第54回:志半ば、51歳のピニンファリーナ会長、突然の死
2008.08.16 マッキナ あらモーダ!第54回:志半ば、51歳のピニンファリーナ会長、突然の死
ありふれた事故の如く
2008年8月7日昼。イタリアのテレビニュースのヘッドラインは、路上に倒れたスクーターを映し出した。一見よくある事故の光景だった。ところがテロップを見て誰もが驚いた。
――「ピニンファリーナ 交通事故死」
ピニンファリーナのアンドレア・ピニンファリーナ会長兼社長は同日朝、モンカリエーリの自宅からヴェスパ・スクーターの60周年記念限定仕様「GT60」に乗って、研究センターがあるカンビアーノに向かった。
ところが目的地までわずか2kmの町トロファレッロで悲劇は起こった。
荷下ろし中のトラックの陰から出てきた78歳男性が運転する赤の「フォード・フィエスタ」の側面に衝突。頭部を強打して死亡した。51歳だった。
アンドレア氏は1957年生まれ。創業家の3代目にあたる。トリノ工科大学機械工学科を卒業後、米国のトラックボディメーカー・フルハーフ社を経て1983年ピニンファリーナに入社した。
同社がボディ生産まで担当した「キャデラック・アランテ」プロジェクトなどを主導したあと2001年社長に就任。2006年には父セルジオを継いで会長兼社長となった。
経営では父が構築した「デザイン」「エンジニアリング」「生産(委託)」の3本柱を継承しながら、仏マートラ・エンジニアリングの買収や中国市場の開拓など積極的な国際展開を図った。プライベートでは妻クリスティーナとの間に2男1女がいた。
10日には企業サイトに記帳書き込み欄が設けられ、翌11日トリノの大聖堂で葬儀が行なわれた。
後任の会長には、弟のパオロ副会長が昇格した。また臨時の副会長には、姉のロレンツァ取締役が就いた。
イタリア各界に衝撃
事故直後からイタリアでは、ナポリターノ・イタリア共和国大統領や、イタリア工業連盟を今年3月まで一緒に率いたモンテゼーモロ・フィアット会長など、政財界から追悼メッセージが寄せられた。
街のイタリア人たちの間でも即座に話題となった。
「Pininfarina」の名前はイタリア社会において、他のカロッツェリアと比べて格段に知名度があるからだ。最近の若者は難しいが、一定の年齢以上の人ならクルマに別段関心がなくてもその名前を知っている。
ある60代の男性は筆者に「事故は当事者双方にとって悲劇だ」と今回の事故の感想をもらした。
同時に「Pinin」は創業者(バッティスタ・ファリーナ)のニックネームで、「小さい」を意味するピエモンテ方言であること、そして1960年代初頭に共和国大統領が彼の功績を評価しPininfarinaに改姓を許した有名な話をしみじみと語ってくれた。
ボク自身がアンドレア氏と最初に会ったのは1991年夏、デトロイト郊外の旧エドセル・フォード邸だった。ピニンファリーナの功績を讃えるイベントに参加するため、アンドレア氏はパオロ、ロレンツァ両氏と一緒に屋外ランチのテーブルについていた。
彼らを目撃したボクが興奮のあまりレンズを向けると、アンドレア氏が制止する。ボクは彼の気分を害したかと思った。
ところが彼は、「(カメラの肩掛け)ストラップがレンズにかぶってるよ」と教えてくれたのだった。そのうえ食事の手を止め、快く3人でフレームに収まってくれたときの、彼のにこやかな顔が脳裏に焼きついている。
名門の苦悩は続く
いっぽう、グループ従業員約3500人を要するイタリア最大のカロッツェリアは、昨年から苦境に陥っていた。
2007年には1億1450万ユーロ(約192億円)の損失を計上。設備投資費用の借入金が膨らんだことと、資産の評価損が主な原因だった。そのため2008年4月末に1億ユーロの第三者割り当て増資を決定し、インドのタタ・リミテッド、仏の複合企業ボロレ社の社主・ヴァンサン・ボロレ氏、ブレンボを所有するアルベルト・ボンバッセイ氏、ピエロ・フェラーリ氏、シートベルトメーカー「サベルト」のマルシャイ家に新株引受を要請した。
これによって、従来のピニンファリーナ一族の持ち株比率は55%から30%前後にまで下がることになった。今年第1四半期では営業利益でも大きなマイナスを示し、6月にはベルギー・オランダ系のフォルティス銀行が支援に乗り出すことになった。
皮肉だったのはアンドレア氏死亡の報道直後からミラノ証券取引所のピニンファリーナ株は急騰し、当日の終値は前日比20.59%もの大幅プラスとなったことだ。「今後創業家の影響力や持ち株比率がさらに下がり、経営状況が改善されると投資家が読んだのだろう」というのが市場の見方である。
それ以上に、アンドレア氏が悔しかったと思われることがある。
今年10月初旬のパリ自動車ショーでは前述のボロレ氏の企業と、ピニンファリーナが生産を担当する電気自動車を発表する計画だった。
また日は前後するが、8月17日から開催されるペブルビーチ・コンクールデレガンスでは、愛好家の特注により応えて製作したロールス・ロイス・ファンタム・ドロップヘッド・クーペ「ヒペリオン」を公開する予定だった。
創業78年のセンスと技術を再び業界に知らしめる意味が込められていたに違いない、そうしたクルマたちが日の目を見る前に、アンドレア会長は世を去った。彼の無念が偲ばれる。
(文=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA/写真=Pininfarina、JAC、大矢アキオ)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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