第902回:浮かばれなかったイタリア版エステート 「トヨタ・クラウン エステート」発売に思う
2025.03.20 マッキナ あらモーダ!エステートとステーションワゴン
トヨタは2025年3月13日、「クラウン エステート」を発売した。現行の16代目クラウンにおいて、「クラウン クロスオーバー」「クラウン スポーツ」「クラウン(セダン)」に続く第4の車型となる。
歴代クラウンというと、セダンや4ドアハードトップの印象が強い。だが実はワゴンの歴史も長く、1962年の2代目に設定されていた「カスタム」にさかのぼる。“白いクラウン”こと3代目、“クジラ”といわれた4代目から、1987年の8代目までワゴン車型が存在した。8代目のステーションワゴンは、ハードトップやセダンがモデルチェンジしても継続して生産され、1999年に11代目を基にしたエステートにバトンタッチ。その歴史は2007年まで続いた。
さて、イタリアのワゴン、とくにプレミアムカーのワゴン事情は? というのが今回の話である。
「Estate」という名称の由来は、イギリス英語の「エステートカー(Estate Car)」である。20世紀初頭、イギリスの領主たちは、広大な邸宅(エステート)内の移動や、趣味のハンティングを楽しむためのクルマを必要としていた。そこで、通常のサルーンをベースに後部に広い貨物スペースを備えた車両が開発され、「エステートカー」と呼ばれるようになった。
同義語である「ステーションワゴン(Station Wagon)」はアメリカ英語である。馬車時代に村と駅(ステーション)の間で人員や荷物を運んでいた車両の役目を、自動車に置き換えたものだ。
かたや領主の足、かたや一般の貨客運搬という階級差のある起源が、今日ひとつの車型を表す語になっているのが面白い。
根づかなかった理由
いっぽうイタリアはといえば、英国同様に富裕地主は存在し、同様に狩猟もたしなんでいた。しかし自動車の時代になっても、エステート型の車両は発達しなかった。背景には、彼らの領地が英国のそれと比べて面積が小さかったからと考えられる。
第2次世界大戦後も、イタリアではワゴンの存在感は薄かった。富裕層は商用のバンと間違えられないようベルリーナやGTを好んだし、そもそも一般人はフィアットの小さな「600」や“ヌォーヴァ500”を買うだけで精いっぱいだったのである。
今日に近いスタイルでのステーションワゴンを早くから楽しんでいたのは、フィアット創業家のアニェッリ一族である。1971年に、「フィアット130ベルリーナ」を基にしたワゴンを家族用に4台製作させている。デザインを手がけたのは自社のスタイリングセンター(チェントロ・スティーレ)、製造を担ったのは、コモ郊外のカロッツェリア、イントロッツィだった。
さて、筆者が当地に住み始めた1990年代末も、ワゴン人気は限定的だった。小型車ではハッチバックが圧倒的にメインで、Dセグメント以上でも、まだ国産・輸入車ともにベルリーナ(セダン)が主流であった。
そうしたベルリーナの優位体制が揺らいだのは、2000年前後である。
乗り遅れたフィアット
当時、フィアット系の各ブランドは魅力的な車種が極めて少なくなっていた。1998年まで在籍したチェーザレ・ロミティ会長による財務優先経営や、当時提携していた米ゼネラルモーターズとの慣れない部品共用化の影響であることは明らかだった。そのため、国内市場占有率は2022年に29%まで落ち込んだ。(データ出典:イタリア国会下院資料)
そうしたなか、アウディ、BMW、そしてメルセデス・ベンツのステーションワゴンが脚光を浴びるようになった。豊かになったイタリア人には、それらが購入できる余裕があったし、休暇や野外アクティビティーに最適だった。そうした実用性に加え、高いブランド性によって、けっして商用のバンに間違われる危険性はなかったのである。
フィアットグループはといえば、不幸にもワゴンの持ち駒を欠いていた。初代「ランチア・テーマ」のステーションワゴンは、1994年に生産終了。後継車である「カッパ」にもワゴンの設定はあったものの、ベルリーナも含め、まったくもって人気がなかったことから、こちらも2000年に生産を終了していた。「アルファ・ロメオ156」にも「スポーツワゴン」が設定されていたものの、1997年のデビューで、もはや古さは隠せなかった。156の後継車である2005年の「159」にもスポーツワゴンは用意されたが、時すでに遅し。ユーザーたちは、ふたたびドイツ系プレミアムブランドが提案する「BMW X5」といったSUVにひかれていったのであった。
ちなみにSUVの波にも、後年フィアット系ブランドは追従するのに時間を要した。クラウン エステートのようなボディータイプが、今後欧州で一定の存在感を示すかは未知数だが、やはり車型でも効率よく全方位戦略がとれるメーカーが優位となるのだろう。
アニェッリのランチア
ここからはワゴンにまつわる私的な回想を。
イタリアに住み始めて間もない頃、中古車を探すべくランチアの地元販売店を訪れたことがあった。1990年代後半、イタリア人の間で日本は、まだ“豊かな国”という認識があった。そのためだろう、筆者が貧乏学生上がりとも知らず、ユーズドカー担当の営業所員がいきなり勧めてきたのは、ランチア・テーマのステーションワゴンであった。彼は「これは(フィアット名誉会長)ジャンニ・アニェッリの元個人車だぞ」と教えてくれた。
筆者は中古車店巡りをするうち、大学都市シエナで「プロフェッソーレ(教授)が乗っていたクルマ」というのは、おきまりのセールス口上であることを学んでいた。ゆえに、たとえアニェッリと言われようと信じなかった。その日は一笑に付して帰ったのを記憶している。
