第248回:チャラ男が乗るデイトナがたどる悲惨な運命……
『リコリス・ピザ』
2022.07.01
読んでますカー、観てますカー
あの監督のキラキラ恋愛映画
高校のイヤーブック撮影会で、カメラマンのアシスタントの女性に男の子が恋をする。一目ぼれだ。会ったばかりなのに、「君と出会うのは運命なんだ!」と話しかける。大人びているが、年齢なりの未熟な言葉だ。女性は「12歳とは付き合えない」と軽くあしらう。男の子は諦めない。「15歳だよ」と言い返す。彼女だってうれしくないわけではないが、大人の余裕がある。「私は25歳。彼女になったら法律違反よ」。
『リコリス・ピザ』は、キラキラした出会いから始まる。しかし、まだ安心はできない。ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作なのだ。この連載で紹介した2018年の『ファントム・スレッド』では、恋愛の駆け引きの末に女が男に毒キノコ入りのスープを飲ませた。2007年の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では普通に見える人が恐ろしい暴力を振るうようになったし、この人の映画ではいつも不穏な出来事が起きる。だから半信半疑で観ていたが、大丈夫。これはみずみずしい青春の詰まった“ボーイ・ミーツ・ガール”ストーリーである。
とはいっても、アイドルを起用した甘いばかりの胸キュン映画からはかけはなれている。もちろん、“壁ドン”も“頭ポンポン”も出てこない。好きという感情だけで恋が成就するはずはなく、2人は人生を切り開いていくなかでビターな現実に触れていく。
わかりやすい美男美女カップルとは言えないが、リアリティーを感じさせる絶妙なキャスティングである。男の子ゲイリーを演じるクーパー・ホフマンは、監督の盟友フィリップ・シーモア・ホフマンの息子。ヒロインのアラナは、アラナ・ハイム。三姉妹バンドのハイムでギターを弾いているミュージシャンだ。監督はミュージックビデオを手がけていて、以前から親交があった。
「356」で誘惑するショーン・ペン
リコリス・ピザというのは、1970年代に人気があったレコード店チェーンの名前だという。映画に店は登場しないが、当時の空気感を表す象徴的存在としてタイトルに使われている。物語が始まるのは1973年で、舞台となっているのはカリフォルニアのサンフェルナンド・バレー。実在の地名や店舗、当時の有名人が登場する。ケネス・ブラナーが『ベルファスト』で自らの少年時代を描いたように、ポール・トーマス・アンダーソンはこの映画で青春時代を回顧した。そこには悔恨の影がよぎるだろう。
年下ではあるが、ゲイリーのほうが世慣れている。自信にあふれ、努力で運命を引き寄せられると信じているようだ。アラナはまだ人生の目的を見つけることができない。将来のビジョンを描けず、今の仕事を漫然と続けているだけ。ゲイリーはちょい役ながら子役としてテレビに出演しており、常に金もうけのチャンスを狙っている。ウオーターベッドが流行しそうだとひらめくと、即座に行動を開始。通信販売を始める。アラナはビジネスパートナーになった。
ゲイリーはアラナにも俳優になるように勧める。キャスティングディレクターを訪ねると、「すてきなジューイッシュノーズ!」とほめられた。後で出てくるバーブラ・ストライサンドにつながるシーンである。もっと際どい宗教ネタも出てくるが、背景を知らないので日本人には理解しにくい。わかりやすいのは、「おっぱいを見せられるか?」と聞かれたアラナが「YES」と答えてゲイリーがうろたえ、「だったら僕にも見せてくれ」とスネる場面だ。国や文化を問わず共通のD.T.心理である。
ベテラン俳優ジャック・ホールデン(モデルはウィリアム・ホールデン)役のショーン・ペンは大物感たっぷり。「ポルシェ356カブリオレ」でアラナをエスコートする。明らかな下心を抱いてディナーに誘うところは、性加害が問題となっている現在ではセンシティブな描写になる。
ガス欠トラックで急坂を下る
もっとチャラいキャラクターが、プロデューサーのジョン・ピーターズである。なんと、実名で登場する。監督に役作りのアドバイスをしたというから偉い。セコくて女好きのクズ野郎だが、本人のお墨付きなのだから問題はないのだ。ブラッドリー・クーパーがノリノリで演じている。豪邸で暮らし、愛車は「フェラーリ365GTB/4スパイダー」だ。コンディションのいいきれいなクルマだが、ボコボコにされてしまう。貴重な名車を破壊するなんてひどいと思ったが、どうやらレプリカだったようだ。
終盤で、アラナが見事なドライビングテクニックを披露する。ガス欠になったフォードの大型トラックに乗り、バックで急坂を下っていくのだ。CGを使わず、自らハンドルを握っている。このシーンのために、3カ月間トラックの運転を習ったそうだ。
「ポンティアックGTO」「シボレー・カマロ」「AMCホーネット」など、街を走っているのは1960年代から70年代にかけてのアメリカ車。そして、当時のヒット曲が全編にわたって流れている。ビング・クロスビー、ソニー&シェール、ドアーズ、デビッド・ボウイ、ポール・マッカートニー&ウイングスなどのナンバーだ。あの頃はよかった、と懐かしんでしまいそうになるが、さまざまな問題を抱えていた時代でもあることも描かれている。
新聞には中東危機の見出しが躍り、テレビではニクソン大統領がガソリンの節約を呼びかける。禁止されていたピンボールがようやく解禁。まさに『1973年のピンボール』だ。映画館にかかっているのは、『007 死ぬのは奴らだ』と『ディープ・スロート』。ゲイの政治家は、まだカミングアウトできないでいる。そういう時代だった。明るい青春映画として楽しんでいるうちに、ふと苦い記憶を呼び覚まされてしまう。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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