開発したクルマについて、発売後にモヤモヤすることはある?
2026.02.10 あの多田哲哉のクルマQ&A実際のセールスの良しあしにかかわらず、開発を終えて世に出たクルマに対して「もっとこうしておけばよかった」とモヤモヤすることはありますか?
新車を発売した後の雑誌のインタビューなどで、必ず聞かれるんです。「やり残したことは何ですか?」と。
最初はばか正直に本当のことを話していたんですが、やがて、そんなことを答えても何ひとついいことはないとわかってきて、後年は毎回「やり残したことなんて、ひとつもありません。すべてやり切りました」と答えるようにしていました。
そうはいっても、当然いくつかあるんですよ。私はかなり多くのクルマの開発に関わってきて、細かいマイナーチェンジなども含めると10車種ほど担当したのですが、自分が開発したクルマを買ってプライベートでマイカーにしたことは、実は一度もないんです。この点については開発者も二分されるようで、自分が開発したクルマにずっと乗っている人のほうが多いかもしれません。愛着を持ってつくったクルマですから、担当を外れた後もずっと乗り続けるというのは当然といえば当然。しかし、私は一度もありません。毎回「買ってみようかな」とは思うのですが、やっぱり買えない。
それはなぜかいえば、そのクルマの開発でうまくいかなかったことや、すごく苦労して嫌だったことなどを、乗るたびに思い出してしまうからです。それに、ひとつ開発したらまた次のクルマにエネルギーを注ぎ込みたい。昔の嫌な思い出を引きずるのは嫌だから、ずっと買わずにきたという面もあります。
最後に開発した90型「スープラ」だけは、「もう次はないんだから買おう」とも思ったのですが、たまたま山のなかに移り住むことになったので、「こんなところでスープラを持っていてもなあ」と、結局は買わないままです。
クルマというのは、無制限にお金が使えて、販売価格のことを考えなければ、いくらでもいいものができるんです。今の時代なら、開発者の思うとおりのクルマがつくれます。
ですが、現実には売れる値段を想定し、一定の利益を考えながら開発する。クルマづくりの一番難しいところはそこなんです。お客さんが「これならお値打ちだ」と思ってくれる価格とパフォーマンスとのギャップをどれだけ広げられるか。そこをギリギリまで突き詰めるのがクルマづくりの面白いところです。
「いくらでもお金を使ってもかまわないから、好きなクルマをつくっていい」というのは、開発者としては実はあまり楽しくないんですよ。一見夢のような話ですが、それでは趣味の世界になってしまいます。
仕事として車両開発にたずさわるなかで、同僚ともよくそんな話をしました。「もう少し予算があればいいクルマになって楽しいのに」とか「無制限にお金が使えたらどんなに楽しいか」とか。でも、「本当にそうなったら楽しいの?」と踏み込んで議論すると、「いや、それじゃきっとつまらないよね」となる。ギリギリのコスト制約や、「あと1年でつくらなければならない」といった時間的な制限のなかで考えるのが、やっぱり面白い。ある程度クルマの開発にたずさわった人は、みんな「そのギリギリの感じが楽しい」と言います。
そうやっていろいろ考えた末に発売に至り、たくさんのお客さんが買ってくれたり、良い評価をもらえたりするのは何よりもうれしいのですが、それでもなお「もう少しこうすればよかった」と思うのは、新しい技術や新たな自動車部品が絶えず生まれてくるからです。クルマというのは、発売した瞬間からどんどん陳腐化が始まるのです。
自動車は、設計・開発がすべてフィックスされた後、量産に向けての時間をはさんで発売されます。つまり、開発終了から発売までの間に、技術やノウハウが変わってくるため、発売した瞬間からつくり手の後悔が始まってしまう。「あの技術がもう少し早く出てきていれば、あそこはああしたのに……」などと、発売されるやいろいろなことが目につく。それが私は嫌でしたね。時間的なブランクやズレこそが、そうした思いの大きな要因です。
皮肉なことに、自分が開発したクルマだから隅々までわかってしまう。そんなことを考えずに、気楽に乗れる「他の人がつくったクルマ」に乗っていればいいや、ということで今に至っています。
本当に何かを忘れていたとか、抜けていたというような“失敗”によるモヤモヤは、めったにないですよ。さすがにそんな事態にはならないように、いろいろな観点で考えるしテストも重ねます。まあ、よくできたつもりでも「多田さん、このクルマはこういう条件で走るとこんな動きしますよ」と、優秀なテストドライバーに問題点を見つけられて、「あれ、やっぱりそうか……。これはちょっとダメだな」ということは、何度かありましたが(苦笑)。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。
