評価されていたが、心臓疾患が発覚して引退を余儀なくされる。彼はレーシングコンストラクターのシェルビー・アメリカンを設立し、高性能なマシンの開発に力を注いだ。最初に手がけたのが「コブラ」である。イギリスのACカーズが販売していたロードスターにフォードの4.2リッターV8エンジンを載せたマッスルカーだ。シェルビーはマスタングのチューニングにも関わり、フォードと良好な関係を築いていた。
ケン・マイルズはイギリス出身のレーシングドライバーである。1950年代のはじめにロサンゼルスに移住し、SCCAのレースなどで活躍した。優れたエンジニアでもあった彼は、シェルビーと組んでマシンの開発にも関わることになる。
大企業vs職人の意地
無鉄砲でけんかっ早いケン・マイルズと、テキサスの農家出身でカウボーイハットがトレードマークのキャロル・シェルビー。2人は最強のコンビだったが、大企業のフォードとは水が合わない。これが2つ目の対立構造である。大企業の論理と職人の意地は、事あるごとにぶつかりあった。彼らはむしろスクーデリア・フェラーリのほうに共感を抱いていたはずである。
映画では、フォードの副社長レオ・ビーブが敵役として描かれている。鼻っ柱が強いマイルズを嫌って排除しようとする官僚的で高慢な男というキャラなのだ。2人の張り合いの間に立って苦労するのがシェルビーである。レースチームに限った話ではなく、さまざまな職場で似たような状況が出現しているに違いない。
ただ、彼らはスピードのために命を危険にさらしている。安易な妥協などできるわけがない。以前この欄で紹介した『ラッシュ/プライドと友情』で描かれたように、当時のレースでは事故で人が死ぬことが珍しくなかった。ギリギリの極限状況で勝利を求める男たちのドラマなのである。
シェルビーをマット・デイモン、マイルズをクリスチャン・ベイルが演じる。この2人の息が合っていることが、映画にリアリティーと活力をもたらしている。彼らの友情が心に迫るのだ。カメレオン俳優のベイルはマイルズに寄せようとしているものの、ソックリとは言えない。シェルビーも含め、エンツォやヘンリー2世、アイアコッカなども大して似ていない。ビジュアルではなく、彼らの魂を見せようとしているのだ。
ジョージア州にサルトサーキットを再現
レースシーンの再現には、最大限の努力が払われている。ロケが行われたのはル・マンではない。現在のサルトサーキットは改修が重ねられて近代的なコースに生まれ変わってしまった。制作陣はアメリカのジョージア州に観客席とピットを建設し、多数のレーシングカーレプリカを持ち込んで撮影したのだ。
CGは極力排し、実際にサーキットを走行するマシンに特製のリグを組んだカメラカーが並走した。テールトゥノーズ、サイドバイサイドのバトルが、迫力のある映像となっている。ベイルは撮影前にスタントドライバーの指導を受けてトレーニングを行っており、スピードにつかれた男を見事に演じた。鬼気迫る映像は、熱い男たちによって生み出されたのである。
2つの対立構造により、物語はダイナミックに進行する。2時間半があっという間だ。エンターテインメントとして上出来だが、もちろんわかりやすくするために単純化されている。リーブはただの悪役ではないし、シェルビーやマイルズも多くの葛藤を抱えていた。ライバルのフェラーリも、開発の遅れやドライバーの対立などの問題に苦しんでいたのである。詳細な事情を知るためには、『フォードvsフェラーリ 伝説のル・マン』(祥伝社)を読むことをお勧めしたい。
事実をもとにしてはいるが、50年以上前のレースで起きたことを知らない人も多いだろう。幸福なことである。何も知らずにこの映画を観れば素晴らしいときめきと喜びが得られるはずだ。残念ながら、スッキリとした結末にはならない。苦い悔恨と無念が残るだろう。しかし、それは本気で最強の敵に立ち向かった結果である。だからこそ、彼らは伝説になったのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。