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第720回:【Movie】現物要らずで見られて触れる! イタルデザインの仮想現実ツールを体験

2021.08.26 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ

小学生で開発計画に“参画”

今回は、イタリア・トリノのイタルデザイン社が研究する、新たな車両開発ツールについてお伝えしよう。

その前に、筆者が小学生のころの思い出を。

ある日、下校途中の通学路で一人のおばさんに呼び止められた。「スナック菓子の好みを調査している」という。

今日だとそのような形式で調査を実施するのは、諸般の事情からかなり問題があると思うが、1970年代には普通だったのだろう。

筆者は同級生と一緒だったこともあり、おばさんについて雑居ビルに入った。パイプ椅子と折り畳みテーブルが並べられた会場には、他の小学校の制服を着た子どもたちもいた。

さまざまな味のスナック菓子を食べ、アンケートに答えては口直しの水を飲むということを繰り返した。お礼に既存のスナック菓子をもらったが、万一先生にでも見られるとややこしいので、同級生とともにコートを脱ぎ、それに包んで会場を出た。家でも「知らない人から食べ物をもらうな」と怒られるといけないので、親に隠れてこっそりと食べた。

いっぽう、自動車開発の現場には“クリニック”と呼ばれる評価プロセスが存在する。

社内評価とは別に、開発中の車両やライバル製品をさまざまなかたちで一般ユーザーに見せて、デザインや使い勝手の違いを聴取するというものだ。

この手法は長年用いられてきた。例えば、1976年の初代「フォード・フィエスタ」の開発記録によれば、スイス・ローザンヌをはじめ各国で開催。小型車の先輩格である「フィアット127」や初代「ルノー5」、さらに「BMC Mini」や初代「ホンダ・シビック」を、約1000名のユーザーに見てもらうクリニックを実施している。

筆者はといえば、長年そうした機会に呼ばれるのを楽しみにしていたのだが、日本でもイタリアでも指名されたことがない。したがって、筆者の人生で製品開発に“参画”できたのは、後にも先にもスナック菓子のみだ。

閑話休題。ここからが本題である。

イタルデザインと聞いて多くの読者は、長年ジュネーブモーターショーで発表されてきた、さまざまな提案に富んだコンセプトカーを真っ先に想像するに違いない。

だが、今日はフォルクスワーゲン(VW)グループ、具体的にはアウディ傘下の重要な研究開発企業である。従業員は約1000人を数える。

そのイタルデザインが、最新の研究を個人的に見学させてくれるという。前述のように、自動車の企画開発に参画できなかったことに長年コンプレックスを抱いていた筆者である。うれしくなって、トリノ郊外モンカリエリの本社に赴いた。

イタリア・トリノ郊外モンカリエリのイタルデザイン本社。
イタリア・トリノ郊外モンカリエリのイタルデザイン本社。拡大
イタルデザインが手がけた歴代モデルが展示されたカーギャラリーにて。
イタルデザインが手がけた歴代モデルが展示されたカーギャラリーにて。拡大

バーチャルでインテリア開発

入館時のセキュリティーチェックは常に厳重だ。VWグループの車両のみならず、外部クライアントの新製品開発や試作にも関与しているのである。

それを終えたあと、広大な本社屋内を歩いてゆく。途中には屋内にもかかわらず大きな通路も存在する。社員たちはそれをいにしえの都市にちなんで「Via Roma」、つまり「ローマ通り」と呼んでいるそうだ。

そうした通路をいくつも通り抜けたあと、ようやくたどり着いたのは「コンセプト・ラブ(Concept Lab)」と称する数名体制の研究室だった。

解説してくれたのは、研究員のマティルデ・ピッチョーニさんだ。フィレンツェ大学では電気通信工学を、トリノ工科大学では医用工学を専攻し、いずれも優秀な成績で卒業。2017年からイタルデザインに勤務している。

