英国人の心をひきつけた“こだわり”

1956年はマセラティで過ごすが、57年以降はヴァンウォール、クーパー、BRM、ロータスと英国製マシンによってGPレースに出場を続け、ロブ・ウォーカー・チームから出場した1961年の第1戦モナコGPで、非力なマシンながら、ロータス社設立以来初となるF1GP優勝を果たし、6戦のドイツでもロータスに2勝目をもたらしている。こうした、GPレースでは可能な限り英国製マシンでの参戦にこだわり続けた姿勢に、畏敬の念を抱く英国人も少なくない。

モスは、1962 年春に引退を決意する大事故に遭うまで、11シーズンにわたってF1タイトル戦の66戦(開催回数は現在より少なかった)に出場し、16回の優勝を果たしている。だが、初期にはファンジオが、その後には強いマシンを追い求めた同郷のマイク・ホーソーンが先行したことで、モスは一度もチャンピオンの座につくことはなかった。1955~58年シーズンには4シーズン連続して2位に終わったが、1958年など“フェラーリ・ディーノ”に乗るホーソーンが1勝だけだったのに対して、クーパーとヴァンウォールを使い分けたモスは4勝を果たしたものの、着実にポイントを重ねたホーソーンが1ポイント差でチャンピオンの座についている。1959~61年は3年続けて3位にとどまった。これゆえに“無冠の帝王”とのありがたくない異名を冠されているほどだ。

また、モスほどの力量があればフェラーリなど有力チームから誘いがあってもおかしくはないが、モスはエンツォのためにはレースをする気にならなかったといわれている。

2000年1月に英国王室からナイトに叙され、サーの称号で呼ばれるようになった。ジャンルを問わず八面六臂(ろっぴ)の活躍を見せたスターリング・モスのような巨星は、専門化する今後のモーターレーシングの世界ではもう現れないだろう。

(文=伊東和彦/Mobi-curators Labo./編集=堀田剛資)

ダイムラー・ベンツの撤退に伴い1956年はマセラティに移籍して「250F」をドライブし、第2戦のモナコGPで優勝を果たした。この年はイタリアGPでも勝った。(Maserati)
ダイムラー・ベンツの撤退に伴い1956年はマセラティに移籍して「250F」をドライブし、第2戦のモナコGPで優勝を果たした。この年はイタリアGPでも勝った。(Maserati)拡大
1961年シーズンにモスが乗った2台のF1マシン。手前がモナコで勝ったロータス。後方はF1史上初の4WDマシン「ファーガソンP99」。モスを豪雨のオールトン・パーク・サーキットで行われたノンタイトル戦で優勝に導いた。(The National Motor Museum)
1961年シーズンにモスが乗った2台のF1マシン。手前がモナコで勝ったロータス。後方はF1史上初の4WDマシン「ファーガソンP99」。モスを豪雨のオールトン・パーク・サーキットで行われたノンタイトル戦で優勝に導いた。(The National Motor Museum)拡大
モスはフェラーリのワークスチームには加わらなかったが、英国の有力プライベートチームであるロブ・ウォーカーが所有する「250GT SWB」で活躍した。紺に白のストライプがウォーカーのチームカラーだった。(Ferrari)
モスはフェラーリのワークスチームには加わらなかったが、英国の有力プライベートチームであるロブ・ウォーカーが所有する「250GT SWB」で活躍した。紺に白のストライプがウォーカーのチームカラーだった。(Ferrari)拡大
モスは世界中のヒストリックカーイベントに招かれた。ヒストリック・モナコで1956年に自らが優勝した「マセラティ250F」とともに。(Maserati)
モスは世界中のヒストリックカーイベントに招かれた。ヒストリック・モナコで1956年に自らが優勝した「マセラティ250F」とともに。(Maserati)拡大
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