第456回:スイスでドーンと満喫!
「今日はオペラ、明日はロールス・ロイス」
2016.07.01
マッキナ あらモーダ!
ロールスそっちのけでヴェルディ
先日スイス・ジュネーブで「コンクール・デレガンス・スイス」と称するコンクールが催された。
それにあわせて、協賛ブランドであるロールス・ロイスのスイス法人が、テストドライブを企画した。本来VIPゲスト向けのイベントだったようだが、ついでに取材登録したジャーナリストにも声をかけたらしく、ボクのもとにも招待状が舞い込んだ。
純粋な新型車の記者向け試乗会ではないし、加えて原則予約制ということで、ボクはそのインビテーションを放置した。乗ったところで、「マイレージで初めてファーストクラスに乗って、その様子をSNSにアップする」のに似たはしゃぎ方は、クルマに対して失礼ではないか。
さらに、天気予報が的中して、ジュネーブに着くと雨が降りだした。これでは、コンクールに出向いても、にぎやかな会場写真はあまり期待できない。
ジュネーブの街中を歩いていると、グランドテアトル(歌劇場)でヴェルディのオペラ『ファルスタッフ』が行われる旨を記したポスターに目がとまった。オーケストラは日本でも有名なスイス・ロマンド管弦楽団だ。それも当日は、出演者のテンションが高い初日公演である。
持参したラップトップPCで検索してみると、幸いにも桟敷席の最後列がまだ残っていた。61フラン。日本円にして6500円である。早速ネットでポチる。
最近は欧州でも、窓口に出向かずしてオペラ公演を予約できる。それも今回は、上演2時間前だった。音楽事務所に電話をかけまくって演奏会の席を確保していた、東京の学生時代がうそのようである。
かくしてその晩は、突然のことであったにもかかわらず、夜の7時半から休憩をはさんで3時間にわたる上演を楽しむことができた。
気分は『007 ゴールドフィンガー』
ひと晩明けて、例のコンクール・デレガンスの会場に顔を出す。
ロールス・ロイスの現行モデルが展示されたテントの前を通ると、スタッフが声をかけてきた。「昨日は試乗のお誘いをいただいていましたのに……」というと、「今日も引き続きテストドライブを実施していますから、ぜひ乗ってみてください」と勧める。郊外も含め、30分程度ドライブできるという。
思えば、常に自動車に近いところで仕事をしてきたにもかかわらず、ロールス・ロイスを運転したことはない。ボクの経験では、楽器を習う以上に難しい操作が必要なクルマなんて存在しないはずだ。そこに、イタリア人の知人が通りかかり、「ボクも昨日、ロールス・ロイス運転しちゃった」と自慢げに話したこともあって、ようやく興味がわいてきた。
スタッフは、「ただいま『ファントム ドロップヘッドクーペ』と『ドーン』のご用意があります」という。ボクは、より新しいドーンに乗せてもらうことにした。
クルマは会場と道をはさんだ林の中で待っていた。ドーン(欧州仕様)の全長5285mm、全幅1947mmというサイズは、東京時代のボクが乗っていた「ビュイック・パークアベニュー」とあまり変わらない。しかし、サイズ以上の威容と感じさせるのは、そのスクエアなボディースタイルゆえだろう。
V型12気筒6.6リッターターボエンジンは、威厳に満ちたボディーとは対照的に、さらさらと小川が流れるがごとく上品に回っている。昔のロールス・ロイスでよく行われていたように、カムカバーの上にコインが立つか試してみたいな、などと考えていたら、車内へと案内された。いきなりドライバーズシートである。
「ドアの閉め方は、こうです」と教えられるままAピラー付近の室内ボタンを押すと、ドアは自動で閉まった。それはそうだ。同じ前開きドアでも、往年の「フィアット500」や「スバル360」の初代モデルとは違い、ドーンのものは巨大である。アシストなしには手が届かないのである。
シートに座って見回すと、試乗車の助手席側Aピラーには小型カメラが据え付けられている。盗難防止用か、待機職員との連絡用か、はたまた顧客がしゃべる感想の記録用か、聞き忘れてしまった。難しいレクチャーがあるのかと思いきや、説明されたのは、ステアリングコラム右側から生えたATセレクターレバーをDモードに入れる方法だけだった。
ボクがロールス・ロイスを運転する姿は、まるで『007 ゴールドフィンガー』で1964年「ファントムIII」を黙々と運転する日系俳優ハロルド坂田扮(ふん)する執事ではないか。そういえば、あれはスイスが舞台だった……。そのイントロにおけるトランペットを頭の中に響かせながら、アクセルペダルを踏んだ。
林の中、荒れた未舗装路を、ドーンは粛々と動き出した。一般道に出ようとすると、長いフロントフェンダーの前端左右に埋め込まれたカメラが、合流道路の死角になる部分をディスプレイに映し出した。もちろんバーズアイ・ビューもある。「へえー」と感心して見ていると、助手席のスタッフから「大変有効な装備ですが、必ず目視してください」と教育的指導が入った。
