第102回:「シトロエンDS」の衝撃
先進技術と前衛的デザインが示した自動車の未来
2021.06.09
自動車ヒストリー
自動車史に名を残す傑作として名高い「シトロエンDS」。量販モデルでありながら、革新的な技術と前衛的なデザインが取り入れられたこのクルマは、どのような経緯で誕生したのか? 技術主導のメーカーが生んだ、希有(けう)な名車の歴史を振り返る。
先進技術を積極的に採用したシトロエン
1973年の映画『ジャッカルの日』では、冒頭で仏ド・ゴール大統領の暗殺未遂が描かれる。真っ黒な「シトロエンDS」で移動する大統領をテロリストが狙撃するシーンだ。この映画は事実に基づいており、事件が起きた1960年代初頭には、実際にDSが大統領の公用車として使われていた。1955年に発売されたこのモデルは評価が高く、シトロエンの中心車種となっていたのである。
ただ、DSのエンジンはわずか1.9リッター(後に2.3リッターまで拡大される)であり、特別な高級車とは言い難い。開発当時のコードネームは「VGD」で、これは「Véhicule de Grande Diffusion」(大量普及自動車)の略称である。量産車として企画されたモデルだが、そこに盛り込まれた技術は驚くほど先進的だった。このクルマがカー・オブ・ザ・センチュリーで第3位という栄誉に輝いたのは、スポーツカーでもない普通のクルマに惜しげもなく先端技術を注ぎ込んだことが理由のひとつとなっている。
シトロエンという会社は、成り立ちからして技術主導だった。創業者であるアンドレ・シトロエンは、母親の故郷であるポーランドで鋭角な山型の歯車を見て将来性を確信し、権利を買い取ってフランスでギアの製造を始める。高性能な製品で成功し、資本を得た彼は、1919年に自動車製造に乗り出した。その出自を記念して、シトロエンのエンブレムはドゥブル・シェブロン(山歯歯車)をモチーフにしたものとなっている。
自動車会社としては後発だったが、オールスチールボディーや4輪ブレーキを採用するなど、積極的に先進技術を取り入れて魅力的なモデルを開発した。アメリカ流の大量生産方式を採用したのも、ヨーロッパではシトロエンが初めてである。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
“宇宙船”と評されたフォルム
シトロエンが進歩的な自動車会社であることを強く印象づけたのが、1934年に発売された「トラクシオン アヴァン」こと「7CV」である。後輪駆動が常識だった時代にいち早く前輪駆動を採用し、軽量なモノコックボディーを使って世界の最先端を行くモデルをつくり上げた。
第2次世界大戦が終わると、1948年に「2CV」を発売する。合理性を極限まで追求したミニマム思想を形にしたモデルである。大衆から圧倒的な支持を受け、1990年まで製造が続けられるロングセラーとなった。大衆向けに革新的なクルマを開発するという姿勢は、シトロエンのDNAともいえる。
VGDのプロジェクトは、すでに戦前に始まっていた。開発を主導したのは、トラクシオン アヴァンや2CVを手がけた天才エンジニアのアンドレ・ルフェーブルである。戦後になって開発が再開されるが、求められる性能の水準があまりにも高く、ようやく日の目を見たのは1955年のパリサロンだった。
ショーが始まると、斬新な形をしたクルマをひと目見ようと、DSの展示スペースに人々が押し寄せた。DSのフォルムは同時代のほかのクルマとはかけ離れたもので、“宇宙船”と評されたほど。デザインを担当したのは、イタリア出身のフラミニオ・ベルトーニである。彼はトラクシオン アヴァンや2CVも手がけていた。
大胆な流線形のスタイルは、空力を重視した結果である。ヘッドライトは半埋め込みタイプとし、後輪をスカートで覆うという徹底ぶり。ルーフは後方に向けてなだらかに下降し、テールは小さくすぼまっている。ラジエーターグリルを廃したことで鼻先は低くとがった造形になり、フロントの表情はシャープなものとなった。こうした自由度の高いデザインは、応力を負担しないスケルトン構造のボディーによって実現したものである。同時に、ルーフにはFRPを、ボンネットにはアルミニウムを採用するなど、新素材をふんだんに使って軽量化も試みられた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