ちなみに同社は自動車開発業界でいち早く仮想現実(VR)の有効性に着目し、1999年には最初のVRC(バーチャルリアリティーセンター)を開設。3Dレンダリングやモデリングのソフトを巨大スクリーンに投影し、モデリング着手前のデザイン設計の検証を開始した。

いっぽう2018年に開設されたコンセプト・ラブをピッチョーニさんは「人と自動車との関係に焦点を当て、分析・研究を行う学際的環境」と定義する。

その成果として今回見せてくれたのは、1台のシミュレーターである。ただし、人々がすぐに思い浮かべるドライビングシミュレーターとは異なる。VRツールを駆使し、インテリアのレイアウトを人間工学的に検証する装置である。

従来、居住性や使い勝手の検証にはモックアップ、すなわち原寸大の模型を用いてきた。ピッチョーニさんによれば、イタルデザインでは一車種の開発に2台のモックアップが必要だったという。

筆者が付け加えれば、ダッシュボードのクレイモデルも、そうした作業を助けるためにつくられてきた。それらに要する労力とコストの削減を目指したのが、この装置の原点だという。

複数のウエアラブルセンサーを用いてユーザーと接続、21基の赤外線カメラも連動させる。そのうえでモーションキャプチャーを行い、ユーザーエクスペリエンス(UX)やヒューマンマシンインターフェイス(HMI)の観点から使用感を分析するものだ。

いっぽう、座席やステアリング、ペダル、ドア、ルーフなどには物理的、つまりリアル、もしくはそれに準ずるものを用いている。それらは型式認定のデータをインプットしたプログラムによって位置の移動や調整が可能だ。

彼らはシミュレーションの柔軟性を示す例として「ランボルギーニ・ウラカン」からVW最大の商用車「クラフター」まで再現できることを挙げた。

この装置で、イタルデザインは2019年に特許を取得している。またコンセプト・ラブ自体も、ドイツのデザイン賞「ABCアワード」の2021年部門賞を受賞した。

再びピッチョーニさんによれば、「人間工学的研究が原点だったが、最終的にはカラー&トリムの検討や車両のプレゼンテーションに至るまで、開発段階でのさまざまなステージに応用できることが判明した」という。

また他のスタッフは、次段階として「アイトラッキング技術も付加していきたい」と話す。

ボディートラッキングの装置を身に着けた研究スタッフのマティルデ・ピッチョーニさん。(写真=Italdesign)
ボディートラッキングの装置を身に着けた研究スタッフのマティルデ・ピッチョーニさん。(写真=Italdesign)拡大
こうしたモックアップの作成に要する時間およびコスト削減に、室内空間シミュレーターは威力を発揮する。(写真=Italdesign)
こうしたモックアップの作成に要する時間およびコスト削減に、室内空間シミュレーターは威力を発揮する。(写真=Italdesign)拡大
指用のウエアラブルデバイスやVRゴーグル、そして21基の赤外線カメラのデータをもとに、バーチャルに変換する。(写真=Italdesign)
指用のウエアラブルデバイスやVRゴーグル、そして21基の赤外線カメラのデータをもとに、バーチャルに変換する。(写真=Italdesign)拡大

全身の位置をmm単位で

ブリーフィングに続いて、実際に筆者も体験させてもらった。

まず両手の親指と人さし指、そして中指にワイヤレスのウエアラブルセンサーを装着する。続いてシートに腰かけ、新型コロナウイルス感染予防の観点から目の周囲を覆う紙製マスクをしたうえで、VRゴーグルも装着する。

指センサーしかりゴーグルしかり、それらは年を追ってさらに小型化&軽量化するであろうから、将来的にはより着脱が短時間で可能になり、装着感も自然になるだろう。

ゴーグルのなかには、日産がデザインし、イタルデザインが開発と製作を担当した「GT-R50 by Italdesign」の室内が鮮明に投影されていた。本欄697回で記したように、筆者はこのホモロゲーション取得用モデルに試乗済みだが、当日のタイトな室内と、天地が狭められたウインドスクリーンが脳裏によみがえってくる。

