第68回:ラウダvsハント――あの頃のF1は熱かった!
『ラッシュ/プライドと友情』
2014.02.04
読んでますカー、観てますカー
レースが白熱すれば映画も豊作
レースやラリーを扱った映画の中で、ナンバーワンはどの作品だろう。1966年の『男と女』を挙げる人は多そうだ。モンテカルロ・ラリーやルマン24時間レースが舞台で、「フォード・マスタング」や「フォードGT40」が登場する。『グレートレース』や『グラン・プリ』が同時期に公開されていて、レースが盛り上がっていた時代だからこその豊作なのだろう。
21世紀になってからの作品を見ると、『ドリヴン』や『スピード・レーサー』なんていう悲惨なラインナップになってしまう。ウィル・フェレルとサシャ・バロン・コーエンが出ていた『タラデガ・ナイト オーバルの狼』は頑張っていたが、まあ、ドタバタ映画だ。現実のレースが白熱していなければ、映画だって面白いものにはならない。
『ラッシュ/プライドと友情』が1976年のF1を題材にしたのは、いい選択だったと思う。ニキ・ラウダとジェームス・ハントが主人公である。F1で男たちの熱い戦いが繰り広げられていた頃の話だ。情熱や勇気が支配していたと言えば聞こえがいいが、有り体に言えば野蛮な時代だった。映画の冒頭では、「毎年25人中2人が死ぬ」というセリフがある。現在のF1とは、安全性の面で雲泥の差があった。今ではレースよりもスキーのほうが危険だったりもするが、あの頃ドライバーたちは常に死と隣り合わせだったのだ。
色男ハントと非モテのラウダ
1976年のF1ということは、もちろん“あの話”である。史実どおりに描かれるので、知っている人なら結末がわかっているはずだ。それが感興をそぐようなことはない。高畑勲の『かぐや姫の物語』だって、よく知っているストーリーだから退屈だなんて人はいないはずだ。
物語は、ラウダとハントがまだF2で走っていた時から始まる。草レースのような簡素なサーキットに、ハントは「オースチン・ミニ クーパーS」でさっそうと現れる。スポンサーのヘスケス卿とシャンパンを酌み交わし、まわりには美女が群れている。一方、地味で見栄えのしない男もいた。ラウダである。出っ歯でちんちくりん、まったくモテそうにない。
ラウダを演じるのは、ダニエル・ブリュールだ。『グッバイ、レーニン!』での親孝行でけなげな息子役が印象的だった彼である。『コッホ先生と僕らの革命』のマジメな先生役もよかったし、本当はそこそこのハンサムである。カツラと付け歯でわざとブサイクにしているのだ。ラウダ本人にしてみれば、ずいぶん失礼な話だ。彼はスペイン生まれのドイツ人で、英独仏西の4カ国語を話す。ラウダに会いにいって、オーストリアなまりの英語をマスターしてきたそうだ。
ハント役は、クリス・ヘムズワースである。別の映画館に行くと、『マイティ・ソー ダーク・ワールド』ででっかいハンマーを振り回している。長髪のイケメンなのはどちらの役も同じだが、この映画ではひどい女たらしなのに『マイティ・ソー』ではナタリー・ポートマンをいちずに愛し続けるという正反対の性格だった。現実のハントは生涯に5000人以上の女性と付き合った(というか、たぶん精神的な交流はない)というし、東京のヒルトンホテルに2週間滞在していた間に英国航空の客室乗務員33人と関係を持ったというからスゴい。
運命のドイツGP
ラウダは女性にはまじめに向き合う。パーティーの帰りに女性の運転する「プジョー504」に乗せてもらうが、エンジンルームからの音を聞いて彼が予言したとおりエンコしてしまう。「ランチア2000ベルリーナ」で通りがかった若者がふたりを乗せてくれて、女性は自分の美貌が功を奏したのだと思いこむ。しかし、もちろん彼らはフェラーリのドライバーであるラウダに気づいたのだ。この女性が、将来妻となるマルレーヌ(アレクサンドラ・マリア・ララ)である。
ラウダはフェラーリ、ハントはマクラーレンのドライバーズシートを手に入れ、運命の1976年がやってくる。前年に初のワールドチャンピオンとなったラウダはこのシーズンも好調で、9戦目のイギリスGPまでに5勝をあげていた。対するハントは、わずか1勝しかしていない。
迎えたドイツGPの決勝当日、ニュルブルクリンクは雨に見舞われる。ラウダはレースを中止するよう訴えるが、ハントをはじめとする他のドライバーたちの主張が通ってレース決行が決まる。ラウダはレース序盤に高速コーナーでコントロールを失いフェンスを突き破って岩に激突。マシンは炎に包まれ、彼は全身にやけどを負う。命は助かったものの、右耳の半分を失うほどの重症だった。
治療を続けるラウダがテレビで見たオランダGPでは、ハントが表彰台の真ん中に立っていた。大きな差をつけていたドライバーズポイントが、どんどん詰まってきている。ラウダは傷の癒えていない頭に無理やりヘルメットをかぶり、事故からわずか42日後のイタリアGPに出場した。復帰第1戦でいきなり4位に入賞するが、ハントは第14戦、15戦と連勝する。最終戦となったF1イン・ジャパンを迎えた時、ラウダのリードは3点となっていた。
サーキットの背景に幻の富士山が
日本における初のF1レースは、富士スピードウェイで10月24日に決勝が行われた。この映画のクライマックスは、日本が舞台である。ただ、実際に富士のコースで撮影が行われたわけではない。CGの技術というのはたいしたもので、悪天候の中でどす黒く浮かび上がる富士山は幻なのだ。どこかに星野一義か長谷見昌弘が映っていないか目を凝らしたが、残念ながらそういうサービスはないようだ。代わりに、妙なイントネーションの日本語が聞こえてきた。
実際に行った人に聞くとこの日の雨は本当にひどく、とてもレースを行える状態ではなかったそうだ。それで例の事件が起きるわけだが、実際に何が起きたか知らない人は、わざわざ調べたりせずに観にいったほうがいいだろう。知っていてもつい手に汗を握ってしまうのは、臨場感のある撮影のおかげだ。1シーンに30台以上のカメラを使ったそうで、思いもよらないアングルから走行シーンをダイナミックに見せてくれる。少し黄色がかった粗い画面も、70年代っぽさをかもし出している。
プレス資料には、親切にもF1ガイドがとじ込みで入れられていた。そもそもF1とは何なのか、F1マシンは何が優れているのかといった基礎知識が、ていねいに解説されている。そうしなければ、この映画を理解できない人が多いということだろう。1980年代には誰もがF1についてひととおりの情報を持っていたものだが、ホンダもトヨタも撤退して地上波での放送がない状況ではこんなものなのかもしれない。
小林可夢偉がシートを手に入れ、ホンダの再挑戦も決まったのだから、そろそろF1人気が復活してきてもいいはずである。デキのいいレース映画が登場して、F1が面白くなってきそうな気がなんとなくしている。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。