第710回:問題がないほうが問題だ!? イタリアの街を走る古い韓国車に大矢アキオが注目
2021.06.17 マッキナ あらモーダ!立派になる前夜
デザイン的な視点だけで言えば、「テスラ・サイバートラック」と並んで筆者が欲しいと思う一台として、ヒュンダイのコンパクトクロスオーバーSUV「アイオニック5」がある。
2021年2月に発表されたこの電気自動車(EV)は、大胆なZ型のキャラクターラインを持つ。フロントフェイスの造形にも緊張感がみなぎり、なおかつ見る者に威圧感を与えない。
そのベースとなったのは2019年のフランクフルトモーターショーで公開されたコンセプトカー「ヒュンダイ45コンセプト」。これをかなり巧みに生産モデル化している。
イタリアでは2021年9月の発売予定で、価格は4万4750ユーロ(約597万円)からの設定だ。
気がつけば、街を走っている現行の韓国ブランド車も、ずいぶんと立派になった。
ヒュンダイと同じグループであるキアのSUVで、2021年に30周年を迎えた「スポルテージ」には2万5500ユーロ(約340万円)のプライスタグが下げられている。
ちなみにキアは2021年からコーポレートアイデンティティー(CI)を刷新。よりモダンになった。
しかしながら、街を走るクルマの60%以上が車齢11年超(データ出典:UNRAE)というイタリアである。
それがアイオニック5の祖先であるとはとても想像できないような、あるカテゴリーの韓国ブランド車が、今でも大量に走り回っているのだ。一体どのようなクルマだろうか。
フィアットの危機を尻目に
それは1990年代末から2010年前後に販売されたシティーカーである。欧州では「セグメントA」と呼ばれる最もコンパクトなカテゴリーに属していた。
具体的には大宇/シボレーの「マティス」とヒュンダイの「アトス」である。
両車とも、初代モデルのボディーサイズは全長が3495mm、全幅は1495mmであった。日本の軽自動車規格より95mm長く、15mm広かったことになる。
イタリア仕様における初期の標準エンジンは、マティスが0.8リッター3気筒で、アトスは1リッター4気筒であった。
この2台はイタリア市場で好評を博した。例として2008年までにマティスは、初代と2代目を合わせてイタリアで30万台以上が販売されている(データ出典:『クアトロルオーテ電子版』)。
筆者が考えるヒットの理由は、以下のとおりだ。
2000年代初め、フィアットの初代「パンダ」は“国民車”でありながら、デビューから20年が経過していた。加えて同社は経営危機の真っただ中にあり、後継車の開発については混迷の最中にあった。
参考までに初代マティスは、新世代の「チンクエチェント」(1991~1998年)やパンダの後継車としてジョルジェット・ジウジアーロがフィアットに提案しながらも採用されなかったプロジェクトが基となっている。フィアットはみすみすチャンスを逃したわけだ。
マティスやアトスは、チンクエチェントや初代パンダにはない5ドアボディーで、かつ価格も手ごろだった。そのため、シティーカーのユーザーにとっては格好の選択肢となったのだ。
2003年にボディーサイズが拡大された2代目パンダが発売されてからもしばらくの間、韓国勢はそのコンパクトなサイズと低価格から人気が衰えなかった。
マティスを例にとれば、1998年の標準モデルの価格は1525万リラだった。同じ5ドアの「フィアット・プント」標準モデルが1700万リラであったことを考えると、お得感が伝わるだろう。参考になるか分からないが、当時のわが家の家賃が100万リラだったから、マティスはその15カ月分だったことになる。円換算すると100万円ちょっとという感じだった。
初代マティスやアトスは今日でもイタリアの路上で頻繁に見かける。だが、筆者の視点からすると、大きな問題を抱えたクルマであった。
目に余る遅さ
問題とは、そうした韓国ブランドのクルマが“遅い”ことである。
筆者は、それまでイタリアで他人のクルマを遅いと思ったことはなかった。ましてやあおり運転などは頭の片隅にもなかった人間である。第一、そうした運転をする男性はモテないから、やめておいたほうがいいと信じてきた。
しかしながら、かつての韓国系シティーカーは、イタリアのスーペルストラーダ(最高速度110km/hの自動車専用道路)やアウトストラーダ(最高速度130km/hの高速道路)で走っていると明確に遅い。本線への合流に向けた加速区間でも、明らかにもたついている。
そのため、前述のようにステアリングを握れば羊のような筆者をもってしても、「おせーなー」とつぶやいてしまうことしきりなのだ。
スペックを確認したら、理由は明らかだった。
1998年型マティスの0-100km/h加速は17秒、最高速は144km/hとされている。1998年型ヒュンダイ・アトスもそれぞれ15.1秒と142km/hである。
当時のベストセラー車種である2003年型「フィアット・パンダ1.2」の14秒&155km/hと比べても明らかに遅い。
そのいっぽうで、かつて筆者の周囲に、そうした韓国ブランドのシティーカーを愛用する知人がいることを思い出した。
オーナーは身近にもいた