左側にある物理的な「ドア」を開閉すると、それに連動して映像内のドアも動く。

後ろを振り向けばリアシートが一望できる。これは視界のチェックに威力を発揮する。

ナビゲーションやスタート&ストップスイッチ、セレクターレバーなどに触れるたび、「カチッ」という音とともにフィードバックが指に伝わってくる。

車両に付いているこうしたデバイス間の距離は、測りたい部分に両手の人さし指を当てることで、ミリメートルで表示される。それとは別に、ユーザーがさまざまな動作を行っているときの手や全身の位置も、mm単位の精度で計測可能という。

なお、今回は試す時間がなかったが、ラゲッジコンパートメントの使い勝手も、リアルのスーツケースとバーチャル映像を併用して検証が可能だ。

ドアやステアリング、シートポジション、フロア高などの物理的な要素は、自在に調節できる。(写真=Italdesign)
ドアやステアリング、シートポジション、フロア高などの物理的な要素は、自在に調節できる。(写真=Italdesign)拡大
ラゲッジルームの容量や使い勝手も検証可能だ。(写真=Italdesign)
ラゲッジルームの容量や使い勝手も検証可能だ。(写真=Italdesign)拡大
2点間の寸法も簡単に計測することができる。(写真=Italdesign)
2点間の寸法も簡単に計測することができる。(写真=Italdesign)拡大

クリニックにも威力

このVRツールには、どのようなメリットがあるのか? すでに記した内容と一部重複するが、そのいくつかを以下に記そう。

第1は、開発期間と投資の削減である。物理的モックアップの製作を最小限に抑えることにより、市場投入までの時間を大幅に短縮できる。

完全自動運転車時代の多彩なシートアレンジはもとより、クルマ以外のレイアウトにも対応可能とピッチョーニさんは胸を張る。

第2は、同じ設備を持つ遠隔地のスタジオとリアルタイムで検討したり、共同作業が可能であったりすることだ。筆者が付け加えれば、高速・低遅延の5G通信は当然のことながら大きな力となるだろう。

そして第3はベンチマーク、つまり目標とする他社モデルのデータをインプットすることにより、比較がより容易になることだ。その分析処理の高速化も図れる。

筆者の想像であるが、眼科における「こちらのレンズとこちらのレンズ、どちらがよく見えますか?」という検眼と同じような感覚で、2車を比較することが可能になるのだろう。

イタルデザインが研究を進めるこの仮想ツールが、自動車開発のクリニックに導入されるようになれば、より多くのユーザーが参加できるようになるに違いない。結果として、より消費者の意向に沿った製品が、より早く市場に出回るようになれば、自動車業界全体に貢献することになる。そして、いつか筆者も念願のクリニックに参加できるかもしれないと、淡い期待を寄せたのだった。

ところで、小学生のときに開発に参画したあの思い出のスナックは、その後どのような商品となって市場に送り出されたのだろうか。

【イタルデザインのインテリアシミュレーターを体感】

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Italdesign、Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

筆者もシミュレーターを体験。その日は「日産GT-R50 by Italdesign」のコックピットが再現されていた。
筆者もシミュレーターを体験。その日は「日産GT-R50 by Italdesign」のコックピットが再現されていた。拡大
画面上の手は、両手の指の動きを忠実に再現し、バーチャルのスイッチ類を操作するたびに音と触覚によるフィードバックがある。
画面上の手は、両手の指の動きを忠実に再現し、バーチャルのスイッチ類を操作するたびに音と触覚によるフィードバックがある。拡大
左上に見えるのが赤外線カメラ。このシミュレーターは、より正確かつ迅速な自動車開発のクリニックを実現することだろう。(写真=Italdesign)
左上に見えるのが赤外線カメラ。このシミュレーターは、より正確かつ迅速な自動車開発のクリニックを実現することだろう。(写真=Italdesign)拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。

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