基幹システムは「ハイドロニューマチック」
反響はすさまじく、ショーの初日に1万2000台を超える注文が寄せられたという。誰も見たことがない形が人々を魅了したわけだが、その中身はさらに上を行く前衛的なものだった。DSの最大の特徴は、基幹システムとして採用された「ハイドロニューマチック」である。エアスプリングと油圧ポンプを組み合わせたもので、液体と気体の性質を利用した技術だ。前年に「15CV SIX」のリアサスペンションでテスト的に使われていたが、DSではブレーキやパワーステアリング、トランスミッションもコントロールする重要な役割を持っていた。
エンジンルームに「スフェア」と呼ばれる緑色の玉があり、中に窒素ガスと特殊なオイルが封じ込められている。エンジンの動力によって高圧ポンプが作動し、油圧によってシステムを制御する仕組みだ。DSは駐車時には車高が低くなっているが、エンジンを始動するとポンプによって油圧が生まれ、徐々に車高が上がっていく。オイル量をコントロールすることで、車体の姿勢を一定に保つセルフレベリング機構も備えており、車高はレバー操作によって調整することができた。
スフェア内のガスはバネとして作用し、オイルは絞り弁を通ることで減衰力を得る。2種の流体によって、通常の金属バネとはまったく違う、滑らかな乗り心地を生み出すわけだ。シートは柔らかな素材でソファのような形状につくられており、リビングルームにいるような快適さが提供された。
新しいシステムを用いているため、運転の仕方も従来のクルマとは違っていた。エンジン始動すら普通ではない。キーをひねるのではなく、1本スポークのステアリングホイールの向こう側にあるシフトレバーを手前に引くことでスターターが回る仕組みだ。ハイドロニューマチックによるセミオートマチックトランスミッションを採用しているため、クラッチペダルはない。足元の真ん中には、丸い突起状のバルブが設けられており、これがブレーキペダルの役割を果たしていた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
自動車の神話をつくりかえた女神
DSのもたらした衝撃は、思想界にまで影響を与えた。哲学者のロラン・バルトは1957年の著書『神話作用』の中でDSについて言及している。バルトは「自動車はかつてゴシック建築の大聖堂が持っていた影響力に匹敵する存在になっている」と指摘し、「DSは自動車の神話をつくりかえた」と論じた。フランス語ではDSは女神を意味する「déesse」と同じ発音であることを踏まえた文章である。女神が自動車を精神的なものにまで高めたという解釈を示したのだ。
DSの名の由来は明らかになっておらず、本当に女神の意味を含んでいたのかどうかはわからない。ただ、DSの廉価版として後に発売された「ID」は「idée(イデア)」と同じ発音になっており、深読みを促すかのような命名になっていることは確かだ。
前述の通り大統領公用車として使われたDSだが、ドライバーズカーとしても優秀な素質を持っていた。発売の翌年からモンテカルロラリーにDSで出場する者が現れている。1959年には「ID19」が優勝を果たし、アフリカのラリーレイドでも好成績を残した。
DSは前衛的であり、先進的なクルマだった。20年以上先を行ったクルマであるとまでいわれ、実際に1975年まで生産が続けられることになる。ワゴンモデルやデカポタブルと呼ばれるオープンモデルもつくられ、総生産台数は145万台に達した。
シトロエンは2009年に新たなモデルラインナップとしてDSの名を復活させた。高級車サブブランドとして新たにDSラインを設け、「DS 3」などのモデルを導入したのだ。2014年には「アヴァンギャルドの精神『SPIRIT OF AVANTGARDE』」をうたうプレミアムブランドとしてシトロエンから独立。自動車の未来を予感させた名車は、高級車の目指すべき指標としてインスピレーションを与え続けている。
(文=webCG/写真=ステランティス、Newspress/イラスト=日野浦 剛)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。