第251回: 貧困と抑圧から抜け出すための過激なドライブ
『ドライビング・バニー』
2022.09.30
読んでますカー、観てますカー
巨大なウレタン空力パーツの改造車
タイトルが『ドライビング・バニー』なのだから、ロードムービー的な要素が入っている。クルマで移動する場面が描かれているのだが、紹介するにあたって不都合な事態が生じてしまった。何というクルマか判然としないのだ。極端な改造が施されているせいである。前後ともに巨大なウレタンの空力パーツが付加され、クルマのフォルムがよくわからない。フォードの「レーザー」か「メテオ」あたりのディテールに似ているようではあるが、確証が持てない。
1990年ぐらいに生産された4ドアセダンなのは確かだろう。エンジンもチューニングされているようで、野太い排気音が響く。オーナーがそういうクルマを好むタイプであることが示されている。パワーを信奉する男性至上主義のマッチョ野郎として描かれているのだ。
もちろん、彼は主人公ではない。ヒロインのバニー・キングは、シングルマザーである。息子と娘がいるが、一緒に暮らしてはいない。ある事件を起こして服役したことで、裁判所から同居を禁止されているのだ。家庭支援局で監視されながら面会することしかできない。2人は里親のもとで暮らしている。再び子供たちと一緒に生活するためには、職を持って家を借りることが最低条件になる。
現実は厳しい。前科者の就職先は限られている。バニーの仕事は“窓拭き”である。交差点で停車しているクルマのフロントウィンドウを拭き、小銭をもらう毎日だ。家賃を払って子供たちを養うほどの稼ぎになるとは思えない。住むところはなく、妹夫婦の家に居候している。絶望的な逆境だが、子供たちと暮らすためにはどんなことでもする。原題は『The Justice of Bunny King』。彼女にとっての正義を貫く姿が描かれる。
持ち主はゲス野郎
冷静に考えれば、バニーの願いがかなう可能性は低い。就職の道は閉ざされているし、小汚い格好をしているから家を借りにいっても門前払いである。先の見通しが立たず、彼女はいらだって時に暴言を吐く。気持ちはわかるが、目的を達成するには話し合いや歩み寄りが必要だ。社会や制度に問題があることは否めないとしても、まわりは敵ばかりではない。家庭支援局にも、親身になって考えてくれる職員もいる。
幸いなことに、妹夫婦の家には居場所があった。バニーが子育てや料理を手伝って、少しは役に立っていると感じられる。妹は再婚で、現在の夫ビーバンとの間に生まれた幼い子供たちのほかに連れ子のトーニャがいた。生意気ざかりで、バニーのことはウザがって相手にしない。それでも平穏な日々を過ごしていたが、バニーはビーバンがクルマの中でトーニャに言い寄っている場面を目撃する。猛抗議するものの、ビーバンは運転を教えていただけだと言い訳し、逆ギレして彼女を追い出した。
妹に事情を話すと、夫の言い分を信じるという。彼女だって夫が娘に手を出そうとしていることにうすうす気がついているはずだが、捨てられるのが怖くて何も言えないのだろう。よくある話である。直接的ではなくても、家長の男が暴力で支配している家庭は珍しくない。例のクルマの持ち主が、この男だ。爆音をまき散らしながら、自分の存在をアピールしている。
バニーは黙っていない。ガレージに忍び込み、クルマの側面にスプレーで「SCUM」と落書きする。人間のクズ、ゲス野郎といった意味である。それだけでは足りないのか、よじ登ってサンルーフを開け、衣服を脱いでその上にしゃがみこんだ。ほめられる行為ではないが、これも彼女の正義である。
盗んだクルマで走り出す
状況は悪化しているが、どうしても娘の誕生日を一緒に祝いたい。思いは募り、行動は短絡的になる。禁止事項を破ってしまい、子供たちは遠い場所に移送されてしまった。歩いていくことはできないから、バニーは再びガレージに行ってクルマを盗み出した。家を出たトーニャと一緒に、子供たちのもとへ向かう。車内は少々アンモニア臭いが、自業自得である。
バニーを演じているのは、オーストラリアのベテラン女優エシー・デイヴィス。2021年の『ニトラム NITRAM』での、無差別銃撃事件を起こす青年と心を通わせる孤独な老女役が印象に残っている。その映画を監督したジャスティン・カーゼルは夫である。彼の前作『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』で娼婦役だったトーマシン・マッケンジーがトーニャを演じている。彼女は『ジョジョ・ラビット』や『ラストナイト・イン・ソーホー』などにも出演した期待の若手女優だ。
この映画は、貧困を描きながらも、単純に政治や社会を告発する展開にはなっていない。バニーの正義は尊重されるべきだが、彼女の行動を全面的に肯定することはできないのだ。苦い結末を受け、観客は自分が弱者に対してどう向き合ってきたかを顧みることになる。
ハッピーエンドにはならないが、最後には希望が示された。あの改造車に乗って、新しい旅が始まる。ちょっと小便臭いことはガマンしなければならないけれど。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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