第813回:クルマ視点で見たベルルスコーニ元首相の時代
2023.06.22 マッキナ あらモーダ!知られているのはムッソリーニと彼だけ?
イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が2023年6月12日、ミラノで死去した。86歳だった。今回は在住者の視点で、乗り物と個人的な出来事を盛り込みつつ、彼の時代を振り返ることにする。
ベルルスコーニの知名度は、日本では妙に高かった。東京を訪れると、たびたび「ベルルスコーニ首相はお元気ですか?」と冗談交じりに聞かれたものだ。「私に聞かれても家族でないので困る」という憤りを抑えて相手に尋ねれば、やはり彼が主催したパーティーなど、奔放な私生活の印象がその裏にあったようだ。
まあ、“ノリ”だけに焦点を絞れば、ああいうおじさんが親戚に一人いたら楽しいのに、と個人的に思っていたことも事実だ。
彼が2011年11月に政権の座を降りた後も、イタリア帰りの筆者を見るたび、ベルルスコーニが話題に持ち出された。かつてイタリアでは、小泉純一郎元首相が退任後もしばらく人々の記憶に残っていて驚いたものだ。だが日本におけるベルルスコーニは、その比ではない。そればかりか、日本でイタリアの政治家というと、ムッソリーニとベルルスコーニしか知らない人が多いことにも気づいた。
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シルヴィオからの手紙
ベルルスコーニは1936年生まれ。ミラノ大学卒業後、1970年代にミラノ郊外の大規模な宅地開発で成功した。続いて1980年初頭、イタリアでは初となる、全国ネットの民間テレビ放送局の経営に乗り出す。
ただし、この国において全国放送のテレビおよびラジオ局は、公営放送しか法律で認められていなかった。日本テレビ放送網が初の民間テレビとして本放送を開始したのは1953年であったから、30年近く遅れていたことになる。
ベルルスコーニは、自身で開発した宅地に小さなケーブルテレビ局を開設。続いてさまざまな地方テレビ局を買収することで、全国ネットワークを形成した。
大都市郊外の宅地開発といい、民放テレビといい、要するに日本を含む他国では当たり前だったことを、がんじがらめの規制をかいくぐり、術策を駆使しながら一番乗りを果たしたことこそ、ベルルスコーニが成功した理由だった。そればかりではない。自身のテレビ局で放映するCMは、外部の広告代理店ではなく、自身のグループ企業を窓口とすることで事実上の直取引とした。日本式よりはるかに進んでいたのである。
その彼が自身の右派ポピュリスト政党「フォルツァ・イタリア(がんばれイタリア)」を結党したのは1994年。早くも同年5月の総選挙では首相となる。ただし、翌1995年1月に、連立の不和から政権はあっけなく崩壊してしまう。代わりに政治のイニシアチブは「オリーブの木」と称する中道左派連合へと移った。
筆者がイタリアに住み始めたのは、ちょうどそのオリーブの木時代である1996年だ。それでも、ベルルスコーニの存在感は十分にあった。通っていた国立外国人大学で、最新ニュースをふんだんに扱った教材には、企業家としてのベルルスコーニの軌跡が記されていた。
小さなブラウン管式テレビを買ってきてスイッチを入れると、ベルルスコーニ系テレビ局「メディアセット」が3チャンネルもあった。その数は公営放送である「RAI」と同じだった。これは今日でも同じである。
2001年6月になると、ベルルスコーニは政権奪回に成功する。翌2002年1月のことだ。なんとわが家に内閣評議会議長、すなわち首相名の封筒が届いた。驚いて開けると、一通の手紙が入っていた。「親愛なる友人へ」で始まる文章は、従来のイタリア・リラに代わって欧州統一通貨のユーロが導入されたことが記されていた。そして「この小さなプレゼントがあなたにとって有益でありますように。敬具 シルヴィオ・ベルルスコーニ」と結ばれていた。同封されていたのは、イタリア・リラとユーロのカード電卓型換算器だった。選挙キャンペーンではないとはいえ、投票権がないわが家にも舞い込むとは。ベルルスコーニ政権の太っ腹に度肝を抜かれた。
