第1回:ガソリン自動車誕生
2人のドイツ人が内燃機関を作った
2017.06.30
自動車ヒストリー
今日に続く内燃機関の自動車を、初めて世に問うたカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラー。2人の挑戦を可能にした内燃機関の進化の歴史と、自動車の誕生、そして世界最古の自動車メーカーの誕生にいたる歴史を振り返ってみよう。
新しい動力源を求めて
メルセデス・ベンツは誰もが知るドイツの代表的自動車ブランドだ。製造・販売を行っているのは、ダイムラー社(Daimler AG)である。ブランド名と会社名が異なっているが、どちらもガソリン自動車の誕生に関わった人物に由来している。19世紀末、世界を変えることになる新しい乗り物を作ろうとしていたのが、カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーだった。
19世紀のはじめにトレビシックが発明した蒸気機関車はスティーブンソンによって改良され、ヨーロッパやアメリカでは人員や貨物を輸送する実用的な手段となっていた。1769年にキュニョーが先鞭(せんべん)をつけた蒸気自動車も、少しずつ技術開発が進んでいた。電気自動車の可能性を探る動きが始まったのもこの時期である。
新たな交通環境が整備されようとしていたものの、満足せずにほかの道を探る技術者たちがいた。蒸気機関車は線上を走る1次元の動きしかできないので、自由なモビリティーとは言いがたい。蒸気自動車は大きくて重く、電気自動車は航続距離に難点がある。すべての問題を解決するには、新しい動力源を開発する必要があった。
1860年、フランスのエティエンヌ・ルノワールが「ガスエンジン」の特許を取った。石炭ガスをシリンダー内で燃焼させて動力を取り出すもので、初めての実用的な内燃機関といえる。機関外部の熱源を利用する蒸気機関に比べ、はるかに軽量でコンパクトなシステムにすることが可能になった。ただ、まだまだ技術的課題は多く、安定して稼働させるのは難しかった。熱効率が悪く潤滑油が大量に必要だったため、“回転する油の塊”と揶揄(やゆ)されていたという。
ドイツのニコラス・アウグスト・オットーはルノワールのガスエンジンを研究し、効率を高めた機関を開発してビジネスを成功させた。さらに強力な動力を得るため、彼はボー・ド・ロシャが提唱していた4ストロークエンジンに活路を求めた。1877年、彼は効率的な内燃機関を作り上げて特許を取得する。現在も使われているガソリンエンジンの原型で、オットーサイクルの名で呼ばれている。
近くで別々に研究していたベンツとダイムラー
オットーのもとで研究開発を進めたのが、ダイムラーとウィルヘルム・マイバッハだった。彼らはオットーから離れてカンシュタットで研究を重ね、1883年に熱管点火方式の改良型エンジンを完成させる。1885年、さらに改良されたエンジンを木製の二輪車に載せ、テスト走行を成功させた。これが「ニーデルラート」である。
一方、カンシュタットからほんの数十kmしか離れていないマンハイムでは、カール・ベンツがエンジン会社を設立して研究を進めていた。先祖代々鍛冶屋を家業としていたベンツ家だったが、彼の父親は故郷を出て機関車の運転士になった。当時最先端の職業だったはずである。2歳の時に父は事故が原因で亡くなってしまったので、彼には父の記憶がない。
それでも、技術者魂は受け継がれる。彼が幼い頃に描いた絵はすべて蒸気機関車だったし、ギムナジウムに入った頃には、近所の人が壊れた時計を持ってくると即座に直してしまう腕を身につけていた。息子が役人になるように願っていた母親も、彼の才能を知って高等工業学校に転学することを許さないわけにはいかなかった。そこで出会ったのが、新しい動力の内燃機関である。
