第33回:私を「フィアット・スキー場」に連れてって
2008.03.22 マッキナ あらモーダ!第33回:私を「フィアット・スキー場」に連れてって
セストリエレという村
セストリエレは、トリノの西105kmにある標高2035mの村である。というより、フランス国境から19kmしかないところだ。村の紋章はスキーの絵が織り込まれた、なにやらモダンなデザインである。
何を隠そう、ここはもともと“フィアットが開発した村”なのだ。1930年、フィアット創業者のひとりジョヴァンニ・アニェッリ(1世)が、息子のエドアルドとともに、この地のリゾート開発のために資本投下を決定した。
フィアット自動車誕生は1899年だから、創業31年目のことである。今日でいえば2006年に創業30周年を迎えたアップルコンピュータに相当するイメージだ。
以来、関連会社の手によって着々と開発が進められ、次々と施設がオープン。1935年にはエドアルドが不慮の航空機事故で死亡するという悲劇があったが、次第にセストリエレは工業で潤ったトリネーゼ富裕層のおしゃれなリゾートとなっていった。彼らは「冬はスキー、夏はゴルフ」という、当時の最先端スポーツを高原で楽しんだ。
戦後もアニェッリ家や一族がリゾート施設の要職や村長を務めた。やがて奇跡といわれた経済復興が訪れると、セストリエレには一般人も多数訪れるようになり隆盛は続いた。
その頃にはフィアット車の広告にも、豊かなカーライフの象徴として、たびたびセストリエレが登場するようになる。
ちなみにスイス在住の友人によれば、昔ファスナー付きのジャンパーを「セストリエール(セストリエレの仏語読み)」と呼んでいたという。今となっては根拠は不明だが、当時最先端のリゾート名がポジティブに作用したことは間違いない。
お財布に優しかった
2006年のトリノ・オリンピック/パラリンピックではアルペンスキー会場となったセストリエレ。先日ボクもスキーをしにクルマで行ってみることにした。
トリノとフランス国境を結ぶアウトストラーダA32号線をオウルクス村で降りる。そこから20数km続く山道は、完全に除雪されていた、というより、今年は人工降雪機を稼働しているゲレンデ以外、雪は明らかに少ない。この冬、円にして5万円もかけてスタッドレスタイアを奮発したボクとしては泣けてきた。
このうえ日本のスキー場並みにお金がかかるのかとビビりながら、とりあえず駐車場にクルマを入れる。「ゲレンデ直結で高いんだろうな」と思ってパーキングチケット発券機を見たら、1日わずか3.5ユーロ(約550円)だった。胸をなでおろした。
まずは、前述のエドアルドを記念して1937年に建立された「聖エドアルド礼拝堂」で、スキー安全祈願を済ませる。そのあと買った1日リフト券も30ユーロ(約4700円)と、まずまずの値段であった。
さらに、レンタルスキー+ブーツも、ボクが借りた店は1日20ユーロ(約3100円)だった。ちなみに、豆知識としてお知らせすると、イタリアにはレンタルウェアの習慣はない。
競技で使うゾーンはともかく、セストリエレの一般ゲレンデは、広くなだらかなコースである。ボクのような非体育会系スキーヤーには最適だ。
非体育会系スキーヤーといえば「ゲレンデのカフェテラスで〜♪ฺ」である。
いにしえのおしゃれリゾート、きっと高いんだろうな、とまたまたビクビクしながら入る。トリネーゼを気取ってトリノ名物のチョコラータ・カルダ(ホットチョコレート)で暖をとることにした。でも値段は円にして410円。次の休憩でとった紅茶も約200円と地上並みだった。
日本のスキー場における「高かろう、まずかろう」のカレーを想像して入った切り売りピッツァ屋さんも、実に素朴で良心的な味であるうえ2枚で約740円。ボクが住む観光ずれしたシエナの街よりまともだ。
この時期はナイター営業がないため、リフトは夕方5時で止まる。それでも、意外に経済的に遊べたので大満足であった。
この宿、興味ないかい?
ただし宿だけは別だったようだ。セストリエレのゲレンデに近い宿は、やはりその良好アクセスゆえ1泊2万円以上する。
そこで、山を降りたところにある麓の村の一泊60ユーロ(約9400円)の民宿に泊まることにした。
その民宿は5階建てで12室もある立派な造りにもかかわらず、ずいぶんと老朽化していた。思わず、宮崎ムービーの「ハウルの動く城」を思い出してしまった。そのうえ週末にもかかわらず、客は2組しかいない。往年はかなり栄えていたのだろうが。
出発の日の朝、会計を済ませているときだ。フロントの老婦人がボクに言った。
「この宿、興味ないかい?」
彼女は1960年代半ばから45年間この宿を経営してきたが、もはや手放したいのだという。
この一帯はオリンピック後、景気の後退や暖冬による雪不足などもあって、客足は伸び悩んでいるようだ。安い安いと喜んだものの、往年のおしゃれリゾートエリアは悩みも抱えていたのだ。
そういえば、以前泊まったトリノ県の山宿でも、似たような“打診”をされたことがある。
たとえ本当はビンボーな日本人であろうと、イタリアでここ数年次々成功しているチャイニーズ系経営者と混同されるのだろう。
ボクは老夫人に、残念ながらボクには旅館経営の才能がないことを説明した。加えて、スキー休暇の出費を取り返すべく、帰宅後それをネタに原稿を書かなければらならないことを明かして宿を後にした。
今日いいオヤジになったトリネーゼの中には、若い頃「私をセストリエレに連れてって」と彼女にせがまれ、ローンで買ったばかりのフィアット・チンクエチェントで雪山を目指した人間が数多くいるに違いない。
この一帯も「どぎゃんかせんといかん」。彼らの青春の思い出がいつまでも色褪せないように。
(文と写=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=大矢アキオ、FIAT GROUP AUTOMOBILES)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
最終回:人それぞれに「最後のアルファ・ロメオ」 2026.8.27 イタリア・シエナで開催された「アルファ・ロメオ・スパイダー/GTV」のささやかなオーナーミーティングを、地元在住の大矢アキオが取材。あなたにとって最後で最高のアルファ・ロメオは、いつの世代のどのモデルですか?
