キミは2ドアセダンを知っているか? 4ドアにはないメリットを持つ“絶滅した”ボディータイプ
2023.08.09 デイリーコラムセダン=4ドアにあらず
国産旧車のなかで、相変わらず人気の高い通称“ハコスカ”こと3代目「日産スカイライン」の「2000GT」。ボディーはセダンとハードトップの2種類があるが、近年では後者のことを“ハコスカの2ドア”と呼ぶことがある。だが、これを聞くと筆者のような年配者は違和感を覚えるのだ。
ハードトップは2ドアなので、決して間違いではない。とはいえ、やはり“ハードトップ”あるいは“2ドアハードトップ”と呼んでほしいのだ。「そんなのどうでもいいだろ? これだから年寄りは……」と思われるかもしれないが、そこにはそれなりの理由があるのだ。それがなにかといえば、年配者にとって“2ドア”とは“2ドアセダン”を意味するのである。
と聞いて「2ドアセダン? セダンといえば4ドアだろう」と思うかもしれない。それも無理はない。考えてみれば、日本で2ドアセダンなるものが絶滅してから30年ほどたつのだから。ここで筆者が言う2ドアセダンとは、特定の車種に4ドアセダンとともにラインナップされていたもの。2ドアセダンしか存在しなかった車種、例えば「トヨタ・パブリカ」や「スズキ・フロンテ800」、輸入車なら「フィアット850ベルリーナ」などの場合は、あえて2ドアセダンと呼ぶことはない。
4ドアセダンとほぼ同じルーフラインを持ち、室内の広さなど居住性はほとんど変わらないが、ドアが2枚しかない2ドアセダン。いったいどんな車種に存在したかといえば、トヨタなら初代「ターセル/コルサ」、初代から4代目までの「カローラ」、初代「カリーナ」、5代目「コロナ」。日産は初代と2代目「チェリー」、初代から4代目までの「サニー」、初代「バイオレット」、2代目と3代目の「ブルーバード」。マツダは初代「キャロル」、初代と2代目の「ファミリア」。三菱は「コルト1200/1500」と初代「ランサー」。いすゞは「ベレット」。スバルは「スバル1000/ff-1」と初代「レオーネ」。ダイハツは「コンパーノ」といったところだ。
なお、「三菱コルト800/1000F/11F」や初代「ホンダ・ライフ」、「ホンダ・シビック」のように、2ドアと4ドアが存在しても、ノッチバックのスリーボックスではないモデルは、ここでは除外する。
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2ドアセダンのメリット
先に挙げたラインナップから、日本車の2ドアセダンは1960年代前半から1980年代初頭にかけて、主として800~1600cc級のモデルに用意されていたことが分かる。言い換えれば日本にもモータリゼーションが到来し、乗用車が庶民にも普及し始めた時代のファミリーカー、というわけである。
当時、言われていた2ドアセダンのメリットをいくつか紹介しよう。まずは、ファミリーカーとして使う場合、後席に子どもだけを乗せても2ドアなら間違って走行中にドアを開けてしまう心配がないこと。4ドアセダンのリアドアにチャイルドプルーフが装備されていない、あるいは装備されていても使い方が浸透していなかった時代ならではの話だが、実際にそう言われていたのである。
2つ目は、2ドアセダンのほうが少々価格が安かったこと。構造上当然のことだが、営業車として購入する場合などは訴求ポイントのひとつだった。また車種によっては、2ドアセダンは上級グレードには用意されないこともあった。
3つ目は見た目がカジュアルでスポーティーなこと。これまた構造上、4ドアセダンより車重が軽くボディー剛性が高いこともあって、スポーツセダンのベースに2ドアセダンが選ばれることがあった。例えば初代三菱ランサーの最強グレード「1600GSR」は2ドアのみだったし、初代トヨタ・カリーナにDOHCエンジンを積んだ「1600GT」も当初は2ドアのみだった。輸入車でも、英国フォードの「コーティナ」にロータスツインカムを搭載した「コーティナ ロータス」は初代、2代目とも2ドアのみだったし、その後を受けた「フォード・エスコート ツインカム」や「同RS1600」なども2ドアセダンだけの設定だった。
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全長5.5m級の2ドアセダン
今では日本のみならず世界中を探しても絶滅してしまった2ドアセダン。だが、存在したころの状況を国別に見ていくと、これがなかなか興味深い。筆者が思うに、2ドアセダンを最も好んだのはアメリカ人で、よって最も多く存在したのはアメリカ。フルサイズしかなかった時代の名残ともいえるが、かつてはキャデラックやリンカーン、インペリアルといった最高級ブランドを除いた多くのブランドのフルサイズにまで2ドアセダンが用意されていたのだ。
