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第12回:あそこからの風景が大好きだった……イタリアの空中食堂消える。

2007.10.13 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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第12回:あそこからの風景が大好きだった……。イタリアの空中食堂消える。

クルマの時代の象徴

先日、F1上海グランプリのテレビ中継を観ていて、個人的に度肝を抜かれたのは、巨大な連絡橋だ。メインスタンドとパドック側を繋ぐのに、大胆にコースをまたいでいるのだ。
それを見ていてボクが連想したのは、イタリアのサービスエリア。高速道路・アウトストラーダのサービスエリアにある、跨線橋式リストランテ(レストラン)である。
上海サーキットの連絡橋の壮観さには遠く及ばないが、同様に道をまたぐようにして造られている。
お客は上下両車線のサービスエリアから、それぞれ階段を上って入れるようになっている。そして眼下に走るクルマを眺めながら、食事をする仕組みだ。

イタリアにおけるサービスエリア食堂の草分けアウトグリル社によると、こうした跨線橋方式のリストランテが最初にできたのは45年前の1962年で、北部ミラノ〜トリノ線だったという。
国民車「フィアット500」がデビューして5年。一般イタリア人にもクルマが行きわたり始め、ドライブやヴァカンスが定着し始めた時期である。カーラジオからは、前年のサンレモ音楽祭優勝カンツォーネ「アル・ディ・ラ」が盛んに流れていたに違いない。

やがてアウトストラーダの拡充にともない、各地に陸橋式リストランテが次々と誕生した。
当時の記録映像を見ると、白いテーブルクロスが敷かれ、パリッと正装した給仕が注文をとっている。サービスエリアにしては、妙にハイグレードな雰囲気が漂っている。
事実、当時のイタリア人にとって、クルマで“空中食堂”に立ち寄ること自体が、ドライブにおけるひとつのメインイベントだったのだ。

「太陽の道」カンタガッロの跨線橋式リストランテ。
「太陽の道」カンタガッロの跨線橋式リストランテ。 拡大
ローマ〜フィレンツェ間にて。
ローマ〜フィレンツェ間にて。 拡大
今や普通の建物が主流。それもこれはバールだけの簡易店舗。
今や普通の建物が主流。それもこれはバールだけの簡易店舗。 拡大

一転「不便施設」に

しかしこの空中食堂、ボクがイタリアに住み始めた11年前から、新規建設しているのを目撃したことがない。一見新しそうに見えても、実は外壁を張り替えただけである。日本でいう、ちょっと昔の「パッとサイ○リア」方式だ。
理由は徐々にわかってきた。

まずは、上り下りの不便さである。ドライブで疲れていると、階段を上がるのが面倒なときがある。エレベーターが設置されていたり、それに代わるバリアフリー装置が設置されていても、イタリア名物の「Guasto(故障)」の札が貼られていることが多い。
世界で日本に次ぐ長寿国であるイタリアの実情にそぐわなくなったのである。
建設費やメインテナンス費から見ても、跨線橋式は通常のサービスエリア施設より高くつくのは明らかだ。

たとえ上下別々の建物でも、連絡通路があること多し。
たとえ上下別々の建物でも、連絡通路があること多し。 拡大
“空中食堂”の入口。
“空中食堂”の入口。 拡大

道路拡張の足かせにも

そんなことを考えながら先日アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の道)を運転していたら、新たな事実を目撃した。
フィレンツェ〜ボローニャ間は、アペニン山脈を越えるためカーブが多く危険なうえ、年々増加する交通量に対応できず、長年改良の必要性が叫ばれてきた区間。
ようやく数年前から、従来の片側2車線から3車線にする工事が進められ、完成した部分が供用されてきた。
ところが、フィレンツェから北上し、ボローニャ郊外カンタガッロに差し掛かると、いきなり3車線から2車線に減少してしまうではないか。カーブも伴うから、それなりに緊張する。
それは何を隠そう、その先にある跨線橋式リストランテを避けるためなのだ。

この区間は1960年の開通だから、リストランテも同時期に建設されたと思われる。将来的には跨線橋式リストランテを取り壊して拡幅しなければならないのだろう。だが、イタリアの動脈である幹線道路を塞がずに解体工事をするのは、考えるだけで気が遠くなる作業である。
跨線橋式リストランテによる“シケイン”は、当分の間続きそうだ。

3車線化工事が完了して間もない区間にて。
3車線化工事が完了して間もない区間にて。 拡大
リストランテのサラダバー。
リストランテのサラダバー。 拡大

それでも、空中が好き

かくも空中食堂は、時代とともにお荷物になってしまった。
人々のドライブの楽しみだったリストランテも今や、社員食堂と変わりないセルフサービス式である。レジを打つパートのおばさんは、年齢と不釣合いな派手色キャップとTシャツを着用させられている。日本の外食チェーンでも同様の光景を目撃することがあるが、見ているお客のほうが「住宅ローン返済のためかな」などと可哀そうになってくる。
イタリアの戦後モータリゼーションを象徴するモニュメントは、過去の遺物になりつつある。
しかしボク自身は、11年前にイタリアに移り住んで以来、今もこの空中食堂で通り過ぎるクルマを見下ろしながら食事するのが大好きだ。
そのたび、祖母とともに近所の歩道橋に上り、夕方まで飽きることなくクルマを眺めていた小児エンスー時代を思い出すからである。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

リストランテからの眺め。
リストランテからの眺め。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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