つかみかけた上昇の機運を手放す ホンダ「F1参戦終了」のなぜ
2020.10.07 デイリーコラム「3年で最高5位」から「2年で5勝」への飛躍
2020年10月2日、本田技研工業の八郷隆弘社長が発表した、ホンダが2021年でF1参戦を終了するというニュースは、F1関係者のみならず多くのモータースポーツファンに大きな衝撃と戸惑いを与えた。
本田宗一郎の英断で始まったF1第1期(1964年~1968年)、エンジンサプライヤーとして無敵を誇った第2期(1983年~1992年)、BARへのエンジン供給から、第1期以来となるシャシーを含めたオール・ホンダ体制へと移行した第3期(2000年~2008年)と、ホンダはF1に参戦しては撤退することを繰り返してきた。現在の第4期は、1.6リッターV6ターボハイブリッド規定の開始から1年遅れの2015年にスタートしたが、この挑戦も7年間で幕を閉じることとなった。
第4期の最初の3年間は、かつて8つものタイトルを勝ち取ったマクラーレンとの黄金コンビ復活となったものの、パフォーマンス、信頼性とも著しく低く、60戦して最上位5位、コンストラクターズランキング6位(2016年)がベストという散々な結果に終わった。険悪な関係となったマクラーレンと別れ、2018年にレッドブルのジュニアチームだったトロロッソと再出発。着実に信頼性と力を上げ、2019年には晴れて強豪レッドブルを含む2チーム体制を確立した。
その後の躍進は記憶に新しい。2019年のオーストリアGPでは、マックス・フェルスタッペンがホンダ復帰後初優勝を飾り、ハイブリッド時代の雄、メルセデスに強烈なカウンターパンチを食らわせた。この年は3勝と、フェルスタッペンにとって初となるポールポジション1回を記録。2020年はフェルスタッペンが70周年記念GPで優勝したのに加え、トロロッソからアルファタウリに改名したチームでピエール・ガスリーが劇的な優勝を遂げた。
これまで第4期で記録した勝利数は5勝。ターボハイブリッドとなってからの7年間で、ホンダは、パワーユニットを供給する2つのチームで勝利をおさめたことがある唯一のメーカーとなっている。
今季はレッドブルとともにタイトル獲得を目標に掲げたものの、残念ながらメルセデスに独走を許し、第10戦を終え174点も離されてのコンストラクターズランキング2位という状況。しかし、2チーム体制でパフォーマンス、戦績とも上向き、上昇の機運をつかんだかに見えていただけに、今回の「参戦終了」という発表は事程左様にショッキングであり、多くが「なぜだ?」といぶかしがるのだった。
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技術的な出遅れがもたらしたもの
既報の通り、ホンダはF1撤退の理由を環境対策、つまりカーボンニュートラルに経営資源を集中し、2050年までに燃料電池車や電気自動車へ軸足をシフトしていくためとしている。
ホンダのF1における環境というコンセプトは、第3期でも地球をイメージした奇抜な「アースカラー」を採用するなどしてエコロジーを訴求していたし、また第4期の正式発表の際もハイブリッド技術に着目し、「内燃機関のさらなる効率化や、ハイブリッドシステムなど、先進のエネルギーマネジメント技術を常に追求してきたホンダにとって、将来技術の開発や技術者の育成などにおいて大きな意義がある」と、やはり環境技術へのコミットメントを大々的にうたっていた。
しかし、環境問題が昨日今日に始まったものでもないことを考えれば、今回の撤退理由だけでは説得力を欠くというもの。カーボンニュートラルへかじを切ることはうそではなくても、それだけを理由にするのはやや無理があるように思える。
技術力向上への期待を胸に始まったホンダF1第4期だが、実戦までの準備が不十分だったことは否めなかった。正式な参戦表明は2013年5月。それから2年もたたない2015年3月の開幕戦に間に合わせようというのは随分と乱暴な計画だった。実際、マクラーレン・ホンダはまともにレーシングスピードで走ることすらできず、頻発するトラブルへの対応に追われるシーズンが3年も続くことになった。