鍛冶屋の血が流れているから、現場で学ぼうという意欲があった。そして、父の運転した蒸気機関車を作りたい。彼が選んだ結論は、蒸気機関車を製造する工場に就職して旋盤工になるというものだ。昼は工場で職人の腕を磨き、夜は新しい乗り物の形を頭の中で考える。この時期に手で覚えた機械の感覚と青年の理想が融合し、未来を変える構想が育まれていたのだ。
点火システムと冷却装置が課題に
1871年、ベンツは独立して事業を始める。オットーが特許を持っていた4サイクルエンジンを回避し、2サイクルエンジンの開発に没頭した。彼が培ってきた技術力は十全に発揮され、小型軽量でパワフルな製品が完成する。カールスルーエ博覧会で絶賛されたエンジンは好調な売れ行きを示し、事業は順調に発展していった。
しかし、ベンツが求めたのは、あくまでエンジンで走る乗り物なのだ。定置式の2サイクルエンジンでは、重すぎて乗り物に載せることはできない。ちょうどその頃、オットーが取得していた4サイクルエンジンの特許が無効とされる。もはや制約は存在しない。ベンツは軽量なガソリンエンジンの開発に乗り出すことにした。
ベンツの頭脳と工作技術をもってしても、エンジン駆動の自動車を作るのは簡単ではなかった。最重要課題が軽量化と高回転化であることはわかっている。実現するためには、確実で強力な点火システムを採用しなくてはならない。ベンツが選んだのはダイムラーの熱管式とは異なる電気式だった。バッテリーと変圧器を組み合わせて高圧電流を発生させ、改良した気化器を使って安定した燃焼を連続的に起こすことが可能になった。
ほかにも課題はある。ガソリンの燃焼によって発生する熱を冷却する装置が必要だった。発生した動力を伝達するために、必要な時は駆動力を切る仕掛けも欲しい。コーナリング時にスムーズに走行するための機構も開発しなければならない。動力を地面に伝える後輪の内側と外側で回転数が異なるという問題が未解決だったのである。
ベンツの初の顧客はフランス人
困難な課題をすべてクリアし、ベンツはガソリンエンジンで走る三輪自動車「パテント・モートルヴァーゲン」を作り上げたのだ。1885年に試運転に成功し、1886年に特許が認められた。これによって、ベンツは世界初のガソリン自動車を作ったエンジニアという栄誉を得たのだ。
“馬のない馬車”を、人々がすぐに受け入れたわけではない。“悪魔の乗り物”だとして恐れる者もいたし、将来性に疑問を投げかける論調もあった。苦境の中、1887年にはパリからやってきたフランス人が興味を示して購入する。小規模ながら、自動車がビジネスになったのだ。
ベンツはその後「ヴィザヴィ」「ヴェロ」などのモデルを発表し、順調に販売を伸ばしていく。ダイムラーも「シュトゥルラートヴァーゲン」で自動車販売に乗り出した。ダイムラー車の顧客だったエミール・イェリネックが提案したのが、クルマに「メルセデス」という名をつけることだった。ダイムラーではいかにも堅く、自分の長女の名でもある女性名にすればイメージが向上するというわけだ。
1902年にメルセデスという名称はダイムラーによって正式に商標登録された。第1次大戦後に景気が後退すると、ライバル同士だったダイムラーとベンツは合併を余儀なくされる。ダイムラー・ベンツ社の誕生である。ダイムラー社のメルセデス・ベンツには、今も自動車誕生の記憶が組み込まれているのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
-
第105回:資本主義のうねりを生んだ「T型フォード」
20世紀の社会を変えた大量生産と大量消費 2021.7.21 世界初の大量生産車となり、累計で1500万台以上が販売された「T型フォード」。このクルマとヘンリー・フォードが世にもたらしたのは、モータリゼーションだけではなかった。自動車を軸にした社会の変革と、資本主義の萌芽(ほうが)を振り返る。 -
第104回:世界を制覇した“普通のクルマ”