-
第975回:ホンダ&スバルのTシャツがイタリアを席巻中 2026.8.20 イタリアで、ホンダやスバルをモチーフにした“日本車Tシャツ”が人気に。自動車をモチーフにしたアパレルの世界で、日本車や日本のブランドがもてはやされる理由とは? 素直に喜べないその背景を、現地在住の大矢アキオが考察する。
-
第974回:「民生用」と「軍用」をまたぐクルマたち――ルノーの最新戦術車両に思う 2026.8.13 ルノーのクロスオーバーSUV「ラファール」がまさかの軍用車に? ルノーと軍需との第1次大戦にまでさかのぼるつながりと、彼らが今ふたたび防衛産業と距離を詰め始めた理由、世界的に見られる軍用と民生用の垣根を超えたクルマの歴史を、大矢アキオが解説する。
-
第973回:静かになりすぎたクルマと「聴かせて、聴かせて隊」に思うこと 2026.8.6 最近イタリアでよく見かけるという、道行くスポーツカーやスーパーカーのドライバーに、豪快なエキゾーストサウンドをせがむ若者の姿。彼らの存在は静かになりすぎた四輪車に対するアンチテーゼか? 現地在住の大矢アキオが考察する。
-
第972回:黒船来襲も! イタリア自動車販売店は戦国時代 2026.7.30 イタリアで急速に進む、自動車販売店の統廃合と巨大グループの伸長。その背景にはどんな理由があり、私たちにどんな変化をもたらすのか? 現地在住の大矢アキオが、変わりゆく自動車販売のあり方を考察するとともに、消えゆく街かど自動車文化に思いをはせた。
-
NEW
北米産の800万円級SUV「トヨタ・ハイランダー」「日産ムラーノ」「ホンダ・パスポート」で一番“買い”なのはどれか?
2026.9.4デイリーコラム特例により国内導入されることになった北米生産のジャパニーズSUVは、3車種ともにサイズと価格帯が接近している。では、そのなかで最も“買い”なのは? それぞれの仕様を見比べてみた。 -
ホンダがコンセプトモデル「アキュラ・ネクセラ ビジョン」を発表 次世代デザインを読み解く
2026.9.3デイリーコラム本田技研工業の米国現地法人アメリカン・ホンダモーターが、アキュラブランドの次世代デザインを示すというコンセプトモデル「ネクセラ ビジョン」を初公開した。バタフライドアを採用するこのスポーツカーは、次世代アキュラの何を表現しているのか。 -
BMW iX3 50 xDrive Mスポーツ(後編)
2026.9.3あの多田哲哉の自動車放談ワインディングロードで新型「BMW iX3」のステアリングを握った多田哲哉さんは、その走りに感心した様子。どんなところが優れているのか、トヨタのエンジニアの視点で語ってもらおう。 -
新型「三菱パジェロ」の外装・内装を写真でチェックする
2026.9.2画像・写真5年間のブランクを経て、三菱のフラッグシップSUV「パジェロ」がついに復活! 「グランドカリスマ -泰然自若-」をコンセプトにデザインされた本格クロスカントリーモデルは、どのような姿をしているのか? 内外装の詳細を、写真で紹介する。 -
復活の決め手はこっくりさん!? 新生「三菱パジェロ」誕生の経緯とその狙い
2026.9.2デイリーコラム5年間の沈黙を経て、ついに登場した新型「三菱パジェロ」。スリーダイヤモンドが誇る荒野のフラッグシップは、いかにして復活を遂げたのか? 開発の経緯や内外装デザインの詳細、パワートレインに見るクルマの“狙い”をリポートする。 -
第127回:新型BMW X5(後編) ―迷走するBMW 結局アナタは“ノイエクラッセ”でなにがしたかったの?―
2026.9.2カーデザイン曼荼羅その姿が明らかとなるや、賛否両論を巻き起こしている新型「BMW X5」。このクルマは既存のBMW製SUVとはなにがちがうのか? そもそもBMWは“ノイエクラッセ・デザイン”になにを託していたのか? カーデザインの識者と、迷走するBMWの明日を探った。