第644回:ドイツ生まれの海外育ち!? 海外市場におけるメルセデス・ベンツの歩みを知る
2020.02.28 マッキナ あらモーダ!ウイルスに屈する自動車企業
今回はダイムラーと、そのいちブランドであるメルセデス・ベンツが、歴史上どのように海外市場と関わってきたかを考察してみたい。
新型コロナウイルスは2020年2月下旬になってイタリア、特に北部でその影響が報告されるようになった。当局の対応は意外に早く、2月の第4週末にはサッカー・セリエAの試合やミラノ・スカラ座の公演が中止され、ベネチアのカーニバルも会期の繰り上げ終了が決定された。
本稿を執筆している2月25日の時点では、感染者の多くは北部で存在が判明している。目下のところ、筆者の住むシエナで感染者は発生していないが、緊迫の度合いは増している。にもかかわらず、見上げれば青空が広がっている。アルベール・カミュの小説『ペスト』で主人公の医師が、疫病がまん延した街から見下ろす青い海が普段と同じ風景であった、という旨の記述があったことを思い出した。特別な事態を取り巻く自然環境というのは、このようなコントラストをもって人間の目に映るものなのだろう。
新型コロナウイルスの影響は、自動車業界にも波及している。2月24日、FCAは各地の工場で部外者の訪問を制限した。設計会社であるイタルデザイン・ジウジアーロも従業員の1人が新型コロナウイルスの陽性反応を示したことに対処すべく、23日から工場を閉鎖している。
新型コロナウイルス問題において、自動車業界で業績低下という観点からいち早く憂慮を示したのは、今回のテーマであるダイムラーだ。
2月21日、同社はアニュアルリポートの中で「リスクは販売台数の推移に影響を及ぼすだけでなく、生産、調達市場、およびサプライチェーンにまで重大な悪影響をもたらす可能性がある」としている。
ダイムラーのオラ・ケレニウスCEOにとっては、昨2019年の前年比純利益マイナス64%という結果に匹敵する、深刻な事態だ。
さらに、ウイルスの発生源とみられる中国が、ダイムラーにとって単独マーケットとしては世界最大であることを考えると、これは痛い。
そのダイムラーおよびメルセデス・ベンツは、ドイツの自動車産業の象徴といえる。
しかし歴史をひもとけば、各時代において国外の最適なマーケットを的確に見いだしてきた企業(ブランド)でもある、というのが以下のストーリーである。
拡大 |
フランスとアメリカ、そして日本で
始まりは、ゴットリープ・ダイムラーが自動車を発明してからわずか10年ちょっとしかたっていない19世紀末の南仏ニースにまでさかのぼる。
オーストリア=ハンガリー帝国の外交官にしてビジネスマンでもあったエミール・イェリネックは、自動車黎明(れいめい)期から運転に親しんでいた。
当初は「ド・ディオン・ブートン」「レオン・ボレー」といったフランス車に乗っていたイェリネックだが、1897年にはドイツに赴いて、最初のダイムラー車を購入する。
ただし、そのクルマは最高速が20km/hにしか達しなかったため、40km/hでの走行が可能なクルマを注文し直した。
翌1898年からはニースの上流階級を相手に、自らダイムラー車の販売を始める。
だがドイツ語の「Daimler」の響きはあまり優雅なものではなかったので、愛娘(まなむすめ)の名前をとって「メルセデス」と名付けた。
つまり、メルセデスというネーミングは、当時の欧州屈指の自動車普及国、フランスのマーケットに沿ったのが始まりだったのである。
その後、メルセデスはダイムラー製品の名称として商標登録される。
さらに、1926年にはダイムラー・モトーレンとベンツ&カンパニーが合併し、ダイムラー・ベンツ(メルセデス・ベンツブランドも)が誕生する。
続く話は第2次世界大戦後、戦勝景気に沸くアメリカ合衆国である。
ニューヨークを舞台にフランス車やイタリア車の輸入商をしていたマックス・ホフマンは、1952年にメルセデス・ベンツ車の輸入を開始する。
やがて彼は、ドイツのダイムラー・ベンツ本社に赴く。そしてプロトタイプレーシングカーとして開発され、商品化予定のなかった「300SL」の量産化を提案するとともに、1000台を予約発注する。1954年のニューヨーク国際オートショーで発表されたそれは大きな人気を呼び、自動車史上初の、主要メーカーによる米国向け量産輸出車となった。
