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どちらかの圧勝もあれば共倒れも!? ガチンコ対決を繰り広げたライバル車

2021.10.06 デイリーコラム 沼田 亨
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「ダイハツ・コンパーノ ワゴン」。1963年5月にまず商用バンが誕生、翌6月にそれを5ナンバー化したこのワゴンが加えられた。スタイリングはヴィニャーレが手がけ、顔つきは1950~60年代の典型的なイタリアンルック。車名のコンパーノ(Compagno)も「仲間、友人」を意味するイタリア語である。
「ダイハツ・コンパーノ ワゴン」。1963年5月にまず商用バンが誕生、翌6月にそれを5ナンバー化したこのワゴンが加えられた。スタイリングはヴィニャーレが手がけ、顔つきは1950~60年代の典型的なイタリアンルック。車名のコンパーノ(Compagno)も「仲間、友人」を意味するイタリア語である。拡大

古くは1960年代中盤に「BC戦争」と呼ばれた「ダットサン・ブルーバード」と「トヨペット・コロナ」の販売合戦に始まる、日本車のガチンコのライバル関係。今日までさまざまな対決があるが、今回はそれらのなかからストーリー性のある対決例(?)をいくつか紹介しよう。

バンの登場から半年後の1963年11月に登場した「コンパーノ ベルリーナ」。ベルリーナとはセダンを意味するイタリア語だが、ダイハツ自身も広告などで「ダイハツ・ベルリーナ」と表記することがあり、車名と誤解されることも少なくなかった。バン/ワゴンからセダンへのアレンジはダイハツで行われ、当初は2ドアセダンのみ。1965年に1リッターエンジン搭載の4ドアセダンが加えられた。
バンの登場から半年後の1963年11月に登場した「コンパーノ ベルリーナ」。ベルリーナとはセダンを意味するイタリア語だが、ダイハツ自身も広告などで「ダイハツ・ベルリーナ」と表記することがあり、車名と誤解されることも少なくなかった。バン/ワゴンからセダンへのアレンジはダイハツで行われ、当初は2ドアセダンのみ。1965年に1リッターエンジン搭載の4ドアセダンが加えられた。拡大
1963年11月に誕生した「マツダ・ファミリア バン」。「シボレー・コルベア」に始まり世界中で流行していた、ウエストラインにクロームのモールが走るスタイリングを採用。翌1964年4月にこれを5ナンバー化したワゴンが加わった。
1963年11月に誕生した「マツダ・ファミリア バン」。「シボレー・コルベア」に始まり世界中で流行していた、ウエストラインにクロームのモールが走るスタイリングを採用。翌1964年4月にこれを5ナンバー化したワゴンが加わった。拡大
1964年10月に登場した「ファミリア セダン」。当初は4ドアセダンの「デラックス/スタンダード」のみで、翌11月に2ドアセダンのスタンダードと「スペシャル」(最廉価グレード)を追加。1965年には2ドアセダンのデラックスや、高性能版の「S」が4ドア、2ドア双方に加えられた。
1964年10月に登場した「ファミリア セダン」。当初は4ドアセダンの「デラックス/スタンダード」のみで、翌11月に2ドアセダンのスタンダードと「スペシャル」(最廉価グレード)を追加。1965年には2ドアセダンのデラックスや、高性能版の「S」が4ドア、2ドア双方に加えられた。拡大

ダイハツ・コンパーノ VS. マツダ・ファミリア

1930年代から三輪トラック(オート三輪)を生産していた大阪のダイハツと広島のマツダ。戦後の1950年代にはその分野における2大ブランドとなり、市場で鎬(しのぎ)を削った。1960年代に入ると、地方の商用車メーカーだったこれら2社も乗用車市場への進出を企図する。先行したマツダが軽乗用車の「R360クーペ」や「キャロル」を発売した後、1963年から64年にかけて、双方にとって初の小型乗用車(ダイハツが1950年代に少量生産した三輪乗用車の「ビー」を例外として)となる800cc級の「ダイハツ・コンパーノ」と「マツダ・ファミリア」を相次いでリリースしたのだ。

