第750回:いいものだけを世界から? アキオ社長の妄想自動車会社
2022.03.31 マッキナ あらモーダ!株式会社アキオ自動車
この原稿が読者諸氏の目に触れるころには、エープリルフールがやってくる。近年は自動車メーカーも、ウェブサイトなどでさまざまな「空想」や「冗談」を披露するようになった。そこで、今回はかつて筆者が抱いた、冗談のようで実は真面目だった妄想にお付き合いいただきたい。
その名を「株式会社アキオ自動車」という。筆者が小学校から中学校時代に考えた架空のクルマメーカーである。なぜそのような空想にふけっていたかというと、きょうだいがいなかったことや両親とも働いていたこと、そして電車通学だった=放課後に遊ぶ仲間がいなかったことで、他の子どもよりも一人でいる時間が長かったことがある。そして愛読書が『自動車ガイドブック』だったことも多分に影響した。
本連載の読者には、世界的に活躍する自動車デザイナーが何人もいる。そうした方々は親切にも、さまざまな機会に「毎週『webCG』の連載読んでいますよ」と声をかけてくださる。したがって本稿の構想当初、筆者の稚拙なイラストレーションを掲載するのはなんとも気が引けた。さらにフェラーリのデサインで知られるレオナルド・フィオラヴァンティ氏が幼少期に描いた自動車画と比較すると、雲泥の差であることにがくぜんとする。
しかし、自分が意図したクルマを文章だけで表現するのは、明らかに限界がある。そこで、当時描いたものと、今回描き下ろしたものの双方を、あえてご覧いただくことにした。
ここはひとつ、絶世のオンチにもかかわらずレコード録音し、果てはカーネギーホールの舞台にまで立ったフローレンス・フォスター・ジェンキンス(彼女のストーリーは2016年に米国で映画化された)の歌を聴くつもりで、ご高覧いただきたい。
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軽便車製造から一大グループに
アキオ自動車には前身があった。幼稚園時代に考えた「ヤルブー」というブランドだ。ネーミングは、意思表示の「やる」と「自動車(ブーブー)」から無意識のうちに自然発生したに違いない。看板車種の「スキンマイク」は、テレビCMが盛んに流れていた「スキンミルク」と、家に転がっていた録音用の「マイク」を合わせた造語だったと想像する。
スキンマイクは1人乗り、または2人がタンデムに乗車する、全幅が極めて狭い街乗り用自動車だった。家屋と家屋の間などの狭いところをすり抜けることができれば、目的地により早く到達できるという、大人では考えられない夢を抱いていたからだった。
そのヤルブーがアキオ自動車に社名変更したのは、小学校に入学した頃だった。以来、一転してアメリカ車に似たフルサイズ車が中心の取りそろえとなった。セダンやクーペ、さらに図鑑で覚えたパレード用のランドー型まで絵を描き、それぞれの“豪華カタログ”も自作した。時には変形判やアルミホイルを貼った美麗版も制作した。
ただし、絵が好きだった母親から「実際のクルマのフロントウィンドウは、もっと湾曲している」といった、さまざまなダメ出しを受けた。フロントとリアのオーバーハングに関しても「普通のクルマをよく見てごらん。そんなに長くないから」と指摘されてしまった。以後筆者は、これまた当時のアメリカ車同様にダウンサイジングを図るようになった。
小学校高学年になると、企業としてのアキオ自動車も経営多角化を図るようになった。(何かのテレビCMで覚えた地名である)東京都港区南青山3丁目に「ホテル・アキオ」をオープン、館内レストランでは招聘(しょうへい)した外国人シェフ、ベリー・グッドマンが、肉の形を日本列島風に整えて客に出す「ジャパン・ビーフステーキ」を売り物にした。中高一貫の学校法人「大矢学園」も設立。いっぽうで、都心の社屋を売却し「ニューオフィスYOKOTA」と称して横田基地周辺の米軍払い下げ地に新本社を建設するという、脱都心化も敢行した。
そうした数々の関連会社と事業は『ALL OF AKIO』というじゃばら式に開くパンフレットにまとめた。元ネタはといえば、ヤナセが毎年発行していた『ALL OF YANASE』という冊子だった。同社が取り扱う全輸入車だけでなく、ビニールハウス用ヒーターやスピード違反自動取り締まり機、果てはハワイ・ホノルルのカントリークラブまで全業務が掲載されていたそれを模倣したのだった。