今日、アメリカ合衆国は中国に次いで大きな単独マーケットであり、世界のメルセデス・ベンツ乗用車販売の16%は北米大陸が担っている。アラバマの工場では「GLE」「GLEクーペ」「GLS」、そして「Cクラス」を生産している。
そして、アメリカでの成功とは規模が異なるが、メルセデス・ベンツを語る際、日本市場の存在にも触れる必要があろう。
1970年代末、メルセデス・ベンツは従来の「コンパクトクラス(のちの「ミディアムクラス」)」よりもさらに小型の商品を計画した。のちの「W201」、日本では「190E」として知られたモデルである。石油危機とそれに伴う燃料高騰が背景とされている。だが、1678mmの全幅は当時日本の税制面で有利だった5ナンバー枠に収まるものであり、明らかに日本市場を考慮したものであったのは間違いなかろう。
W201は1985年にヤナセによって日本で「私のベンツ」というキャッチフレーズとともに発売され、メルセデス・ベンツ車の普及に大きく貢献した。
拡大 |
拡大 |
拡大 |
拡大 |
拡大 |
全方位的な中国ビジネス
その次にメルセデス・ベンツが成功を収めたのが、冒頭で記した中国であった。
2001年にダイムラー・グレーター・チャイナ社を北京に設立。続いて2005年には北京汽車(北汽)と合弁で「Eクラス」の現地生産を開始した。
筆者が取材した北京や上海のモーターショーのプレゼンテーションでは、「Made in China for China」のスローガンが、当時のディーター・ツェッチェCEOのプレゼンテーションでたびたび用いられてきた。
2018年の生産台数は48万台に達し、従業員数も1万1500人を数える。現在、北汽との合弁工場では「Aクラス」「Cクラス」「Eクラス」に加えて、SUVの「GLA」と「GLC」を製造している。標準ボディーだけでなくロングホイールベース仕様もつくっているのが中国らしい。
さらに2019年秋には、電気自動車(EV)の「EQC」も生産を開始した。
さらに北汽にとどまらず、ダイムラーと中国との関係は、全方位的ともいえる発展をみせている。
福建ベンツ(「Vクラス」を生産)、北京福田ダイムラー(トラックを生産)といった合弁工場がある。
加えて電池メーカーとしても有名なBYD(比亜迪)とのジョイントベンチャーは、2014年からEV「デンツァ」を生産している。
2018年に浙江吉利控股集団(ジーリー)がダイムラー株の約10%を取得したという知らせは、業界のみならずドイツ政界にも衝撃を走らせた。
ただし、その吉利とは翌2019年、小型車ブランドであるスマート株の50%を取得してもらうことで合意。全車がEVとなる次期スマートを中国で共同開発・生産することで合意した。
研究開発拠点としても、中国はダイムラーにとって重要な役割を果たしてくれた。
2009年にはアドバンスドデザインスタジオを開設。さらに、2014年に設置済みのものに加えて、北京市内で2カ所目となる新たなR&Dセンターを北京に開設する(2020年稼働予定)。
2018年には北京でバレットパーキングの実証実験をスタート。同時に、海外メーカーとして初の自動運転レベル4実証実験の認可を当局から取得している。
こうしたことからCASE関連の巨大な実験フィールドとして、今後も中国が活用されることは間違いない。
未来は新CEOに託された
このようにダイムラーはドイツを本拠地としながらも、歴史的に俯瞰(ふかん)すると、それぞれの時代、それぞれの国で有能なコラボレーターやジョイントベンチャーに恵まれながら成長してきたことがわかる。
極論すれば“ドイツ生まれの外国育ち”なのである。
長期的に見て今から気になるのは、中国市場の飽和である。2019年の中国自動車販売は、2年連続の前年割れであった。新型コロナウイルス問題により、2020年の販売回復は絶望的だろう。
将来ダイムラーは、中国に次ぐ新たな大市場を地球上のどこに見いだすのか。
昨2019年にCEOに就任したオラ・ケラニウス氏は、1969年スウェーデン生まれ。前任のディーター・ツェッチェ氏からすると16歳若返ったことになる。ツェッチェ氏やその前任であるユルゲン・シュレンプ氏がエンジニア出身であったのに対し、各国の大学で財務やマネジメントを専攻したケラニウス氏のもと、世界最古の自動車メーカーは、どのような方向に導かれてゆくのか。今から楽しみだ。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
拡大 |

