第214回:衝撃のウルトラバイオレンスラブストーリー
『初恋』
2020.02.28
読んでますカー、観てますカー
暴力を描いてきたあの監督が恋愛映画?
これは、事件である。あの三池崇史監督の最新作が『初恋』というタイトルなのだ。これまで極道や黒社会をテーマに凄惨(せいさん)な暴力を描いてきた巨匠が、初めて恋愛映画を手がけたという。イーライ・ロスのスプラッター映画『ホステル』では、殺人体験を提供する秘密クラブにやってくる顧客を喜々として演じたのがとても似合っていた三池崇史である。恋愛なんて軟弱な題材とは最も遠い場所にいた男ではないか。
「仕事は来たもん順に受ける」と公言しているから、どこかの間抜けなプロデューサーが間違えてオファーしてしまったのかもしれない。『ヤッターマン』とか『忍たま乱太郎』とか、以前にもどうして引き受けたのかわからない作品もあった。それにしても、あまりにもベタなタイトルだ。初めての恋が描かれるのでなければ詐欺である。ちょっと心配なのは、宣伝のビジュアルが不穏な空気に満ちていることだ。主人公2人はともかく、ほかの登場人物の眼光が恐ろしく鋭い。まるでVシネのジャケ写のようである。
しかし、プレス資料には「さらば、バイオレンス」と墨文字でしたためてある。御池監督も今年還暦を迎えることになり、これまでの悪行を反省して真人間になろうとしているのだろう。これからは、愛というポジティブな感情を映像として見せていこうと意気込んでいるに違いない。
……期待は3分で裏切られた。中国人マフィアがフィリピン人の男の首をかき切るシーンが大写しにされたのだ。三池崇史は、やはりブレない男だった。年はとっても意気は衰えていない。コンプライアンスに背を向けて修羅の道をゆく。この映画では、日常茶飯事のように人が死ぬ。何人死んだか、途中で数えるのをやめてしまった。
歌舞伎町でボーイ・ミーツ・ガール
三池節に満ちてはいるが、恋愛映画であるというのもウソとは言い切れない。ボーイ・ミーツ・ガールの物語なのである。出会いの舞台となるのは、新宿歌舞伎町。最近はかなり安全になってきたとはいえ、裏にまわれば今もヤバい連中がうろつく大歓楽街だ。路地を走ってきたモニカ(小西桜子)が「助けて……」とつぶやくのを聞いて、葛城レオ(窪田正孝)は彼女を追いかけてきた男を殴って失神させてしまう。
レオは将来を期待されているボクサーだった。反射的に手が出てしまうのは仕方がない。モニカは父親の借金のカタとしてヤクザにとらわれ、売春をさせられている。追いかけてきた大伴(大森南朋)は刑事だが、ヤクザの加瀬(染谷将太)と組んで組織の扱うシャブを横取りしようとしていた。モニカとレオは彼が落とした警察手帳を持って現場を離れる。
レオは脳に大きな問題を抱えており、余命はわずかだと宣告されたばかりだった。生きる希望を失った彼は自暴自棄になっていて、モニカと行動をともにすることにした。どうせ、短い命なのだ。モニカだって、もう何も失うものはない。かくして、未来の見えない2人の逃避行が始まる。
加瀬はシャブを手に入れていたが、手違いがあってチンピラのヤス(三浦貴大)を殺してしまった。ヤクザの事務所は大騒ぎになる。働かせていた女が行方不明になり、シャブが消え、手下が1人殺されたのだ。こんな挑発的なことをするのは、以前から対立してきたチャイニーズマフィアに決まっている。組の総力をあげてヤツらに報復しなければメンツが立たない。
ベッキーの怪演に注目
歌舞伎町で行われたロケが臨場感たっぷりである。監督をはじめ、スタッフが日ごろから出入りしている地域なのだろう。実際に裏社会の面々が仕切っている場所で撮影するには、顔のきく人間が手配する必要があったはずだ。映画の中で火事が発生する場面は、ハプニングだったという。消防車が消火作業を始めて警官が駆けつけるのをそのまま撮影した。歌舞伎町を知り尽くしているから、臨機応変の撮影ができるのだ。
レオは裏路地の小さな上海料理店でバイトしている設定だが、この店は実在する。店内では中国語が飛び交い、日本にいるとは思えない雰囲気に包まれる。メニューにはムカデやサソリなどの写真が載せられていてちょっとビビるが、普通の料理はとてもおいしいのでオススメだ。風林会館向かいの細い道を入ったところにある。
若いカップルとヤクザ、悪徳刑事、チャイニーズマフィアが入り乱れて歌舞伎町を走りまわるので、どうしても不測の事態が発生する。特に加瀬がおっちょこちょいで、何度もうっかり人を殺してしまうのだ。「ジープ・ラングラー」で前進後退を繰り返して組員をじっくり殺すところなど、三池イズムが存分に発揮されている。
そして、輝いていたのがベッキーである。加瀬に殺されたヤスの情婦ジュリを演じた彼女は、毛糸のパンツが丸見えなのもいとわない。目には狂気が宿り、包丁を持ってはだしで駆けまわるのだ。何かがのりうつったような熱演である。最大限の賛辞を送りたい。私生活で何かあったらしいが、これだけの振り切った演技ができる逸材はどんどんキャスティングすべきだ。
立体駐車場でカーチェイス
ほかの俳優も、いつもより濃い顔つきをしている。塩見三省、内野聖陽、村上 淳といった面々は善人の役もやっているが、もとから悪人だったようにしか見えない。彼らが影の部分を強調することで、モニカとレオの不幸が薄まって見えるのだ。対照の妙である。
歌舞伎町を離れ、逃走劇は郊外へと場所を移す。ロケに使われたのは、ホームセンターのユニディ狛江店だ。DIYの店だから、武器になるものがたくさん並べられている。アントワーン・フークア監督の『イコライザー』でもホームセンターが決戦の舞台になっていた。店内が広いことが撮影に向いているのだろう。
ホームセンターには、広い駐車場が付きものである。最後はその中でカーチェイスが行われるのだ。日本の現状では、公道での撮影は難しい。三池監督は『藁の楯』を撮影した時、クルマや新幹線を使ったアクションシーンを撮るために台湾ロケを敢行している。クローズドの立体駐車場を使ったのは苦渋の選択だったのだろう。チャイニーズマフィアがなぜか「いすゞ・ベレットGT」で登場するシーンがあったりして、スタッフにはクルマ好きがいたようなのだ。
予算が限られているから、クラッシュして破壊されたのは「日産エルグランド」1台だけ。最後の見せ場で激走するのは、「トヨタ・センチュリー」である。本当は壁に激突させたかったようだが、予算的に難しかったらしく便法を使っている。世界中にファンを持つ三池監督が万全の体制で映画を撮ることができないのは恥ずかしいことである。しかし、限られた条件の中で、きっちりと結果を残した。プロの仕事である。一応ちゃんと恋愛映画の体裁はとっているので、デートで観に行ってもOKのはず。責任は持てませんが。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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