これだけならさほど珍しくない話だが、デビューに際して両社がとった方法が、まったく同じ変則的なものだったのである。その方法とは、まず4ナンバーの商用ライトバンを発売した後に、それを5ナンバー化した乗用ワゴンを加え、さらに数カ月の間隔を置いて本命たるセダンを登場させるというもの。勝手知ったる商用車市場での反応を見てから、という手順を、くしくもそろって踏んだわけだ

そもそも商用車メーカーだっただけに、2台とも堅実な設計で、駆動方式はオーソドックスなFR。ボディー構造はファミリアはモノコックだが、コンパーノはすでに小型車では珍しくなっていたセパレートフレーム付き。エンジンは双方とも直4 OHVの800ccで、ファミリアは総アルミ合金製のヘミヘッド、クロスフローという高級な設計だった。というと、コンパーノがえらく保守的に思われるかもしれないが、そのオリジナルデザイン(バン)を手がけたのはイタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレ。少量生産された「プリンス・スカイラインスポーツ」という先例はあったが、量産車では日本車初のイタリアンデザインの導入だった。

コンパーノとファミリアは、それぞれバリエーションを拡大しながら競っていたが、1966年に「ダットサン・サニー」や「トヨタ・カローラ」など新世代の大衆車が登場するころにはそろって市場での存在感が薄れてしまった。翌1967年にファミリアはフルモデルチェンジ、以後も代を重ね、「アクセラ」「マツダ3」と名称を変えながら今日まで系譜は続いているが、コンパーノは初代のみで消滅。したがってライバル関係も一代限りだった。

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スズキ・アルト VS. ダイハツ・ミラ

長年にわたって軽自動車市場の覇権を争っているスズキとダイハツ。スズキは1955年に「スズライトSF」で軽市場に参入したパイオニアであり、いっぽうのダイハツは1957年に発売した軽三輪トラックの「ミゼット」がヒットして市場に橋頭堡(ほ)を築いた。

そんな両社だが、軽乗用車に関しては、1970年代後半まではシェア争いはしていたものの、製品づくりの方向性は異なっていた。1960年代にFFからRRに転換したスズキと、FRからFFに改めたダイハツ。それがガチンコのライバル関係となったのは、1979年にスズキがFFに回帰した「フロンテ」と同時に商用車登録の「アルト」を発売してからである。

徹底したコストダウン設計と、当時の税制では物品税が課せられた乗用車ではなく、非課税だった軽商用車(ライトバン)登録とすることで47万円という驚異的な低価格を実現したアルトは、発売と同時に大ヒット。これを見たダイハツが黙っているはずがない。翌1980年に軽乗用車「MAXクオーレ」が「クオーレ」に世代交代した際に、アルトと同様の軽ボンバン(ボンネットバン)登録の「ミラ クオーレ」を加え、アルトに正面から戦いを挑んだ。この時点でスズキとダイハツの「仁義なき戦い」の火ぶたが切られた、と筆者は思うのだ。

ミラがターボを出せばアルトも続き(軽初のターボは「三菱ミニカ エコノ」ではあるが)、アルトがフルタイム4WDターボの「ワークス」を出せばミラは「TR-XX」にフルタイム4WD仕様を加えるといったように。そして両社の戦いは、単にアルト対ミラではなく、軽のラインナップ全体に広がっていった。

スズキの「ワゴンR」がヒットすればダイハツは「ムーヴ」をブツけ、ダイハツの「タント」が受ければスズキは「パレット」(後継は「スペーシア」)をリリース、「スズキ・ハスラー」を相手に「ダイハツ・キャスト アクティバ」では力不足とみれば、新たな刺客の「タフト」を送り込むといった具合に……。ちなみに軽トラック市場は、「スズキ・キャリイ」(およびそのOEMの「日産NT100クリッパー」「三菱ミニキャブ」「マツダ・スクラム」)と「ダイハツ・ハイゼット」(およびそのOEMの「スバル・サンバー」「トヨタ・ピクシス トラック」)の2強対決となっていることは、ご存じのとおりである。

