ヤマハ・トリシティ300(CVT)
転ばぬ先のモビリティー 2021.01.26 試乗記 フロントに2つのタイヤが付いた、ちょっと変わったオートバイ。ヤマハが提案する新型三輪モデル「トリシティ300」に乗ったなら、普通の二輪車とはかなり違ったバイクライフが送れるに違いない。とっておきの特技がある
その日は、レインウエアが必要なほど雨が降っていた。普通の二輪取材なら己の行いの悪さにため息をつき、撮影を強行する編集部の無慈悲さを苦々しく思うところである。
しかしながら、用意されたのは普通の二輪ではなく、ちょっと変な三輪だ。2014年に発売された「トリシティ125」以来、ヤマハが力を注いでいる“LMWモデル”の最新作トリシティ300である。雨で滑りやすくなった路面は、テストとしては案外悪くない。
実際、三輪がもたらす接地感の高さは二輪の比ではない。ぬれたマンホールのフタなど、バイクにとっては恐怖の対象でしかないが、三輪なら挙動をほとんど乱すことなく通過。レインコンディションのサーキットなら、コーナーでスポーツバイクを追い詰め、あるいは引き離すことができるほど、すぐれたスタビリティーを発揮する。
LMWとは、Leaning Multi Wheelsの略称だ。複数のホイールをリーン(傾斜)させて曲がる乗り物のことを指し、つまり「見た目は三輪車だけど、走りはバイク」という意味がこもっている。子ども用の三輪車はハンドルを大きく切って曲がる必要があるが、その操舵方法とは根本的に異なるというわけだ。
ただし、子ども用三輪車には見逃せないメリットがある。タイヤのトレッド幅が広く、しかもリジッドのために車体が安定しているところだ。結果、ちょっとやそっとでは転びにくい構造になっている。
「だったらトリシティにも、その要素を加えればいいんじゃない?」という、実に素直な発想がトリシティ300の原点だ。それが「スタンディングアシスト」と呼ばれる機能で、一定の条件下でボタンを押せば、車体が左右に傾かないように固定することができる。これでどうなるのかといえば、両足を地面から離しても倒れることなく、停止していられるのだ。
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一度慣れたらやめられない
実は、兄弟モデルである「トリシティ125」も「トリシティ155」も、これができると思っている人が結構いる。見た目がいかにもどっしりとしているため、それこそ子ども用三輪車と同様、足を着かなくても自立していられるという誤解を生んでいるのだ。幾度か「普通に立ちゴケする」と説明したことがあるが、その時は一様に「だったら意味ないじゃん……」という失望のまなざしを受けた。
その点、トリシティ300は違う。信号や渋滞で停車した時、ハンドル左側のスイッチを押せば、「ピー」という電子音とともにフロントのリンクがロックされる。すると、足を出さなくてもスタンドをかけなくても自立。走りだす時は、スイッチを2度押しするか、スロットルを開ければロックが解除される。
ロックできる条件は、(1)車速10km/h以下、(2)スロットル全閉、(3)エンジン回転2000rpm以下という3つ。これをうまく利用すると、赤信号で停車する寸前にスイッチを押して止まり、青になればスロットルを操作して走りだすことができる。理屈上は、家を出てから帰るまで、ステップボードの上に足を載せっぱなしでいることも可能だ。
ただし、ヤマハはあくまでも補助機構であることを強調し、そういうスボラ運転をすすめていない。事実、車体が傾いていればその角度でロックされるため、注意が必要だ。その状態で足を着かずにバランスを取るのは難しく、できたとしても発進する時はかなりの確率でバランスを崩す。あまり横着をしてはいけない。
とはいえ、やはり慣れると楽だ。心理的なストレスや身体的な疲労が軽減されることは間違いなく、押し引きの際にこれを作動させれば、重い車体を楽に移動させることができる。うっかり倒すリスクは相当減るに違いない。
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移動の楽しみが変わってくる
ひとつ難点を挙げるなら、まさにその重さだ。車重は237kgあり、この数値は一般的な大排気量モデルと同等かそれ以上。全長やホイールベースは、同じLMWモデルの「ナイケン」より長く、スクーターというよりツアラーの雰囲気が色濃い。
そう、これはツアラーなのだ。ひとたび走りだせば、ライディングポジションも操作も安楽そのもの。防風効果は高く、シート下のスペースもたっぷりと確保されているため、ロングツーリングも難なくこなしてくれるはずだ。
なによりエンジンがいい。292ccの水冷4ストローク単気筒が発する最高出力は29PSである。237kgの車重に対していささか物足りないかと思いきや、吹け上がりにまどろっこしさはなく、軽やかな回転上昇とともに十分な加速力を披露。振動はほとんどなく、100km/h巡航時の余力もたっぷりと残されている。
トリシティ300が最も生きるのは、高速道路をメインに使ったタンデムツーリングに出かけ、疲労を感じたらスタンディングアシストに頼りつつ安全に帰宅する、そんな使い方だ。ライディングそのものよりも観光や食事を楽しむ移動ツールとして付き合った時に、本領が発揮されるのではないだろうか。
クルマでは安楽すぎるが、立ちゴケの不安を抱えながらバイクを操るのもちょっとおっくう。そんなユーザーの気持ちに応えてくれるモデルである。
そのため、理想を言えばグリップヒーター、シートヒーター、ETC車載器、タンデム用のバックレスト、可変式ウインドシールドといった快適アイテムを標準装備した仕様があるといい。さしずめ「トリシティ300GT」のような上位グレードが用意されると、特にリターンライダーから注目されるに違いない。
(文=伊丹孝裕/写真=郡大二郎/編集=関 顕也)
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【スペック】
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=2250×815×1470mm
ホイールベース:1595mm
シート高:795mm
重量:237kg
エンジン:292cc 水冷4ストローク単気筒SOHC 4バルブ
最高出力:29PS(21kW)/7250rpm
最大トルク:29N・m(3.0kgf・m)/5750rpm
トランスミッション:CVT
燃費:31.5km/リッター(WMTCモード)/38.4km/リッター(国土交通省届出値)
価格:95万7000円

伊丹 孝裕
モーターサイクルジャーナリスト。二輪専門誌の編集長を務めた後、フリーランスとして独立。マン島TTレースや鈴鹿8時間耐久レース、パイクスピークヒルクライムなど、世界各地の名だたるレースやモータスポーツに参戦。その経験を生かしたバイクの批評を得意とする。
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