どうして「ホンダN-BOX」は売れるのか?
2023.10.24 あの多田哲哉のクルマQ&A国内では、軽ハイトワゴンの「ホンダN-BOX」が大変な売れ行きを見せています。このクルマが長きにわたって好調なのは、どうしてだと思いますか? トヨタで開発サイドにいらっしゃった多田さんの意見をうかがいたいです。
ホンダN-BOXについて一番強く印象に残っているのは、初代が出たころに開催された講演会でのことです。私は日本自動車工業会から「トヨタ86」開発の講演を依頼されていて、会場ではそのひとつ前に(86と発売時期の近い)初代N-BOXの開発責任者だった浅木泰昭さんの講演が行われました。成り行き上、私も拝聴することになったのです。
当時、浅木さんはF1のエンジン開発から転じてN-BOXに取り組まれていましたから、私は心の中で「会社から『F1はやめて軽自動車に専念しろ』なんて命じられて、つまらなかったんじゃないか……」などと思いながら聞き始めました。
ところが、とんでもない。彼はF1以上に熱い思いを込めてN-BOX開発に取り組んでいることが伝わってきたのです。迫力あり、説得力ありのお話は、非常に印象深かった。F1と軽では世界が違うけれど、仕事の熱量はまったく変わらない。こういう人がつくるのなら、さぞ楽しい軽ができるだろうな……。実際、それを確かめにホンダディーラーに行き試乗したくらいです。講演の詳しい内容や試乗の印象についてはここでは割愛しますが、後年、そんなN-BOXが好評だというニュースを聞くたびに、この一件を思い出したものです。
さて、その新型は3代目になります。初代、2代目と売れてきて、通常であればその次のモデルチェンジは大変なものになる。開発者のなかでは「売れたクルマの2代目、3代目を担当するのはイヤだ」といわれるところですけれども……。
3代目は、パッと見では「何が変わったんだろう?」という印象ですよね。エンジンやプラットフォームも先代からの据え置きになっているようです。しかし、そもそもN-BOXのような軽ハイトワゴンのユーザーは、走りに特別なこだわりがあるわけではありません。中心的なユーザーの一番の興味は、例えば「スマホとの親和性がいいか」「くらしの道具が手元におけるか」といったこと。つまり、外見や走りよりも車内を重視されているのです。
その点N-BOXは、時代時代で求められるポイントをしっかりととらえて、内装をそうとう変えてきている。見かけではなく、いま日常で使われている道具との相性がいかにいいか、使い勝手はどうかという点に注力してつくっている。それこそが「売れている理由」だと思います。
そして、ここまで売れっ子になると“ブランド”が定着します。世の中にN-BOXの名が浸透して、「あのクルマの新型が出たのか!」ということでも売れ続けるようになる。よっぽどカッコ悪いデザインになってしまって不評を買うなどということが起こらない限り、シェアは逆転しなくなります。
つくづく、あのF1の浅木さんがF1をやめて軽に注力したから……というより、F1をやっていたからこそ、このような好結果になったんですね。その後、浅木さんがF1の世界に戻られて成功された(レッドブル・ホンダがF1王者になった)のは、ご存じのとおりです。
やっぱり、人なんですよ(笑)。それですばらしいコンセプトが打ち立てられたから、後に設計思想を引き継いだ人もいいクルマをつくることができる。本当にホンダはいい人を、一番大事な事業につぎ込んだということですね。ホンダが、N-BOXが、というよりも、あの人。浅木泰昭さんの功績といっていいかもしれません。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。