ほかのクルマにない世界
レマン湖畔の街路を流す。路上には、速度を落とさせるための突起プレート(スピードパンプ)が頻繁に現れる。日ごろ、ホイールベースが短い小型車に乗っているボクは、思わず速度を落とす。しかし、スタッフは「そこまで速度を落とさずに走ってください」と勧める。たしかに、その通りにしても、ショックは極めて少ない。古いアメリカ車のようなピッチングも残らない。それでも、いつもの癖で、「ショックがあるぞ」と身構えてしまう自分が情けない。
やがて太陽が雲間から現れたので、ルーフを開けることにした。
あ、そうだ。このクルマはコンバーチブルだったのだ。そう思うくらい、クローズ時の静粛性は高い。
開閉機構はウェバスト製で、オープン/クローズとも所要時間はわずか22秒だ。モーターの音など聞こえはしない。
50km/h以下でないと作動しないのは、平均速度が高い欧州では、少々不便なシチュエーションもあると思われる。しかしヘッドアップディスプレイの速度表示を見ながらスピードを落としても、後続車がホーンなどを鳴らさないのは、スイス人ドライバーがジェントルなのに加え、泣く子も黙るロールス・ロイスであるからにほかならない。
面白いのは、再びルーフを閉めたときだ。静寂が訪れるその瞬間は、まるでノイズキャンセリング・ヘッドホンのスイッチを入れたかのようである。
しばらくして昨晩ヴェルディを見に行った話をする。すると、スタッフがスマートフォンでアンドレア・ボチェッリが歌うトゥーランドットのアリア『誰も寝てはならぬ』を選び、Bluetooth経由でオーディオにつないでくれた。テノールの深みをやみくもに強調することのない、清潔という言葉がふさわしい音質である。
「ヴィンチェロー(勝つぞ)!」というイタリア語歌詞の高揚感につられてアクセルペダルを踏み込んでも、ドーンは下品なテールの沈みこみなど見せることなく、淡々と加速を続けた。
安心して他人に貸せる
ATの変速、路面のいなし方、コーナリング中の挙動、そしてオーディオの音質にいたるどれもが、いかめしい外観とは裏腹に“さりげない”。そしてそれらが見事にバランスしているため、大きなボディーを操っていることすら忘れさせてしまう。
その特異なステアリングに慣れるまでグラグラと操縦してしまったシトロエンの初代「DS」をはじめ、これまで仕事で乗ったどんなクルマよりも操作は容易だ。俗な比較で恐縮だが、ボクがビュイック以前に東京で乗っていたCVTの「フィアット・ウーノ」のほうが、よほど気難しかった。
モンテカルロの狭い街路をロールス・ロイス乗りが意外に涼しい顔をしてドライブしている理由がわかった。欧州では、高級車のオーナーがボクに「ちょっと運転してみるか?」と平気でキーを渡してくれることがたびたびあるが、ロールス・ロイスのオーナーも安心して、そんなもてなしができるに違いない。
今回の試乗会も、ロールス・ロイスをより身近に感じさせることが目的であったようだ。スタッフ氏は北京のサーキットをドライブしたことがあるそうで、「コースでも十分素早く走れて痛快です」とも証言してくれた。
インテリアも、ハイテクを前面に押し出すようなことはしていない。ドイツ車が目指すのとは別世界の、「おじいちゃんの家を訪れた感覚」とでもいう印象が、愛好者を魅了するに違いない。
ご存じの通り、2003年以来ロールス・ロイスはBMWグループの1ブランドであるが、その英国流センスを13年にわたり大切に維持してきたバイエルンのエグゼクティブたちに敬意を表したい。
テストドライブを終えて、コンクール・デレガンスの会場に戻ると、パリのヒストリックカーショー「レトロモビル」のオーガナイザー、フランソワ・メルシオン氏に出くわした。「ロールス・ロイスを成約したか?」と冗談をのたまうので、ボクは「小切手帳、イタリアに忘れた」と切り返した。
あいにくボクの口座には、ドーンを手に入れられるだけの残高はない。同時に考えてみれば、日本での税込み価格3740万円は、冒頭の桟敷席なら5753回見られる計算だ。「今日は帝劇、明日は三越」のように「今日はオペラ、明日はロールス・ロイス」の生活ができるに越したことはないが……。それに、機械式時計同様、高級品はその歴史を楽しむものだとすると、ロールス・ロイスの歴史についてまだまだボクは勉強が足りない。
それでも、「小さな公国のお姫様を悪党から救出するとき、城内にロールス・ロイスがあれば奪って運転できるぞ!」と、妙にファンタジーに満ちた自信をつけることができた週末であった。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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