F1とスポーツカーレースの双方で活躍

初のGPレース出場は1951年のスイスGPで、英国製のHWMでスポット参戦し、53年までERAやコンノートなど英国製マシンで出場を続けたが、入賞は果たせなかった。

本格的にF1GPへの参戦を開始したのは1954年であった。この年から、休眠していたダイムラー・ベンツが近代的なマシン「W196」で復帰することを知ったモスは、ドライバーに名乗りをあげたものの、まず勝てるドライバーであることの証明が先だと、門前払いを食らってしまった。奮起したモスは、市販GPカーである「マセラティ250F」を購入すると、英国のノンタイトル戦で2回の優勝と、ベルギーGPで3位に入る活躍を示し、晴れて1955年にはファン・マヌエル・ファンジオのナンバー2ドライバーとしてダイムラー・チームに採用された。

ダイムラー時代のモスは、名手ファンジオの後塵(こうじん)を拝していたが、第6戦イギリスGPで予選1位から優勝を果たし、英国のファンを驚喜させた。スポーツカーレースではファンジオと形勢が逆転し、W196のスポーカー仕様である「300SLR」の緒戦となった第3戦ミッレミリアでモス/デニス・ジェンキンソン組が勝ち、9月のTTレース、最終戦タルガ・フローリオでもモスが勝って、ダイムラーにマニュファクチャラーズタイトルをもたらす原動力となった。モスがミッレミリアで記録した平均速度157.7km/hは大会新記録で、1957年のミッレミリア終焉(しゅうえん)まで破られなかった。

1955年にダイムラー・ベンツのF1チームに抜てきされたモスは、母国のイギリスGPで完璧な勝利を果たした。(Daimler)
1955年にダイムラー・ベンツのF1チームに抜てきされたモスは、母国のイギリスGPで完璧な勝利を果たした。(Daimler)拡大
1955年ミッレミリアで「メルセデス・ベンツ300SLR」に乗ったモスは、2位のファンジオ組に30分もの大差をつけて新記録で優勝を果たした。(Daimler)
1955年ミッレミリアで「メルセデス・ベンツ300SLR」に乗ったモスは、2位のファンジオ組に30分もの大差をつけて新記録で優勝を果たした。(Daimler)拡大
スターリング・モス(右)とナビゲーターのデニス・ジェンキンソン(左)。ジャーナリストのジェンキンソンはモスのために完璧なペースノートを作成し、入念な練習を重ねて臨んだ。彼が専門誌に寄稿した記事は、臨場感にあふれた参戦記の傑作と評されている。(Daimler)
スターリング・モス(右)とナビゲーターのデニス・ジェンキンソン(左)。ジャーナリストのジェンキンソンはモスのために完璧なペースノートを作成し、入念な練習を重ねて臨んだ。彼が専門誌に寄稿した記事は、臨場感にあふれた参戦記の傑作と評されている。(Daimler)拡大
1956年、グッドウッドでのスポーツカーレースで、「アストンマーティンDB3S」で豪快なドライビングを披露するモス。(Aston Martin)
1956年、グッドウッドでのスポーツカーレースで、「アストンマーティンDB3S」で豪快なドライビングを披露するモス。(Aston Martin)拡大
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