第245回:壊れた家族はミニバンでどこへ向かうのか
『くるまの娘』
2022.05.24
読んでますカー、観てますカー
車中泊のためのクルマ
意味のとりにくいタイトルである。『くるまの娘』とは、自動車が好きな娘なのか、あるいは自動車販売店の娘なのか。まさかジュリア・デュクルノー監督の映画『チタン』のように、人間の女性とクルマの間に生まれた子供ということではないだろう。読み始めても、タイトルの含意するものは判然としない。語られているのは女子高生の日常だ。ただ、不穏な空気が漂っている。
家族がクルマに乗って旅をする話である。栃木県片品村まで、父と母、娘の3人でドライブする。宿はとらず、道の駅で車中泊。この要約を素直に受け取れば楽しい旅行に見えてしまうかもしれないが、車内は緊張感に包まれている。旅の目的が葬式に参加することだから、浮き立つ気分にならないのは仕方がないだろう。もっと大きな理由がある。この家族は、すでに壊れているのだ。
具体的な車名は記されていない。この家族は旅行では車中泊しており、「それができる種類の車を、母と父が相談して決めた」という。「二列目と三列目の座席を倒して段差をなくすためのマットを敷き、窓に覆いをし、寝袋や毛布にくるまって眠る」という記述があるから、ミニバンであることは確かだ。子供が幼いとはいえ5人家族で車中泊するのだから、「トヨタ・シエンタ」や「ホンダ・フリード」ではないだろう。「トヨタ・ノア/ヴォクシー」「ホンダ・ステップワゴン」「日産セレナ」あたりだと考えられる。
家族の幸福な時間を支えるのがミニバンである。一緒に買い物に行き、旅行に行き、学校や幼稚園の送り迎えにも乗っていく。カタログには、笑顔いっぱいの家族が楽しそうに乗車している写真が並べられている。父親か母親が運転し、2列目には子供たち。大家族だったり祖父母も一緒だったりするなら、3列目シートにも乗るかもしれない。家族みんなが心をひとつにして同じ目的地を目指すのだ。
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家族という地獄
この小説では、ミニバンが運ぶのはハッピーな仲良し家族ではない。父母と一緒に住んでいるのは娘だけで、兄と弟は家を離れている。厳しい父が全員を統率していた時代は終わり、力をつけた子供は不満を隠さないようになった。一つの原理で成り立っていた関係性は、もはや維持できない。均衡が崩れると、それまでの当たり前が通用しなくなる。母は、心を病んでしまった。
今でも互いを必要とし、愛情を求め合っている。わかっていても気持ちはすれ違い、対立があらわになる。幸福だった頃の記憶があるから、寒々とした現在の姿が心を突き刺すのだ。やりきれないという思いは、ついに狂気を誘発してしまう。爆発的なパワーで目覚ましいスピードをもたらすクルマはもともと暴力性を秘めていて、死に向かうベクトルを持っている。ミニバンの中に、家族という地獄が立ち現れている。
途中で合流する兄は、同じミニバンに乗っている。かつて父が運転していたものを譲り受けたのだ。2台続けてファミリーカーのミニバンを購入したということは、父はまだ家族の絆という幻想を抱き続けているのだろう。兄は新たな家族に希望を託しているのかもしれない。
娘にとってのミニバンは、アンビバレントな存在になっている。ハッピーライフというファンタジーは消えてしまっても、安らぐ場所であることは変わっていない。兄と弟がいなくなり、父と母の間に親密性が失われてしまった家には、自分の身の置きどころを見つけられなくなった。クルマがアジールとしての役割を果たすことはできるだろうか。
若き才能の芥川賞受賞第1作
作者の宇佐見りんは、『推し、燃ゆ』で2020年下半期の芥川賞を受賞した。大学在学中で、史上3番目の若さだった。本作は受賞第1作となる。2019年に『かか』が文藝賞と三島由紀夫賞に選ばれていて、若くして輝かしい才能を発揮しているのだ。
『推し、燃ゆ』はキャッチーなテーマを扱った小説だった。トレンドとなっていた“推し”という概念を取り上げたことで、審査員の興味を引いたことは確かだろう。芥川賞には、スターバックスを舞台にした受賞作が選評で称賛されたという痛恨の歴史がある。宇佐見りんもメディアでそれと同じような扱いを受けてしまったのは不幸だった。小説家としての力量が抜きんでていることがきちんと伝わっていない。
伝統的な日本文学の文体を自在に使う技を手中にしていて、プロフィールを知らなければ相当なベテラン作家が書いていると勘違いしてしまいそうだ。言葉や表現が選び抜かれており、精密な観察力と豊潤な表現力が、見事な描写を生み出す。視線の先にある対象を記述しているだけのように見えて、そこには主体の心の動きが見て取れるのだ。今はフラットにストーリーを進行させていくだけの小説もどきがあふれていて、このようにていねいで繊細な文章に出会う機会はなかなかない。
『くるまの娘』は、デビュー作の『かか』と密接につながっている。どちらも母と娘のセンシティブな愛憎が描かれていて、家族という閉鎖空間の中でのひりひりとした痛みや苦悶(くもん)が浮かび上がる。作者は自動車について豊富な知識があるとは思えないが、ミニバンという絶好のアイテムを選んだことでこの作品は深みと説得力を獲得した。読み終えると、この小説がまさに“くるまの娘”についての物語であることに気づいてぼうぜんとするだろう。
(文=鈴木真人)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。