新型パワーユニットの基礎研究を何年も続けてきたというメルセデスとは違い、大きな技術的ビハインドを背負っていたホンダに、早々にカスタマー=顧客がつくはずもない。マクラーレンとはワークス関係にあり、パワーユニットの費用はホンダ持ちとなるため、早めにカスタマーチームを増やし開発費に充てたかったはずだが、そうした方法も採りづらかった。またパワーユニットごとの勢力図が固定化された現状では、カスタマーを増やすことも難しくなった。
F1は参戦すること自体がビジネスである。例えばメルセデスは、年間数百億円という莫大(ばくだい)な投資の末にタイトルの常連となり、分配金やスポンサー料といった収入を得て、いまではF1チーム、パワーユニット部門とも高い収益性を誇る事業として成功している。
またマクラーレンの大株主も、先ごろウィリアムズを買収したドリルトン・キャピタルも、投資した分のリターンを期待する投資会社である。F1は技術の最前線であると同時に、ビジネスの最前線。ホンダがどのようなビジネスプランでF1にあたっていたのか、その詳細は部外者には分からないが、最初の技術的なつまずきが影響した可能性はあるだろう。
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ホンダは“F1の外から来たお客さん”だった
ホンダが、他のパワーユニットメーカーと決定的に違うところがある。メルセデス、フェラーリ、ルノーが自分たちのチームを持っているのに対し、ホンダはパワーユニットしか手がけていない点だ。これはF1へのコミットメントを表す大きなポイントである。
今年8月にF1とFIA(国際自動車連盟)、全チームが合意した「コンコルド協定」により、既存10チームの、2021年から2025年までのF1参戦継続が決まったが、パワーユニットメーカーはその限りではなく、チームとの契約さえ順守すれば出入りは自由なのだ。
F1の活動主体はあくまでチーム。第3期の2007年にオール・ホンダを率いたロス・ブラウン元代表は、著書『TOTAL COMPETITION』の中で、長年エンジンサプライヤーとして戦ってきたホンダには、「政治的な交渉力が欠如していた」と指摘している。F1とは、自らの利益をいかに引き出せるかという駆け引きの場でもある。交渉の場につくのはいつもチームであって、そのノウハウと戦略がなければ、いつまでたっても有利なポジションにつけないというわけだ。
技術力、経済力、そして政治力。今日のF1で生き抜くためには、この3つの力を高度に駆使しなければならない。果たしてホンダは、それぞれをどのように推し進めようと考え、どこまでF1にコミットするつもりだったのだろうか。
世界最高峰カテゴリーで一時代を築いたホンダでは、時折、“F1の虫”が起きてしまうことがある。F1に打って出たい、自分たちの腕を試し、鍛えたいという熱意は、この企業の奥底にいつも宿っている。だからこそ、4度も挑戦しては撤退を繰り返してきた。
しかし一方で、従業員数21万人以上、いまや世界規模の大企業となったホンダも、社内外の多くのステークホルダーに納得してもらわないといけないという経営上の宿命からは逃れられない。ホンダは、あえて“F1の外から来たお客さん”というポジションを維持することを選び、リスクを極力抑え、撤退という出口を残して、パワーユニットサプライヤーとしてF1に参戦するしかなかった。レースと市販車事業が直結するフェラーリとも、F1を通じたプレミアムブランドとしての価値向上をビジネスに生かしやすいメルセデスとも違う事情が、そこにはあったはずである。
とはいえ、ひとの情緒にじかに訴えるモータースポーツという観点からすれば、今回の決断は大変に残念だったと言わざるを得ない。フェルスタッペンの熱いドライビングでつかんだあの勝利の喜びをまた味わいたい、そしていつか頂点を極めてほしい、そんな思いは至極当然のファンの心情である。八郷社長は「レースはホンダのDNA」と言うが、レースの親玉ともいえるF1など、ファンなしには成立しないものだ。ようやく優勝できる環境が整ってきたこの時に、そのファンの期待に背くような撤退を決めることは、レース自体を否定しているようなものではないだろうか。
「ホンダといえばF1」という強固なイメージの結びつきは、ホンダをホンダたらしめるとともに、ホンダを苦しめる。伝説は美化されるが、現実はそう甘くはないからだ。そのことを一番分かっているのは、ホンダをおいて他にはないだろう。
(文=柄谷悠人)
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