2003年になると、今度はフォルツァ・イタリアから冊子が送られてきた。『あるイタリア史』というタイトルがつけられていた。ただし開いてみると、若き日のクルーズ船専属歌手時代も含め、ベルルスコーニ自身の生い立ちや実業家・政治家としての業績、政策の提案を解説したものだった。2006年には、続編たる『真のイタリア史』も送られてきた。
今となっては「もう少しましな『フォトショップ』の技術があるだろうに」と考えてしまうほど稚拙な合成画像も見られる。だが、写真をふんだんに盛り込み、各特集には単純かつ明快な見出しがつけられていた。文字の羅列で図版も少なく、読む気が到底起きない他党のものとは一線を画していた。そもそもビラやダイレクトメールといったしょぼいものではなく、週刊誌と見まがうようなオールカラー・百数十ページの構成だ。さすがメディア王のやることは違うとうなったものだ。
フィアットをゆでガエルにしなかった
ベルルスコーニ時代の自動車業界に話を移そう。当時のフィアットは、社内抗争で勝ち残ったチェーザレ・ロミティ社長が進めた財務優先方針で、商品性に富んだ魅力ある車種が次々と消滅。経営危機が深刻化していた。2000年に米国ゼネラルモーターズとの業務・資本提携も、さしたる相乗効果を見いだせないままでいた。しかし、ベルルスコーニは、国としての支援は行わなかった。中道左派政権が積極的に導入した新車買い換え奨励金政策にも消極的だった。2004年にフィアットグループの会長になったルカ・ディ・モンテゼーモロと良好といえる関係になかったことが少なからず影響したと筆者はみる。
ただしベルルスコーニは、フィアットにこだわるよりも、当時は売却説さえ流れていたアルファ・ロメオやフェラーリなど、グループ内でよりプレステージ性の高いブランドネームを、より有効に活用すべきだといった趣旨の発言もしている。それに関連して別の機会には、フェラーリの小型版をなぜつくらないのか? といったコメントを残したこともあった。企業家ベルルスコーニの感覚からすると、当時のフィアットグループは、価値あるブランド群の持ち腐れに映っていたに違いない。
後年、フィアットの筆頭株主であるアニエッリ家はセルジオ・マルキオンネという優秀な番頭を見いだし、彼のもとでクライスラーの吸収合併という大ばくちに成功する。仮にベルルスコーニが国を通じて援助していたら、危機感覚がまひしてゆでガエル感覚に慣れきったフィアットは、再編が進む自動車業界で、とうに消滅していただろう。
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ドイツ車がお好き
高速道路や高速鉄道網は、計画から完成まで長年にわたるので、一概にベルススコーニの功績と判断するのは危険である。それでも、明らかに彼の時代に建設が加速し、実現したものは少なくない。
第3次内閣からわずか2年で返り咲いた第4次内閣が発足した翌年の2009年3月には、半島縦断の高速鉄道にとって難所だったボローニャ-フィレンツェ間のトンネルが開通。それによりミラノ-ローマ間を最速3時間での移動が可能になった。開通式典の際、ベルルスコーニは鉄道員の制帽をかぶって敬礼し、メディアの撮影に応じた。
今日、イタリア高速鉄道のいちシンボルである北部レッジョ-エミリアAVメディオパダーナ駅の工期も早かった。第4次政権時代の2008年に建設開始されたそれは、ベルルスコーニ退陣後となったものの、イタリアの公共工事としては異例に早いわずか5年で開業している。ここからも当時はインフラ整備に注力していたことがうかがえる。
高速鉄道とほぼ並行して走るアウトストラーダA1号線「太陽の道」は、2007年から2009年にかけてミラノ-ボローニャ間で3車線化が実現した。
高速道路といえば2005年、ベルルスコーニ政権でインフラおよび運輸大臣の職にあったピエトロ・ルナルディは、高速道路の制限速度が130km/hであるにもかかわらず、「私は150km/h以上で運転する」と発言して、議論を巻き起こした。さらに2009年、ベルルスコーニの政党と連立を組んでいた「北部同盟」は150km/hに引き上げる論議を持ち出した。実際は今日まで実現には至っていないが、スピードに関する捉え方が、ある意味おおらかだった。
いっぽうで公用車の数が膨大だったのも、ベルルスコーニ時代の特徴であった。実際に高速道路では、大名行列のように青い警察車両を前後に数台従わせて走行する車列を頻繁に見かけたものだ。当時を語るには、納税者でつくる団体「コントリブエンティ・プント・イット」による、地方自治体なども含めた2007年の公用車台数の調査結果に基づくのがふさわしい。
