第253回:ダメ人間の父はクルマの運転を教えてくれた
『フラッグ・デイ 父を想う日』
2022.12.22
読んでますカー、観てますカー
ペン家のファミリームービー
贋札(がんさつ)犯の話である。1992年に起きたアメリカ最大級の贋札事件を描いているという。原作の著者は、犯人の実の娘。ジャーナリストである。高度な技術を用いた精巧な贋札だというが、映画では製造の様子はほとんど出てこない。『フラッグ・デイ 父を想う日』という邦題から推察できるように、父と娘の関係がテーマになっている。
スタッフとキャストも、父と娘である。主人公ジョン・ヴォーゲルを演じるのはショーン・ペン。監督も務めている。娘のジェニファーはディラン・ペン。ショーン・ペンの娘である。ちょい役だが、息子のホッパー・ジャック・ペンも登場する。ペン家のファミリームービーでもあるわけだ。『運び屋』でクリント・イーストウッドも実の娘と共演したが、家を顧みない父を罵倒するシーンは実生活そのままだったらしい。ペン家の親子は関係が良好なようで、なによりである。
娘にとって、父は甘美な思い出の中にある。ルーフの上に荷物を満載したフォードのワゴンで旅をしたのは1975年の夏。麦畑の中で肩車をしてもらった。夕暮れになると、レストラン「ハッピー・ハイウェイ・ハリー」の動く看板をスケッチ。弟と一緒に駆け回って遊んだ。
日が暮れてクルマを走らせていると、母と弟は夢の中へ。ジェニファーは運転する父の膝に座る。父は11歳の娘にハンドルを握らせ、「運転を覚えれば世界が広がるぞ」と言う。「1時間ほどでカーブがある」と指示して眠ってしまった。アメリカの道は真っすぐで、めったにハンドルを切らない。とはいえ、さすがにむちゃだ。こういう父親だから、娘はしっかり者に育っていく。
クルマで自分を大きく見せる父
ワゴンで向かったのは、父が購入した農場だった。新しい生活が始まる。美しい自然の中での心地よい暮らし。毎日のようにたくさんの資材が運び込まれ、農場は家族を支える場所になるはずだった。子供たちはわかっていなかったが、すべて借金である。無計画な父は大風呂敷を広げるだけで、先の見通しが立っていない。行き詰まると一人で家を出ていってしまう。
残された妻は酒に逃げる。子供たちはすさんだ生活に見切りをつけ、父の元へ。当然のように若い女と暮らしていて、楽しそうだ。ダメ人間なのに趣味は高尚で、いつも聴いている音楽はショパンだ。若い女がボブ・シーガーのレコードをかけようとすると不機嫌になる。湖のほとりの小屋で遊んだ時は、水陸両用車の「アンフィカー」に乗せてくれた。やはり享楽的な生き方は破綻し、子供たちは家に帰されることになる。
1981年、ジェニファーが父の家を訪ねると、窓に紙が貼られていて中が見えない。どうやら、また借金取りに追われているようだ。成長した娘は、ちゃんと働いて地道に暮らすよう父を諭す。すでに精神的には立場が逆転しているのだ。ジェニファーは父の「ビュイック・ルセイバー」を運転させろと言う。「いつ覚えた?」と訝(いぶか)しむ父に、「11歳の時よ。“世界が広がる”と誰かが言ったから」。父は「そいつは賢いやつだ」とうれしそう。
時給2ドル50セントのバイトを始めた娘は、お金をためて400ドルの「フォルクスワーゲン・ゴルフ」を買った。きれいな水色だが、ボロボロである。ジャーナリストになって自立してからも、ぜいたくはしない。愛車は「シボレー・シェベット」だった。思い返せば、父が乗っていたのは大きなクルマばかり。背伸びをして、自分を大きく見せようとしていた。
フラミンゴレッドのジャガー
フラッグ・デイとは、アメリカの国旗制定記念日のことである。1777年に星条旗が制定されたことから、毎年6月14日には国民が自宅に旗を掲げて祝う。ジョンはこの日が誕生日で、自分が祝福されていると感じていた。それは自尊心というより選ばれた人間であるという勘違いに変わり、エゴイスティックな考えをふくらませていく。
『7月4日に生まれて』は、もうひとつの代表的な国民的祝日の独立記念日が誕生日の青年が愛国者になり、壮絶な人生を送る話だった。これも実話に基づいた映画である。輝かしい未来が約束されていると感じることは、必ずしもいい結果をもたらすわけではないようだ。
時が過ぎ、疎遠になっていた父は、ジャーナリストとして忙しい毎日を送る娘の前に現れる。思い出の湖に行こうと誘うが、ジェニファーは素直になれない。何度も電話があって彼女はシェベットに乗って湖に向かう。ボートに乗ると、父は謝り始めた。娘の心を取り戻したいのだ。確実で実用的なものを贈りたいと考え、1989年型「ジャガーXJS」を注文したと話す。「フラミンゴレッドで内装は本革だ」と誇らしげだ。娘が喜ぶと思ったのだろうが、逆効果である。父は感謝の気持ちをモノでしか示せない。娘はただ、昔のパパに戻ってほしい。
はたから見れば、ジョンは父親失格である。誇大妄想を抱き、家族に迷惑をかけてきた。娘を愛しているが、都合のいい時にしか会いにこない。それでも、娘の中ではかけがえのない思い出の中で生きている。クルマの運転を、そして人生を教えてくれた人なのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。