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第970回:クルマの背中に浮かぶ文字たち――空いた字間が語るもの 2026.7.16 アナタは自動車のボディー背面に施されたメーカー/ブランドのロゴについて考えたことがあるだろうか? 字間を詰めたり、広げたり、時代によって変わるそのトレンドと、その背景にあるメーカーの思惑を、自動車史にも精通する大矢アキオが語る。
-
第969回:裏地に『大脱走』! ピッティ・イマージネ・ウオモと自動車模様 2026.7.9 イタリアで開催された世界屈指の紳士モード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」を、現地在住の大矢アキオが取材。自動車にまつわるアパレルの最新トレンドを探り、新興ブランドのひたむきさと、老舗の刻んできた年輪に触れた。
-
第968回:初代「ルノー・トゥインゴ」は「フィアット500」と同じ旋風を起こせるか? 2026.7.2 リバイバルデザインの新型「ルノー・トゥインゴ」がデビューしてはや3カ月。このクルマの登場により、オリジナルにあたる初代がネオヒストリックとして脚光を浴びることはあるのか? 「フィアット500」の例を振り返りつつ、欧州在住の大矢アキオが考察する。
-
第967回:初代「トヨタ・クラウン」や“ヨタハチ”が「ミッレミリア」を走った! 2026.6.25 イタリアの歴史あるヒストリックカーラリー「ミッレミリア」に、日本のクルマが初めて参加! 石畳の道を行く初代「トヨペット・クラウン」に「トヨタ・スポーツ800」「2000GT」「スープラ」の姿を、現地在住の大矢アキオがリポートする。
-
第966回:フェラーリ・ルーチェ 地元イタリアで一般人はこう見た&大矢的こころ 2026.6.18 その斬新すぎるデザインで物議を醸している、フェラーリ初の量産電気自動車「ルーチェ」。このクルマは、おひざ元のイタリアではどのように受け止められているのか? かの地において自動車史と自動車文化をつぶさに見てきた大矢アキオがリポートする。
-
NEW
第340回:一にエンジン、二にカッコ
2026.7.20カーマニア人間国宝への道清水草一の話題の連載。マツダ渾身(こんしん)のラージ商品群を応援するカーマニアのひとりとして、「CX-60」と「CX-80」の動向は常に気になっている。3列シートSUV、CX-80の最新モデルにあらためて試乗して感じたこととは? -
NEW
日産は“再挑戦”でホンダは“終了” 新型「エルグランド」発売に見る、プレミアムミニバンの今
2026.7.20デイリーコラムトヨタが圧倒的なシェアを占める上級ミニバンの世界において、新型「エルグランド」で復権をねらう日産。しかし、なぜフルモデルチェンジは16年ぶりになったのか? ホンダはどうするのか? この市場の今を考察する。 -
NEW
ホンダ・インサイト(FWD)【試乗記】
2026.7.20試乗記3000台の限定で販売される新型「インサイト」は、クロスオーバー風のフォルムと、これまでのホンダ車にはなかった内外装のデザインテイストが新鮮だ。中国で生産され、日本独自の名前が与えられた新型電気自動車の走りと仕上がりを、ロングドライブで確かめた。 -
ポルシェ911カレラT(後編)
2026.7.19ミスター・スバル 辰己英治の目利きスバルとSTIでクルマの走りを鍛え、モータースポーツにも積極的に取り組んできた辰己英治さん。彼の目に、“スポーツカーの水準器”こと「ポルシェ911」はどのように映ったのだろう? 走りの楽しさを追求した「カレラT」グレードに乗っての印象を聞いた。 -
ホンダCB750ホーネット(6MT)【レビュー】
2026.7.18試乗記ホンダのスポーツネイキッド「CB750ホーネット」が、話題の「E-Clutch」を獲得。ライディングの幅を広げる自動クラッチシステムは、パンチの利いた2気筒のストリートファイターにどんな走りをもたらすのか? その仕上がりを確かめた。 -
人気沸騰「ランクル“FJ”」を手にするもうひとつの方法
2026.7.17サブスク「KINTO」で「ランドクルーザー“FJ”」に乗る<AD>2026年5月に発売されるやオーダーが集中し、受注停止となってしまった「ランドクルーザー“FJ”」。しかし、あきらめるのはまだ早い。“FJ”とのカーライフを実現できる、トヨタの新車サブスクリプションサービス「KINTO」という手段があるのだ。









