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第177回:ダイハツ欧州撤退と民宿の目覚まし時計

2011.01.22 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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第177回:ダイハツ欧州撤退と民宿の目覚まし時計

ご縁は1960年代から

本サイト読者の方ならご存じと思うが、ダイハツは2011年1月14日、欧州市場での新車販売を2013年1月で終了すると発表した。
円高ユーロ安、そして欧州CO2規制等に対応するためのコスト増加で、今後日本生産の完成車輸出では事業が成り立たないと判断したものである。

ダイハツの発表によると、現在ヨーロッパにおけるディストリビューターの数は10社、ディーラー数は約1000社(うち専売ディーラーは400社)という。
筆者が住むイタリアにおけるダイハツ販売の歴史を振り返ってみると、1994年、ダイハツ・イタリア社の前身であるDPS社が設立され「ダイハツ・フェローザ」(日本名:ロッキー)の販売を開始したのがその始まりであった。
ただしそれ以前にもスイスなどを経由し「ダイハツ・タフト」などの並行輸入は行われていたという。

また今回の販売撤退とは直接関係ないが、ダイハツのイタリアン・コネクションは長い。
1963年春、カロッツェリア・ヴィニャーレによるデザインの「ダイハツ・コンパーノバン/ワゴン」を発売し、同年秋のトリノショーには同じくヴィニャーレによる「ダイハツ・スポーツスパイダー/クーペ」を展示している。
1981年には当時デ・トマゾ傘下にあったイノチェンティと契約調印し、「イノチェンティ・ミニ」のために「ダイハツ・シャレード」用3気筒エンジンを供給した。ちなみに同年モンテカルロ・ラリーでは、シャレードがクラス優勝を果たしている。

さらに1992年にはピアッジョの本拠地であるポンテデラにダイハツ・ヨーロッパを設立し、「ハイゼット」をベースにした「ポーター」のKD生産を開始した。ダイハツ・ヨーロッパは2003年に解散するが、日伊両スタッフのサインでボディが埋められたラインオフ1号車は、今でもポンテデラのピアッジョ博物館に展示されている。
ジウジアーロともつながりがあった。1998年の2代目「ムーブ」のデザインや、2006年パリサロンのコンセプトカーは、彼らの共同作業の結果である。

「トレビス(日本名:ミラジーノ)」。シエナの目抜き通り「バンキ・ディ・ソプラ」にて。
「トレビス(日本名:ミラジーノ)」。シエナの目抜き通り「バンキ・ディ・ソプラ」にて。 拡大
「マテリア(日本名:クー)」。シエナにて祭りの日に。
「マテリア(日本名:クー)」。シエナにて祭りの日に。 拡大
ピアッジョ製「ポーター(日本名:ハイゼット)」と「コペン」が仲良く並ぶ。
ピアッジョ製「ポーター(日本名:ハイゼット)」と「コペン」が仲良く並ぶ。 拡大

全メイドインジャパンが消滅

話を戻すと欧州市場撤退はダイハツ・イタリア社のサイトにもページが設けられ、「保証(現在5年間)を遵守する」とともに「指定工場を通じてアフターサービスも行っていくこと」が文中で強調されている。
イタリアの主要新聞のひとつ「ラ・レプブリカ」の電子版も、自動車欄のトップでダイハツ欧州撤退を取り上げた。それによると、ダイハツ専売店には、トヨタ販売店に転換するオプションもすでに示されているという。

ちなみにボクが住むシエナのダイハツディーラーはトヨタの併売店で、現在は広いショールームの一角にダイハツ車を置いている。彼らの店では、特に「テリオス」が近郊に住む人たちに売れていたという。シエナは、世界遺産の歴史的旧市街を一歩出ると、いきなり田舎といっても過言ではない。そうしたエリアでの生活に、街でもオフロードでも小回りの利くテリオスは重宝だったのである。彼らの店で売れるダイハツ車の、実に半数以上はテリオスだったらしい。

しかし以前は離れの建物がダイハツ専用ショールームだったことを考えると、やはり近年ダイハツの販売がフェードアウト気味であったことがうかがえる。
思い起こせば、イタリアにおけるダイハツの広告は「テリオスはポルチーニ茸800kgより安い」と宣言したり、東洋風美少女イラストを使ったりと、日本メーカー他社の広告より格段に奇抜だった。
ドイツでは、ドライバー1万6200人を対象にしたJDパワー社の調査において、信頼性・維持費・アフターサービスなどの総合点で、並み居る高級ブランドを差し置いてダイハツが1位に輝いていた。それだけに今回の撤退が惜しまれる。
だが何よりも残念なのは、ダイハツ撤退で全ラインナップ・メイドインジャパン(近年、ダイハツ自身もそれを広告でうたっていた)の日本車ブランドが欧州から消滅してしまうことだ。

シエナのダイハツディーラーで。
シエナのダイハツディーラーで。 拡大
「『テリオス』はポルチーニ茸800kgより安い」と題した1998年10月の広告。
「『テリオス』はポルチーニ茸800kgより安い」と題した1998年10月の広告。 拡大

いつか田舎でダイハツと

そうしたことを書いていたボクは、ある経験を思い出した。イタリア北部ロンバルディアで偶然泊まった一軒の民宿でのことである。
まだ民宿を始めて間もないらしく、ボクがあてがわれた部屋には、娘さんのものと思われるグッズが並んでいた。ベッドに転がってみると、乙女チックなお人形を眺めながら寝なければならないことがわかった。少々当惑しながら、もう一方にあるサイドテーブルを見た。すると、一つの目覚まし時計が目に入った。表面処理こそはげかかっているが、ボディは最近の製品とは明らかに違う、どこか頑丈な造りだ。デザインもはや新しいとはいえないものの、いまだシンプルかつ風格がある。手にとってみると、驚いたことに「Rhythm JAPAN」と記されているではないか。自動車用時計でおなじみの、あのリズム時計工業の製品である。
今回の執筆を機会に同社に確認したところ、このモデルは日本国内では1977年7月に発売された製品であることがわかった。およそ三十年前のリズム自社ブランド目覚まし時計が、遠くイタリアの民宿の一室で、今も時を刻んでいるとは。

携帯電話、PNDカーナビ……と、欧州市場から日本ブランドの姿が少なくなったり消滅しておく今日このごろだけに、どこか心温められた。

ダイハツのクルマも、ある日ひょっこり訪れたイタリアのどこかの寒村で元気に生き延びていて、ボクを驚かせてくれることを願ってやまない。

(文と写真=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)

ロンバルディアで泊まった民宿の部屋。
ロンバルディアで泊まった民宿の部屋。 拡大
ベッドサイドにあったリズムの時計。凜(りん)としたたたずまいを見よ。リズム時計工業によれば、発売当時の日本での価格は9000円だったとのこと。
ベッドサイドにあったリズムの時計。凜(りん)としたたたずまいを見よ。リズム時計工業によれば、発売当時の日本での価格は9000円だったとのこと。 拡大
裏蓋にも“JAPAN”の文字が刻まれていた。参考までに今日でもリズムは、資本提携先である「シチズン」ブランドのほか、自社製ブランドの時計も製造している。
裏蓋にも“JAPAN”の文字が刻まれていた。参考までに今日でもリズムは、資本提携先である「シチズン」ブランドのほか、自社製ブランドの時計も製造している。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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