1人目は、当時イタリアのピサでホテル勤務だったレティーツィアである。筆者が知り合ったとき、彼女は免許を持っていなかった。学生時代、免許を取得する代わりに、その費用で親にドイツ留学をさせてもらっていたからだった。幸い、その語学力を生かして就職もできた。
しかし、結婚・出産という人生のステージを進むと、両親のもとに子どもを預けるべく、住居と実家とを自在に往復する手段が必要になった。そこで一念発起して免許を取得。最初のクルマが大宇マティス(M100型)だった。
当時、彼女のように人生初のクルマが韓国製シティーカーだった、という同世代は、決して少なくないと考えられる。彼らの親世代のようにクルマ=フィアットという思考を持たないからである。
2人目は第681回で1968年式「フィアット500」を披露してくれた知人のルチアだ。その際記したように、以前は2代目マティス(M150型)に乗っていた。
大宇は2003年にゼネラルモーターズに吸収されて「GM大宇自動車技術」となる。それに合わせ、2005年に誕生した2代目マティスには、シボレーのブランドが冠された。
往年の流麗な米国製シボレーを知っている身としては、ルチア本人がGM大宇製マティスをシボレー、シボレーと呼ぶのは、気動車を電車と呼ぶ人間に会ったときのような違和感がある。しかし貴重な取材協力者なのだから、ここはひとつ我慢しよう。
「買ったのは2009年。値段が安かったうえ、全幅が約1.5mなので旧市街のガレージにすっぽり収まったからよ」とルチアは購入の理由を振り返る。
そして「新車でLPGとガソリンの併用仕様だったことも大きかったわね」と続けた。
全国に3000カ所以上と、欧州屈指のLPGスタンド普及国であるイタリアでは、燃料費節約のため、クルマを買ってからLPG併用仕様に改造するユーザーが少なくない。
マティスは最初からそうした“ハイブリッド”仕様をカタログに載せていたのである。それはイタリアにおけるゼネラルモーターズの戦略でもあった。
ところで、フィアット500に乗り換えた理由は?
「オイル漏れがひどくなったの。メカニックから『エンジンを分解すればいいけど、その費用は割に合わないよ』と告げられたのよ」
加えて2020年、イタリアでは新型コロナ対策のための移動制限が発令された。そこでルチアは保険中断の申請をして、ガレージにマティスを放置した。やがて代替車であるフィアット500も見つかった。
確かに筆者が2020年に彼女の家を訪ねたときも、マティスはほこりをかぶってガレージで眠っていた。
ところが、だ。
ルチアは「今もよく走るし、燃費も安いのでロングツーリングによく使うわよ」とのたまうではないか。聞けば、後日談があった。
「マティスを解体するために引き取りに来たメカニックが、クルマをもう一度見て『安い修理でオイル漏れ問題を解決できることに気づいた』と言ったのよ」
かくしてルチアのマティスは復活。わずかなオイル漏れはまだ続いているものの、総走行距離は20万kmを超えたという。
それはともかくマティスに乗っていて、高速道路走行時や加速時に痛痒(つうよう)を感じたことはないのだろうか?
イタリアの道に正しい
その質問にルチアは「ない」と即答した。そればかりかマティスでこなした長旅も回想してくれた。
「ローマ、ミラノ、フィレンツェ、そして海岸の別荘行きにも使ったわね。フランスのアヴィニヨンに4人乗車で行ったときも、とてもよく走ってくれたわよ」
参考までに、彼女の家からアヴィニヨンは往復1500kmの道のりだ。
そのような答えを聞いて、ふと考えたことがあった。
1957年にデビューした2代目フィアット500のカタログ上の最高速度は85km/h。当然ながら0-100km/h加速のデータはない。
イタリア半島を縦断する「アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の道)」の着工式は、2代目フィアット500デビューの前年となる1956年である。そうした時代のスタンダードで設計された道を、今日でもイタリアのドライバーたちは幹線道路として使っている。
つまり速くなってしまった他車よりも、マティスやアトスの速度のほうが、クルマとしては“正しい”のである。
加えて、先代フィアット500や「フィアット126」でクルマとのなれそめを果たした世代のルチアにとって、マティスの速度感は、決して異次元のものではないのだ。
最後にマティスでもうひとつ。
その水色のマティスに気がついたのは、少し前のことだった。わが家から窓の外を見ていると、毎夕ほぼ決まった時刻にやってくる。共働きの若夫婦が中古で手に入れたものらしい。妻が先に家に入り、夫は近くの駐車場にマティスを止めに行く。
小さなラゲッジルームから買い物の重い荷物を協力して降ろす彼らの光景を見ていると、今日に輪をかけてつつましい生活をしていた筆者自身の新婚時代を思い出す。
そして彼らのマティスは、速くなくても無理して高級車など買わなくても楽しく生活できることを示している気がしてならないのである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ヒュンダイ、キア、イタルデザイン/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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