いすゞにやられる
アキオ・グループは「昭和放送」というラジオキー局の筆頭株主でもあり、アキオ自動車提供番組には、社長自らがレギュラー出演した。夜、親に悟られないよう布団をかぶってスタジオ出演のまねをしていたものだ。
クルマの絵を描くのに最適だったのは、出光興産が毎年配っていた掛け軸状カレンダーだった。その横長判型が側面図を描くのにちょうどよかったのだ。
ただしアキオ自動車には、特殊なモデルもあった。フランスのルノー公団(当時)とのライセンス契約のもと「ルノー14」を日本で生産、アキオ・ブランドのいち小型車として販売した。日産が「フォルクスワーゲン・サンタナ」を座間工場で製造する何年も前である。なぜルノー14かといえば、クロームを限りなく廃したクリーンなデザインが好きだったのと、日本未導入だったからだ。今日、60代のフランス人の知人は、「昔ルノー14が教習車だった」と言い、「人生で出会ったうち最悪のクルマだった」と笑う。その話を聞くたびパリの空の下で、筆者の日仏合弁計画を思い出す。
いっぽうで「サンダースポーツ」という車種は、もともと「サンダー自動車工業」という会社の製品だった。しかし、純粋なスポーツカーに拘泥したことから経営が悪化。創業社長はアキオ社長のクルマづくりへの情熱に引かれて商標を無償譲渡したあと、間もなく倒産してしまう。その後アキオ社長は、サンダースポーツの性格を、いわゆるスペシャルティーカー路線に転換して見事復活させる、というストーリーだった。
中学生になってからもアキオ自動車は存続した。他社との差異性を強調すべく、デザイン路線を明確に打ち出した。イメージリーダー役は3ドアハッチバック「クロース」だった。5ドアも計画されたが思いのほかコストが上昇し、コンセプトカー段階で断念、という話まで考えた。さらに、ひとまわりサイズが大きい「プログレス」は、「ローバーSD1」に似たファストバック型高級車だった。
日本語ネーミングのシリーズ計画もあった。契機は1980年の「トヨタ・カムリ」であったと思う。第1弾は、アキオ自動車初の商用車であるピックアップトラック「与作(よさく)」だった。同名の演歌がリリースされたのは1978年。当時小学校高学年だった筆者は、直ちにそれをネーミングに反映した。国内第2販売チャンネル用の姉妹車「商人(あきんど)」も用意した。
日本語名は乗用車でも実現した。「美しいこの島を、忘れてはいないか?」という歌詞で始まるCMソングには松崎しげるを“起用”した。ところが後年、同名の自動車が、本当に他社から発売されてしまった。1983年「いすゞ・アスカ(フローリアンアスカ)」である。ゼネラルモーターズの「Jカー」をベースにした同車を見て「アキオ自動車の『アスカ』は、もっとオリジナル性が高いんだってば」と心の中で叫んだものだ。
イタリアで実車が走っていた!
アキオ自動車は中学3年生のころに自然消滅した。思春期において、何を考えるにも男子よりも先に現実的思考をするようになる女子の前で、そうした空想が気恥ずかしくなったのだ。特に先輩女子たちが、同じ校舎内の高校に進学して16歳になった途端「もう結婚だってできるのよ」と自慢げに言い出すのを聞くたび、「一体俺は、架空のクルマ会社なんかで遊んでいてよいのか」という、やるせない気持ちになった。アキオ自動車とアキオ社長は、間接的に言えば異性によって消されたのである。
無数につくったアキオ自動車の美麗なカタログがどこに消えてしまったのか、今や知る由もない。だが四半世紀前にイタリアで生活し始めた最初の日、アキオ自動車を真っ先に思い出したのも事実だった。きっかけは、本欄でもたびたび紹介してきたピアッジオ製三輪商用車「アペ」である。極端に狭い全幅と単眼ヘッドライトは、幼少期に考えたヤルブー・スキンマイクの幻影を見たようだった。今日でもアペに遭遇するたび、心の中ではヤルブーと呼んでいる。同時に、往年の自社製モデルを街で遠くから静かに眺める創業経営者を、心の中で演じているのだ。
ついでに言えば、本物の「アキオ社長」が現れて、自社を販売台数世界一の自動車メーカーに育ててくれた。したがって、筆者としては十分に満足なのである。
(文と写真とイラスト=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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