1979年「スズキ・アルト」。左側ドアの鍵穴まで省略したコストダウン設計と商用車登録としたことで価格を47万円に抑え、しかも自動車業界初の全国統一価格だった。エンジンは当初2ストロークの3気筒539ccで、後に4ストロークの543cc直3 SOHCが加えられた。
1979年「スズキ・アルト」。左側ドアの鍵穴まで省略したコストダウン設計と商用車登録としたことで価格を47万円に抑え、しかも自動車業界初の全国統一価格だった。エンジンは当初2ストロークの3気筒539ccで、後に4ストロークの543cc直3 SOHCが加えられた。拡大
1980年「ダイハツ・ミラ クオーレ」。アルトに約13カ月遅れて登場した対抗馬。車高を高めにとって1.5ボックスと称したボディーに、アルトの3気筒に対して2気筒の547cc SOHCエンジンを搭載。価格は49万3000円。1982年のマイナーチェンジで車名を「ミラ」に改めた。
1980年「ダイハツ・ミラ クオーレ」。アルトに約13カ月遅れて登場した対抗馬。車高を高めにとって1.5ボックスと称したボディーに、アルトの3気筒に対して2気筒の547cc SOHCエンジンを搭載。価格は49万3000円。1982年のマイナーチェンジで車名を「ミラ」に改めた。拡大
目下スズキの軽で最も売れている「スペーシア」。2020年度の販売台数は14万5319台で、軽乗用車銘柄別ランキングの2位(1位は「ホンダN-BOX」の19万7900台)。
目下スズキの軽で最も売れている「スペーシア」。2020年度の販売台数は14万5319台で、軽乗用車銘柄別ランキングの2位(1位は「ホンダN-BOX」の19万7900台)。拡大
「スペーシア」とともに「N-BOX」を追う、ダイハツの軽トップセラーである「タント」。2020年度の販売台数は12万8218台で銘柄別ランキング3位。
「スペーシア」とともに「N-BOX」を追う、ダイハツの軽トップセラーである「タント」。2020年度の販売台数は12万8218台で銘柄別ランキング3位。拡大

ホンダ・プレリュード VS. 日産シルビア

1980年代後半、バブル景気に浮かれていた日本の若年層のクルマ好きの間に巻き起こった「デートカーブーム」を代表する2台。ライバルとして語るのは、いまさらのように感じられるかもしれないが……。

ホンダの登録車としては初のスペシャルティーカーとして、1978年に誕生した「プレリュード」。1982年にリトラクタブルライトを採用して登場した2代目は、日本車離れしたワイド&ローのプロポーションがもたらす唯一無二の雰囲気が受け、スペシャルティーカーとしては異例のヒット作となった。

1987年に世代交代した3代目では、その人気がさらに高まった。基本的には先代からのキープコンセプトだが、「フェラーリ328GTB」よりボンネットが低いといわれたスタイリングはさらにソフィスティケートされた。テレビCMでフィーチャーされた、世界初採用となる舵角応動型の機械式4WS(4輪操舵)も話題性抜群だった。

シルビアはハンドメイドの高級パーソナルカーだった初代の誕生から10年後の1975年にデビューした2代目からスペシャルティーカーとなる。3、4代目はノッチバッククーペとハッチバッククーペの2本立てで、さらに販売店違いの姉妹車「ガゼール」も加わったが(4代目の後期に廃止)、人気はいまひとつだった。

日産が「1990年代までに世界一の動性能を実現する」ことを目標に掲げた「901運動」にまい進していた1988年に、ノッチバッククーペに絞られて登場した5代目シルビア(S13)。「アート・フォース」とうたった、美しいシルエットとなめらかな面構成を持つスタイリングによって高い人気を獲得。先行していた3代目プレリュードとともにデートカーブームをけん引するいっぽうで、すでに希少な存在となっていたコンパクトなFRのスポーティーカーとして走り好きの間でも高い人気を獲得した。