トヨタを支える「カローラ」の開発思想 2021.7.7 日本の大衆車から世界のベストセラーへと成長を遂げた「トヨタ・カローラ」。ライバルとの販売争いを制し、累計販売台数4000万台という記録を打ち立てたその強さの秘密とは? トヨタの飛躍を支え続けた、“小さな巨人”の歴史を振り返る。 -
第103回:アメリカ車の黄金期
繁栄が増進させた大衆の欲望 2021.6.23 巨大なボディーにきらびやかなメッキパーツ、そそり立つテールフィンが、見るものの心を奪った1950年代のアメリカ車。デトロイトの黄金期はいかにして訪れ、そして去っていったのか。自動車が、大国アメリカの豊かさを象徴した時代を振り返る。 -
第102回:「シトロエンDS」の衝撃
先進技術と前衛的デザインが示した自動車の未来 2021.6.9 自動車史に名を残す傑作として名高い「シトロエンDS」。量販モデルでありながら、革新的な技術と前衛的なデザインが取り入れられたこのクルマは、どのような経緯で誕生したのか? 技術主導のメーカーが生んだ、希有(けう)な名車の歴史を振り返る。 -
第101回:スーパーカーの熱狂
子供たちが夢中になった“未来のクルマ” 2021.5.26 エキゾチックなスタイリングと浮世離れしたスペックにより、クルマ好きを熱狂させたスーパーカー。日本を席巻した一大ブームは、いかにして襲来し、去っていったのか。「カウンタック」をはじめとした、ブームの中核を担ったモデルとともに当時を振り返る。
-
NEW
ロイヤルエンフィールド・ハンター350(5MT)【レビュー】
2025.11.25試乗記インドの巨人、ロイヤルエンフィールドの中型ロードスポーツ「ハンター350」に試乗。足まわりにドライブトレイン、インターフェイス類……と、各所に改良が加えられた王道のネイキッドは、ベーシックでありながら上質さも感じさせる一台に進化を遂げていた。 -
NEW
ステアリングホイールの仕様は、何を根拠に決めている?
2025.11.25あの多田哲哉のクルマQ&A「どれも同じ」というなかれ、メーカー・ブランドによりさまざまな個性が見られるステアリングホイールの仕様は、どのような点を考慮して決められているのか? 元トヨタのエンジニア、多田哲哉さんに聞いた。 -
ホンダ・ヴェゼル【開発者インタビュー】
2025.11.24試乗記「ホンダ・ヴェゼル」に「URBAN SPORT VEZEL(アーバン スポーツ ヴェゼル)」をグランドコンセプトとするスポーティーな新グレード「RS」が追加設定された。これまでのモデルとの違いはどこにあるのか。開発担当者に、RSならではのこだわりや改良のポイントを聞いた。 -
2025年の一押しはコレ! 清水草一の私的カー・オブ・ザ・イヤー
2025.11.24デイリーコラムこの一年間で発売されたクルマのなかで、われわれが本当に買うべきはどれなのか? 「2025-2026日本カー・オブ・ザ・イヤー」の正式発表に先駆けて、清水草一が私的ベストバイを報告する! -
アルファ・ロメオ・ジュニア(後編)
2025.11.23思考するドライバー 山野哲也の“目”レーシングドライバー山野哲也が「アルファ・ロメオ・ジュニア」に試乗。前編では内外装のデザインを高く評価した山野だが、気になる走りのジャッジはどうか。ハイブリッドパワートレインやハンドリング性能について詳しく聞いてみた。 -
三菱デリカミニTプレミアム DELIMARUパッケージ(4WD/CVT)【試乗記】
2025.11.22試乗記初代モデルの登場からわずか2年半でフルモデルチェンジした「三菱デリカミニ」。見た目はキープコンセプトながら、内外装の質感と快適性の向上、最新の安全装備やさまざまな路面に対応するドライブモードの採用がトピックだ。果たしてその仕上がりやいかに。









































