「ルノースポール・ジャンボリー2010」開催
2010.10.25 自動車ニュース“ラニョッティさん尽くし”の一日 〜「ルノースポール・ジャンボリー2010」開催
2010年10月23日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「ルノースポール・ジャンボリー2010」が開かれた。
■名ドライバーがおもてなし
昨年に続き2回目の開催となる「ルノースポール・ジャンボリー」は、サーキットを舞台としたルノー・ジャポン主催のファン感謝イベントである。秋晴れに恵まれた富士スピードウェイのパドックには、現代のハイパフォーマー「ルノースポール」の各モデルを中心に、200台以上の新旧ルノーおよびアルピーヌが集まった。
今回の最大の目玉は、1970〜90年代にルノー車を駆って、ラリー、レース双方で大活躍し、1997年の現役引退後はルノーの「名誉広報部長」を務める伝説のドライバー、ジャン・ラニョッティがスペシャルゲストとして来日すること。さらに、ヨーロッパで開催されているフォーミュラのワンメイクレース「ワールドシリーズ・バイ・ルノー」のショータイムで活躍する2人のドライバー、ジュリアン・ピゲとフレデリック・ジョエもやってくるという。
プログラムはオープニングセレモニーに始まり、ルノー・ジャポン主催のイベントではおなじみの、お宝グッズを獲得できる「大ジャンケン大会」、ラニョッティら3人のゲストドライバーが操るマシンに同乗する「サーキットタクシー」、同じくゲストドライバーによる「コースアトラクション」、ラニョッティも参加するタイムトライアルレース「ルノースポールトロフィー」、ラニョッティの「フォトセッション&サイン会」および「トークショー」などが用意されていた。
このうちメインイベントは、やはりホームストレートで行われた「コースアトラクション」。ピゲとジョエのコンビが「ルーテシア ルノースポール」で盛大にタイヤスモークをあげながら超絶スタントドライブを披露すれば、ラニョッティは本邦初公開となる新型「メガーヌ ルノースポール」をいきなり振り回して喝采(かっさい)を浴びた。
ラニョッティは前述したように、49台がエントリーした「ルノースポールトロフィー」にも「メガーヌR26R」で出走。3台の同モデルのなかで、見事というか当然ながらというべきか、ベストタイムを記録した。
というわけで、ラニョッティは御年65歳になる今もいっこうに衰えを感じさせないドライビングで集まったファンを魅了したのだった。
だが、それにも増してリポーターが感銘を受けたのが、聞きしに勝る彼の温厚かつチャーミングな人柄と徹底したファンサービスの精神。あらかじめ「フォトセッション&サイン会」は予定されていたのだが、それ以外にも、“ステアリングを握っているときとトークショーなどでステージ上にいるときを除いては”といっていいくらい、常にファンの前に姿を現し、笑顔でサインと記念撮影のリクエストに応じていたのだ。ホント、ランチをとるヒマもなかったのでは? と思うほどだったのである。
■ルノー・ファンも大満足
サーキットイベントとはいえ、5月に開かれた「カングー・ジャンボリー」と同様に、来場者には家族連れが多かった。ラニョッティは子供好きらしく、彼を囲むファンの人垣に小さな子供を見つけると進んで抱き上げてはカメラに収まっていたのだが、そこであることに気付いた。子供は知らない人が近づくと怖がったり、ときに泣き出したりしがちなものである。しかし、ラニョッティおじさんは顔つきからして周囲の人とはまったく違うにもかかわらず、いやがったり、怖がるそぶりを見せる子供がまったくいなかったのだ。
「よくわからないけど、やさしそうなおじ(い)ちゃん」だと、彼の人となりを子供たちは直感でかぎ分けていたのかもしれない。
「トークショー」でも、チャーミングなラニョッティならではの人柄を偲ばせるエピソードが連発で、会場には笑い声が絶えなかったが、違う意味で集まったファンの記憶に残るであろう発言もあった。「長年にわたって開発から携わったルノーのマシンのなかで、もっとも印象深いクルマは?」という質問に対する答は、「ルノー5アルピーヌと5ターボ」。ちなみに「5アルピーヌ」では1979年の「ツール・ド・コルス」総合優勝、「5ターボ」では81年「モンテカルロラリー」総合優勝を筆頭に数々の勝利を挙げている。
また、現役時代はテストドライバーとして、さらに第一線を退いた1997年から現在に至るまで、ルノースポールの市販モデルの開発にコンサルタントとして寄与していることも明らかにされた。
彼のすばらしい人柄に直々に触れ、さらに彼が愛車の味付けにまで関わっていることを知ったとなれば、集まったファンとしては今後もルノー車から離れるわけにはいかないだろう。
ラニョッティ、いやここからは敬意と親しみを込めて「ラニョッティさん」と呼ぶことにするが、現役を引退して10年以上にもなる彼を、ルノーが「名誉広報部長」として手放さない理由がわかった気がした。
最後のプログラムである来場者との記念撮影が終わった後も、名残を惜しむファンに囲まれたラニョッティさんはせっせとペンを走らせ、カメラにおさまっていた。ラニョッティさんに始まり、ラニョッティさんに終わった一日だった。
(文と写真=沼田 亨)
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