クラス、カテゴリーは同じでも、それぞれ明確なキャラクターを備えた好敵手だった2台。プレリュードは1991年に4代目に、シルビアは1993年に6代目に世代交代を果たすが、バブル崩壊もあってデートカーブームはすでに過去のものとなっていた。また税制変更を受けて双方ともボディーが3ナンバー化したが、シャープさが失われた印象は否めず、先代のような人気を得ることはなかった。そして双方とも次世代にバトンタッチするものの、くしくもその世代をもって2車種とも終焉(しゅうえん)を迎えることとなったのだった。

1987年「ホンダ・プレリュード」。DOHC 16バルブまたはSOHC 12バルブの2リッター直4エンジンを搭載。上位グレードにオプション設定された4WSは、舵角が小さいときは前輪と後輪が同位相(同方向)に、大きいときは逆位相に切れる。
1987年「ホンダ・プレリュード」。DOHC 16バルブまたはSOHC 12バルブの2リッター直4エンジンを搭載。上位グレードにオプション設定された4WSは、舵角が小さいときは前輪と後輪が同位相(同方向)に、大きいときは逆位相に切れる。拡大
1988年「日産シルビア」(S13)。エンジンは1.8リッター直4 DOHC 16バルブとそのターボ版。遅れてオーテックジャパン製のコンバーチブルが追加され、また先代まで存在したハッチバッククーペは「180SX」として独立した。
1988年「日産シルビア」(S13)。エンジンは1.8リッター直4 DOHC 16バルブとそのターボ版。遅れてオーテックジャパン製のコンバーチブルが追加され、また先代まで存在したハッチバッククーペは「180SX」として独立した。拡大
1991年「ホンダ・プレリュード」。ホイールベース/全長は先代より短縮されたものの、全幅が1765mmに広げられ3ナンバーサイズとなった。エンジンは2.2リッター直4 DOHC 16バルブだが、VTEC仕様はボア×ストロークが異なる。
1991年「ホンダ・プレリュード」。ホイールベース/全長は先代より短縮されたものの、全幅が1765mmに広げられ3ナンバーサイズとなった。エンジンは2.2リッター直4 DOHC 16バルブだが、VTEC仕様はボア×ストロークが異なる。拡大
1993年「日産シルビア」(S14)。3ナンバー化したボディーに、先代の後期から採用された2リッター直4 DOHC 16バルブあるいはそのターボ版を改良して搭載。これが不評だったため、次の7代目(最終世代)のS15型は5ナンバーサイズに戻された。
1993年「日産シルビア」(S14)。3ナンバー化したボディーに、先代の後期から採用された2リッター直4 DOHC 16バルブあるいはそのターボ版を改良して搭載。これが不評だったため、次の7代目(最終世代)のS15型は5ナンバーサイズに戻された。拡大

日産エルグランド VS. トヨタ・アルファード

LLサイズミニバン、高級ミニバンなどと呼ばれる市場で、ひとり勝ち状態の「トヨタ・アルファード/ヴェルファイア」。2020年の年間販売台数はアルファードが9万0748台、ヴェルファイアが1万8004台。2台を合わせると10万8752台で、銘柄別販売ランキングの4位に相当する。いっぽう対抗馬だったはずの「日産エルグランド」は、わずか3652台。つまりアルファード/ヴェルファイアのおよそ30分の1しか売れていないのだ。大差をつけられていると思ってはいたが、ここまで惨憺(さんたん)たる状況とは……。

このクラスにモデルを投入したのはトヨタのほうが早く、1995年のことだった。海外向け「ハイエース」用をベースとしたFRプラットフォームに専用の3ナンバーボディーを載せ、2.7リッター直4または3リッター直4ディーゼルターボを積んだ「グランビア」だ。ラインナップ上はトヨタの最上級ミニバンだったが、サイズが近い同門の「エスティマ」に比べて地味な存在だった。

いっぽうのエルグランドは1997年にデビュー。やはりFRプラットフォームに3.3リッターV6または3.2リッター直4ディーゼルターボを積んだ最上級ミニバンである。当時日本でも人気のあった「シボレー・アストロ」にも通じる存在感のあるスタイリングとV6搭載のプレミアム感によってヒット作となった。対抗してグランビアも3.4リッターV6搭載車、また押し出しを強めた顔つきを持つ姉妹車の「グランド ハイエース」を加えるなどしたが、エルグランドの壁は厚かった。