ゼネラルモーターズ(GM)、フォード、クライスラーというビッグスリーの大衆ブランドを見ると、シボレーでは1969年まで、フォードも同じく1969年まで、プリムスでは1970年までフルサイズの2ドアセダンが存在していた。いずれも下級シリーズのみだが、当時のフルサイズは全長約5.5m、全幅2m前後という巨体。カジュアルでスポーティーという2ドアセダンのイメージを覆すモデルだが、装飾の少ないバカでかい車体は、低級グレード好きにはたまらない魅力を放っているともいえる。
1970年代になると、アメリカ産の2ドアセダンはコンパクトやそれより小さいサブコンパクトに限られるようになった。ビッグスリーのほか、1950年代から米車としては小型のモデルに特化した第4のメーカーとして生き残ってきたAMC(アメリカン・モータース・コーポレーション)もしぶとく2ドアセダンをラインナップしていた。
ビッグスリー最後の2ドアセダンは、1978年に登場した「フォード・フェアモント」とその兄弟車たち。フォードのコンパクトとしては、駆動方式にFRを採用した最後の世代でもあった。そして1980年代前半には、アメリカ車のラインナップからついに2ドアセダンが消滅したのだった。
とはいえ2ドアセダン市場がなくなってしまったわけではなかった。サブコンパクトよりさらに小さいサイズの、日本車を中心とする輸入車がその需要を受け持ったのである。これについては後述するとしよう。
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アウディのフラッグシップにも2ドアセダンが
アメリカに次いで2ドアセダンが多かったのは、意外に思われるかもしれないがドイツ。メーカー別では、本社の意向がダイレクトに反映されたであろう米国資本のオペルとドイツ・フォード(後のヨーロッパ・フォード)が当然ながら多くそろえていた。
オペルでは、メルセデスやBMWの上級車種に対抗する大型モデルを除き、主だったモデルに2ドアセダンと4ドアセダンの双方をラインナップしていた。例えばGMのワールドカー構想から生まれた「カデットC」は、日本の初代「いすゞ・ジェミニ」と兄弟車だったが、ジェミニにはなかった2ドアセダンが存在していた。その2クラス上の、日本の5ナンバーフルサイズに近い「レコルト/コモドーレ」にさえ、1982年まで2ドアセダンが存在したのである。ドイツ・フォードもオペルと状況はほぼ同じ。やはり5ナンバーフルサイズに近い「グラナダ」にも、1985年まで2ドアセダンが用意されていたのだった。
いっぽう民族資本メーカーにも、少なからず2ドアセダンはあった。アウディは「A6」の前身となる、誕生当時はフラッグシップだった「100」にまで2ドアセダンを用意。1982年に3代目に世代交代するまで存在した。オペルとフォードに加えて、アウディまでも1980年代初頭までは日本車で言えば「トヨタ・マークII」や「日産ローレル」級のモデルにも2ドアセダンを用意していたわけだ。ドイツ人もかなりの2ドアセダン好きだった証拠ではないだろうか。
フォルクスワーゲンは、「ゴルフ」のノッチバック版として生まれた「ジェッタ」の2代目まで2ドアセダンを設定。大容量のトランクルームを誇る2代目ジェッタは1992年までつくられたので、これがドイツ産の最後の2ドアセダンということになる。
「02シリーズ」を筆頭に、スポーティーでコンパクトな2ドアセダンが得意だったメーカーという印象のあるBMW。それは間違いではないのだが、同じシリーズに2ドアセダンと4ドアセダンの双方が用意されていたのは、バブル期の日本で“六本木カローラ”の異名をとった2代目「3シリーズ」(E30)のみだった。
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2ドアセダンにみる欧州諸国の国民性
ドイツと同様、戦前から米国資本が進出していたイギリス。英国フォードは1960年代から1980年代初頭にかけて、日本車でいえばサニー、カローラ級のエスコートとコロナ、ブルーバード級のコーティナなどに2ドアと4ドア双方のセダンを用意していた。フォードの欧州一元化政策により、1972年に登場したフラッグシップのグラナダは基本的に英独共通モデルだったが、ドイツ版に存在した2ドアセダンは英国版には用意されなかった。
英国フォードのライバルだったGM資本のボクスホールもフォードと似たような状況。やはり英独一元化政策によって1970年代半ばからドイツのオペルとのボディー共通化が進められたが、「オペル・レコルト」とボディーを共有するミディアムクラスの「カールトン」には、レコルトにある2ドアセダンは用意されなかった。上級モデルは4ドアセダンのみという状況は先に述べた英国フォードと同じで、この事実からイギリスはドイツより2ドアセダンの需要が少なかったことが分かる。
