第715回:名門ピニンファリーナが提案する100%バーチャルコンセプトカーが暗示する未来
2021.07.22 マッキナ あらモーダ!仮想現実で走りだした
イタリアのデザイン&エンジニアリング会社であるピニンファリーナは2021年7月14日、コンセプトカー「Teorema(テオレマ)」を発表した。VR(Virtual Reality:仮想現実)技術を駆使して開発された、同社初の100%バーチャルコンセプトカーである。
ピニンファリーナによると、この完全自動運転の電気自動車(EV)コンセプトは、インテリアからデザイン開発を始めたという。イタリア・トリノのカンビアーノと中国の上海、双方のデザインチームは、まず電動プラットフォーム上に居室空間を確保。VRに加え、AR(Augmented Reality:拡張現実)、そしてMR(Mixed Reality:複合現実)を用いながら開発を進めた。
車内へのアクセスは独特だ。まず後部ハッチと一体化したルーフ後端が上昇しながら前方にスライド。乗員は後部から出入りし、まるで旅客機のように通路を通る。床面にはシートへと誘導するためのイルミネーションが点灯する。
キャビンは前方が狭く、後方が広い五角形である。中央のモジュール式スペースは休息・睡眠のためのスペースにすることも可能、とピニンファリーナは説明する。
通常のクルマのような左右ドアがないため、後述する「レストモード」では車内側面をバックレスト代わりに使用できるとともに、高い車体剛性とともに軽量化も実現している。
エクステリアはピニンファリーナによる歴代作品と同様に、純粋さとエレガントさ、革新性を基本としている。同時に、デザインチームは「極めてシンプルなフォルムでありながら、洗練された印象的なものをつくりたいと考えた」と振り返る。また「左右ドアがないことで、思いがけずスタイリングの軽快さが生まれた」と解説している。
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空力性能と美しさを両立したボディー
私見だが、前フェンダーの力強いポンツーンとグラマラスな後ろフェンダーは、あの「タッカー・トーピード」の初期スケッチに見られるような、懐かしいスピード&パワー表現の現代的解釈と捉えることもできる。
しかし、実際のエアロダイナミクスは、より理詰めだ。
上から見たテオレマは3つのエレメントに分かれており、中央の居住空間と両サイドには空気の経路が設けられている。前方のダクト部は空気の流れを整えつつ加速させる。いっぽう車体後端に設けられた噴出孔も空気を高速で排出し、空力性能を向上させる。
これらはいずれも数値流体力学解析によって検証されたものである。
それだけ優れたエアロダイナミクス性能を実現しながら、ピニンファリーナらしい上品さと優雅さを的確に醸し出しているのは、まさにデザインの妙といえよう。
車内は3種類にアレンジできる。完全自律走行時の「オートノミーモード」では、ドライバーは他の4人と十分な距離を保ちながら向き合う。同時に、誰もがコクーン(繭)感覚を味わうことができる。
マニュアル操縦時の「ドライブモード」では、キャビン全体でアンビエントライトなどのトーンを合わせることで、体験共有ムードを演出。そして「レストモード」では、スマートシートが自動で変化して乗員の好きな位置への移動を可能にし、交流やくつろぎのスペースとなる。
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現実的なバックグラウンド
過去に筆者がイタリア人のカロッツェリア関係者から聞いたところによれば、創業者バッティスタ“ピニン”ファリーナには、詳細な設計図なしに、デザイン画だけを頼りに板金加工の元となる木型を製作する能力があったという。
最新のエンジニアリング技術を擁するものの、トリノのカロッツェリアのなかでもアルティザン(手工芸)的側面を特に強調してきたピニンファリーナである。それだけにVRを使った今回のテオレマが、いかに破天荒なプロジェクトであるかがお分かりいただけるだろう。
仮想コンセプトカーにもかかわらず、今回ピニンファリーナはカンビアーノの本社を舞台に発表前日、限られたジャーナリストを対象にリアルなプレスプレビューを企画した。そこからはプロジェクトへの本気度が伝わってくる。
また、リアルなコンセプトカーと同様、協力企業の実名が挙げられている。
AR技術にはコネクテッドカー向けホログラフィック技術のエキスパートであるWayRay(ウェイレイ)社が協力。車内のポップアップボタンやインテリジェントグラスにはコンチネンタル・エンジニアリング・サービシーズ社のサポートを受けた。EV用プラットフォームにはその分野のエキスパートであるベントラー・エレクトリック・ドライブシステム社の技術的協力を仰いでいる。
また自動運転時代に快適性の要となるシート開発には、イタリアの高級家具ブランドであるポルトローナ・フラウが参画している。
これらの事実から、想像以上にリアルなプロジェクトであることが確認できる。
同時に、自動車開発の領域でこれから需要が拡大するとみられる、VRを使った提案の際も、テオレマはクライアントに対して魅力あるショーケースとなるだろう。
自動車コレクション界に革命?
われわれは今回のテオレマを、どう捉えるべきか?
思いつくのはレオナルド・ダ・ヴィンチだ。彼は飛行機具や建築物など、発明の構想図をひたすら残している。それらは当時の科学では実現不可能だった。だが、後世の人々にとって大いなる着想の源となった。500年前の天才は、バーチャルの名手だったことになる。
参考までにそのレオナルドは、「最も尊い娯楽は、理解するよろこびである」という格言を残している。
それは「実在するかどうか」や「実現可能かどうか」を作品の価値判断基準にすることの危うさを暗示している。
テオレマはバーチャルである以上、例えばエクステリアの繊細なフィニッシュを感じるにはピニンファリーナの歴代コンセプトカーを通じて想像し、内装材の微妙な肌触りはポルトローナ・フラウの既存製品から連想する必要がある。
つまり、豊富な視覚・触覚体験による理解がないと鑑賞する喜びを十分に享受することはできないという、ちょっとした知的ゲームなのである。
ところで美術の世界では昨今「NFT」が話題だ。NFTとは「ノン・ファンジブル・トークン」のこと。仮想通貨と同様に偽造不可能で、インターネット上で売買・交換可能な証書を指す。NFTアートとはデジタルデータのみの美術作品である。すでにクリスティーズといった著名なオークションハウスにおいて、そうしたアートピースが数十億円単位で取引されている。
さすがに今回のテオレマではそこまで想定されていないが、将来こうしたバーチャルコンセプトカーを、NFTアートのように取引するマーケットが現れるかもしれない。
バーチャルコレクターの誕生だ。
デジタルアートで起きていることをそのまま当てはめれば、ブロックチェーンによって誰も盗めず、改変もできず、さらに所有者の変遷も明らかなコレクタブルカーが出現する。
NFTアートでは、すでに分割所有権というスタイルも導入されているから、オーナーシップをシェアすることも可能になるだろう。
その次は、いわゆるコンクールデレガンスもバーチャルになるかもしれない。
20世紀初頭、富裕層たちはカロスリに特注した自動車と最新モードを身にまとった美女を組み合わせ、レッドカーペットに臨んだ。
ボーカロイドの初音ミクと「結婚」が可能な時代である。手に入れたコンセプトカーに自身の思いを込めた二次元キャラクターを乗せ、バーチャルのコンクールデレガンスにさっそうとエントリーできる時代が到来するかもしれない。
そうした意味で今回のピニンファリーナの試みは、将来振り返ったとき、ひとつのマイルストーンになる可能性を秘めている。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ピニンファリーナ/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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