自ら「キング・オブ・ミニバン」と称したエルグランドは2002年5月21日にフルモデルチェンジして2代目となるが、打倒エルグランドを至上命令として開発されたグランビア改め初代アルファードの発表は翌22日だった。対抗意識の強さが分かろうというものだが、FRレイアウトを踏襲したエルグランドに対してアルファードはFFに転換したため、居住性ではやや分があった。加えてエンジンは3.5リッターV6のみのエルグランドに対し、アルファードは3リッターV6と2.4リッター直4を用意しており、後者が拡販につながった。初代はV6の高級感が受けたエルグランドにとっては皮肉なことだが、セールスは一転してアルファード優勢となる。翌2003年にはダブルスコアがつくようになってしまい、以後エルグランドが王座を奪還することはなかった。

2008年にアルファードは2代目となるが、同時にオラオラ感を増したルックスを持つ姉妹車のヴェルファイアもデビュー。現在は2015年に世代交代した3代目だが、そろそろ次期モデルのうわさもささやかれている。エルグランドはというと、2010年にFF化された3代目となるが、それからすでに11年……。このままフェードアウトしてしまうのだろうか?

(文=沼田 亨/写真=ダイハツ工業、マツダ、スズキ、本田技研工業、日産自動車、トヨタ自動車/編集=藤沢 勝)

1997年「日産キャラバン エルグランド」。当初は販売系列によりキャラバン エルグランドと「ホーミー エルグランド」と称していたが、後に「エルグランド」に統一された。20万台以上を販売して高級ミニバン市場を確立し、ルノーと提携する前後の低迷期の日産を支えた。
1997年「日産キャラバン エルグランド」。当初は販売系列によりキャラバン エルグランドと「ホーミー エルグランド」と称していたが、後に「エルグランド」に統一された。20万台以上を販売して高級ミニバン市場を確立し、ルノーと提携する前後の低迷期の日産を支えた。拡大
2002年「トヨタ・アルファードG」。初代は販売系列によりアルファードGと「アルファードV」が設定され、前者はメッキグリル、後者はボディー同色グリルなど細部が異なっていた。アルファードVは2代目以降「ヴェルファイア」となる。
2002年「トヨタ・アルファードG」。初代は販売系列によりアルファードGと「アルファードV」が設定され、前者はメッキグリル、後者はボディー同色グリルなど細部が異なっていた。アルファードVは2代目以降「ヴェルファイア」となる。拡大
2020年10月にマイナーチェンジされた現行(3代目)「エルグランド」。2010年に登場した際のフロントグリルはシンプルな横桟のみだったが、2014年のフェイスリフトでまずグリル面積が広げられ、現在はこのような顔つきに。変化の理由は言わずもがなであろう。
2020年10月にマイナーチェンジされた現行(3代目)「エルグランド」。2010年に登場した際のフロントグリルはシンプルな横桟のみだったが、2014年のフェイスリフトでまずグリル面積が広げられ、現在はこのような顔つきに。変化の理由は言わずもがなであろう。拡大
2021年5月に一部改良が施された現行(3代目)「アルファード」。2代目から姉妹車の「ヴェルファイア」が加わって以降、より押し出しの強いカスタム系のマスクを持つヴェルファイアがセールスで勝っていた。しかし2017年のマイナーチェンジでアルファードの顔つきがオラオラ度を増したところ、一気に逆転。今はアルファードが8割以上と圧倒している。
2021年5月に一部改良が施された現行(3代目)「アルファード」。2代目から姉妹車の「ヴェルファイア」が加わって以降、より押し出しの強いカスタム系のマスクを持つヴェルファイアがセールスで勝っていた。しかし2017年のマイナーチェンジでアルファードの顔つきがオラオラ度を増したところ、一気に逆転。今はアルファードが8割以上と圧倒している。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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