時は下り2025年2月のことである。あるステランティス系地区販売店のセールスパーソンと話す機会があった。聞けば彼は、駆け出し時代、例のランチア販売店で働いていたという。自身の思い出話をするうち、彼は例の“アニェッリのテーマ ステーションワゴン”が入荷してきた日のことを、興奮しながら語ってくれた。
ジャンニの弟、ウンベルトのテーマ ステーションワゴンの存在は確認されているから、筆者が見たのはそれだったという可能性もある。いずれにせよ、ジャンニが生涯に乗ったクルマの数々はさまざまなコンクールに参加し、ときに受賞している。あの時清水の舞台を飛び降りるつもりで買っておけば、今やそれなりの値段になっていたのかもしれない。自分に投資センスが皆無であることをあらためて思い知ったのだった。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ステランティス/編集=堀田剛資)
![]() |

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第932回:参加者9000人! レトロ自転車イベントが教えてくれるもの 2025.10.16 イタリア・シエナで9000人もの愛好家が集うレトロ自転車の走行会「Eroica(エロイカ)」が開催された。未舗装路も走るこの過酷なイベントが、人々を引きつけてやまない理由とは? 最新のモデルにはないレトロな自転車の魅力とは? 大矢アキオがリポートする。
-
第931回:幻ですカー 主要ブランド製なのにめったに見ないあのクルマ 2025.10.9 確かにラインナップされているはずなのに、路上でほとんど見かけない! そんな不思議な「幻ですカー」を、イタリア在住の大矢アキオ氏が紹介。幻のクルマが誕生する背景を考察しつつ、人気車種にはない風情に思いをはせた。
-
第930回:日本未上陸ブランドも見逃すな! 追報「IAAモビリティー2025」 2025.10.2 コラムニストの大矢アキオが、欧州最大規模の自動車ショー「IAAモビリティー2025」をリポート。そこで感じた、欧州の、世界の自動車マーケットの趨勢(すうせい)とは? 新興の電気自動車メーカーの勢いを肌で感じ、日本の自動車メーカーに警鐘を鳴らす。
-
第929回:販売終了後も大人気! 「あのアルファ・ロメオ」が暗示するもの 2025.9.25 何年も前に生産を終えているのに、今でも人気は健在! ちょっと古い“あのアルファ・ロメオ”が、依然イタリアで愛されている理由とは? ちょっと不思議な人気の理由と、それが暗示する今日のクルマづくりの難しさを、イタリア在住の大矢アキオが考察する。
-
第928回:「IAAモビリティー2025」見聞録 ―新デザイン言語、現実派、そしてチャイナパワー― 2025.9.18 ドイツ・ミュンヘンで開催された「IAAモビリティー」を、コラムニストの大矢アキオが取材。欧州屈指の規模を誇る自動車ショーで感じた、トレンドの変化と新たな潮流とは? 進出を強める中国勢の動向は? 会場で感じた欧州の今をリポートする。
-
NEW
トヨタ・カローラ クロスGRスポーツ(4WD/CVT)【試乗記】
2025.10.21試乗記「トヨタ・カローラ クロス」のマイナーチェンジに合わせて追加設定された、初のスポーティーグレード「GRスポーツ」に試乗。排気量をアップしたハイブリッドパワートレインや強化されたボディー、そして専用セッティングのリアサスが織りなす走りの印象を報告する。 -
NEW
SUVやミニバンに備わるリアワイパーがセダンに少ないのはなぜ?
2025.10.21あの多田哲哉のクルマQ&ASUVやミニバンではリアウィンドウにワイパーが装着されているのが一般的なのに、セダンでの装着例は非常に少ない。その理由は? トヨタでさまざまな車両を開発してきた多田哲哉さんに聞いた。 -
2025-2026 Winter webCGタイヤセレクション
2025.10.202025-2026 Winter webCGタイヤセレクション<AD>2025-2026 Winterシーズンに注目のタイヤをwebCGが独自にリポート。一年を通して履き替えいらずのオールシーズンタイヤか、それともスノー/アイス性能に磨きをかけ、より進化したスタッドレスタイヤか。最新ラインナップを詳しく紹介する。 -
進化したオールシーズンタイヤ「N-BLUE 4Season 2」の走りを体感
2025.10.202025-2026 Winter webCGタイヤセレクション<AD>欧州・北米に続き、ネクセンの最新オールシーズンタイヤ「N-BLUE 4Season 2(エヌブルー4シーズン2)」が日本にも上陸。進化したその性能は、いかなるものなのか。「ルノー・カングー」に装着したオーナーのロングドライブに同行し、リアルな評価を聞いた。 -
ウインターライフが変わる・広がる ダンロップ「シンクロウェザー」の真価
2025.10.202025-2026 Winter webCGタイヤセレクション<AD>あらゆる路面にシンクロし、四季を通して高い性能を発揮する、ダンロップのオールシーズンタイヤ「シンクロウェザー」。そのウインター性能はどれほどのものか? 横浜、河口湖、八ヶ岳の3拠点生活を送る自動車ヘビーユーザーが、冬の八ヶ岳でその真価に触れた。 -
第321回:私の名前を覚えていますか
2025.10.20カーマニア人間国宝への道清水草一の話題の連載。24年ぶりに復活したホンダの新型「プレリュード」がリバイバルヒットを飛ばすなか、その陰でひっそりと消えていく2ドアクーペがある。今回はスペシャリティークーペについて、カーマニア的に考察した。