民族資本メーカーが大同団結したBL(ブリティッシュ・レイランド)では「モーリス・マイナー」、初代「Mini」の兄貴分であるコードナンバー「ADO16」こと「モーリス/オースチン/MG1100(1300)」、その後継の「オースチン・アレグロ」などが4ドアセダンと2ドアセダンをラインナップしていた。
昔からケチ、もとい合理主義といわれているフランス人。そのひとつの証拠になりそうなのが、戦後のモデルに限って言えば2ドアセダンが皆無という事実。フランスでは「ルノー4CV」や「シトロエン2CV」をはじめ、小型車であっても4ドアやそれにテールゲートを加えた5ドアが主流。1972年に誕生した3ドアハッチバックの初代「ルノー5」が、実用車なのにリアドアがないことが話題となったほどである。
2代目「フィアット500」を筆頭に2ドアの小型車は存在するが、2ドアセダンと4ドアセダン双方をそろえたモデルは意外と少ないのがイタリア。ファストバックスタイルのモデルを含めれば「アウトビアンキ・プリムラ」と「アルファ・ロメオ・アルファスッド」もあるが、ノッチバックのスリーボックスに限定すると1969年に登場したフィアットの「128」と1974年デビューの「131」だけである。131の2ドアセダンはWRCで大活躍した「131アバルト ラリー」のためにつくられた……かどうかは知らないが、もしあれが4ドアだったら魅力は半減どころじゃなかったかもしれない。2ドアのスポーティー性を実感させられる例といえよう。
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最後まで残ったアメリカ市場
スウェーデンのボルボは、1960年代初頭から通称“アマゾン”こと「120シリーズ」に4ドアセダンと2ドアセダンをラインナップ。その後継となる「140シリーズ」、そしてワゴンで有名な「240シリーズ」にも2ドアセダンは用意されていた。1985年、1986年と連続して欧州ツーリングカー選手権(ETC)を制して“フライング・ブリック(空飛ぶレンガ)”の異名をとった、2ドアセダンの「242ターボ」をご記憶の方もおられることだろう。今はなきサーブも1970年代から「99」に2ドアセダンと4ドアセダンを設定。その発展型の「900」には1993年まで2ドアセダンが用意されていた。
欧州および国産メーカーが、かつて中型クラスにまで2ドアセダンを用意していたのは、2ドアセダンを好む北米市場の存在が理由のひとつとしてあると思う。例えば1957年に誕生した初代からセダンは4ドアだけだったトヨタのコロナは、1973年デビューの5代目にだけ2ドアセダンを設定している。これは北米市場におけるライバルの「ダットサン1600」、国内名ブルーバード(510)の2ドアセダンの人気を見て用意したように思えるのだ。
国内向けでは2ドアセダンが消滅して以降も北米仕様には残されていたことからも、その人気が根強かったことが分かる。日産車で言えば、アメリカでは「セントラ」を名乗っていたサニーには、北米では1990年に登場した7代目B13型まで2ドアセダンが存在したのだ。トヨタはさらに遅く、北米向けは1994年デビューの5代目「ターセル」まで2ドアセダンが用意されていた。
ちなみに北米市場でターセルの後継として1999年に登場した「エコー」(日本名「プラッツ」)にも2ドアモデルが存在した。これは名称こそ“クーペ”だったが、ルーフラインは4ドアセダンとあまり変わらず、実質的には「ターセル2ドアセダン」の後継モデルといえた。
かつて北米では、この種の小型2ドアセダンや2ドアクーペは“セクレタリーカー”、直訳すれば“秘書グルマ”だが、すなわちOLなど働く女性の足グルマとして需要があったのだ。日本で地方在住の女性が軽ボンバンの「スズキ・アルト」や「ダイハツ・ミラ」に乗っていたのと同じである。だが、やがてそうした需要もSUVに取って代わられてしまった。
こうして世界中の市場で2ドアセダンが絶滅してしまってから、およそ四半世紀。冒頭に記したように、若い人たちが2ドアセダンを知らぬのも無理からぬことだろう。だが、このコラムを読んでくれたのなら、今後はその存在を頭の片隅に留めておいていただけたら幸いである。
(文=沼田 亨/写真=日産自動車、トヨタ自動車、三菱自動車、マツダ、いすゞ自動車、ゼネラルモーターズ、フォード、ステランティス、ボルボ・カーズ、フォルクスワーゲン、アウディ、TNライブラリー/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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