それによると、イタリアにおける公用車の数は57万台で、第2位であるアメリカ合衆国(7万3000台)の7.8倍に達した。また、国家予算における自動車リース料は、2001年の2800万ユーロから2006年には1億4000万ユーロへと膨れ上がった。これは第2次から第3次ベルルスコーニ政権の時期にあたる。
閣僚たちの多くは、フィアットグループの高級車ラインナップが不足していたこともあり、「BMW 7シリーズ」「メルセデス・ベンツSクラス」といったドイツ製高級車を選んだ。ベルルスコーニ自身も移動用の車両はもっぱらSクラスやアウディを使用した。特に登場する機会が多かったのは、「アウディA8」の装甲仕様「セキュリティー」だった。モンテゼーモロは、イタリアの閣僚が外国車に乗るのはいかがなものかと苦言を呈したことがあるが、彼らは意に介さなかった。
もちろん霊きゅう車も……
フィアットは危機にあったが、イタリアの国内市場全体を見れば、ベルルスコーニ時代の自動車販売は好調だった。リーマン・ブラザーズの経営破綻の余波を受けた2010年および2011年を除き、第2次から第4次ベルルスコーニ政権時代の2001年から2009年までは年間200万台を切ったことがない。2022年に過去44年で最低の130万台となったことを考えると、当時クルマがいかに売れていたかが分かる。
近年の台数落ち込みは、新型コロナウイルス、半導体不足といった要因も考えねばならない。しかしベルルスコーニより後の政権が、とりわけ高価な乗用車に不利な税制を導入したことも見逃してはいけない。
かつてイタリアでは、自営業者などが自家用と業務用を兼ねたクルマを購入した際、付加価値税の控除率は満額であった。筆者も「今期は無税です」と税理士に言われ、なぜかと思ったらクルマの付加価値税と相殺されていたことがあった。ところが第3次ベルルスコーニ政権が終了した翌年の2007年6月、税額控除率が40%にまで引き下げられた。これによって、クルマを買う意欲をそがれたユーザーは少なくなかった。
ベルルスコーニ政権の最後である第4次内閣が終わって2年後の2013年には、「レッディーメトロ」という制度が施行された。申告所得と動産・不動産購入のバランス監視を厳格化することで脱税を抑止するものだ。自動車の場合最高出力251HP(185kW)以上の車両を購入した場合、必ず税務調査の対象となる。それはどんなに安い中古車でも同じだ。かつて初代「メルセデス・ベンツCLS」の格安中古車を筆者が見つけたときのことだ。10年落ち以上で、かろうじて前述の馬力には達していなかったものの、税理士から「変な勘ぐりをされないように、おやめになったほうが賢明です」と忠告されて断念した。周辺国のように、燃費が悪かったり交換部品代が高かったりするのを覚悟で爆安中古高級車を楽しむ、という趣味は実現しにくくなってしまった。
それらによって高級車を買うマインドになれない空気があふれてしまった。2022年にイタリアで売れた10台中1.3台以上が、「フィアット・パンダ」か「ランチア・イプシロン」、もしくは「フィアット500」というシティーカーだったところにも、いかに高価格車の購入マインドが下がっているかがうかがい知れる。
仮に、ベルルスコーニがその後も政権の座にあったら、激動する自動車産業のなか、どこまで国内市場の活性化につながる政策を打ち出せたかは分からない。ともあれ彼の時代、イタリアの自動車ユーザーにとっては道も良くなり、高級車の税金が安く安心して乗れる、いわば天下太平の元禄(げんろく)時代だったことは確かだ。
2023年6月14日にミラノ大聖堂で行われた国葬で、ベルルスコーニのひつぎを運ぶ車両を生中継映像で確認した。「メルセデス・ベンツEクラス」をベースに、イタリアの霊きゅう車カロッツェリア「ビーエンメ・スペシャルカーズ」が改造した全長6m級のモデルだ。もしや遺言に「たとえ国葬でも、イタリア車は使用しないこと」と明記していたのでは? といった邪推を楽しんだ筆者である。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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