第197回:お父さんは盗んだクルマで旅に出る
『ガラスの城の約束』
2019.06.13
読んでますカー、観てますカー
セレブコラムニストの過酷な少女時代
映画は冒頭から衝撃的なシーンが連続する。1989年のニューヨーク。レストランからタクシーで帰宅する道で、ジャネット・ウォールズは母親がゴミをあさる姿を目撃する。正業につかない両親は町外れの空きビルを不法占拠して住んでおり、こうして“自給自足”の生活をしているのだ。彼女は母に見つからないよう、姿勢を低くして通り過ぎる。
思い出すのは、幼い頃に起きた事件だ。1960年代初頭、3歳だったジャネットはおなかがすいたと母に告げる。しかし、彼女は絵を描くのに夢中で、取り合ってくれない。仕方がなく自分でお湯を沸かしてソーセージをゆで始めると、踏み台を使ってコンロに向かっていた彼女の服の裾に火が移って燃え上がる。あっという間に炎に包まれ、全身に大やけど。病院に運び込まれるが、治療を受けているさなかに父親がやってきてジャネットを連れ去る。病院は信用できないというのだ。
『ガラスの城の約束』は、ジャネットの自伝的小説が原作だ。彼女は『エスクァイア』や『USAトゥデイ』などでゴシップ記事を書いていた有名コラムニストで、この小説は2005年に出版されてから350万部を売り上げたベストセラー。世界35カ国で翻訳されている。いわゆるセレブだった彼女が過酷な少女時代をありのままに描き出したことが、センセーショナルな話題になったらしい。
父レックス、母ローズマリー、姉ローリ、弟ブライアン、妹モーリーンとの6人家族は、アメリカ中を渡り歩いて暮らしていた。一つの場所にとどまっていないのは、借金取りから逃れるためだ。いよいよ危ないとなると、大急ぎで荷物をまとめて夜逃げする。行き先はわからない。適当な場所を見つけて住みつき、またしばらくすると旅立つのだ。
ボログルマで移動する“万引き家族”
映画では、最初に乗っていたのが「フォード・カントリーセダン」。次に移動する時は、「プリムス・サテライト」に替わっていた。どちらも正規に購入したものかどうかは怪しい。レックスはどんなものでも直してしまう腕前を持っていて、そのへんで見つけた不動車を動かすなど朝飯前。不法に入手したとも考えられる。小説には、親子が協力して小売店から物を盗んだという記述があった。リアルな“万引き家族”なのだ。
アリゾナ州南部のトレーラー駐車場からフェニックスにある母方の祖母の実家へ行き、ネバダ、アリゾナ、カリフォルニアの鉱山町を転々とする。レックスはエンジニアなので、鉱山があれば仕事にありつける。すぐに会社とケンカをしてクビになり、また新しい土地へ。幼いジャネットはこれまでにいくつの街に住んだか数えてみるが、11までは勘定できてもそれ以上は思い出せなかった。記憶にあるのは、家よりも移動中のクルマの中の様子だったのだ。
レックスは数学や自然科学に詳しく、金鉱を掘り当てて大もうけできると考えている。その資金で、理想の家を建てるのが夢だ。すべてがガラスでできていて、完璧なソーラーシステムを備えている。詳細な設計図を書いているが、実際に建築に取りかかる様子はない。稼いだ金は酒につぎ込み、酔っ払っては家で暴れる。子供たちは食べるものがなく、学校でゴミ箱をあさって飢えをしのぐ。
ローズマリーは根っからのアーティストだ。キャンバスに向かって絵筆を取り、デスクでは小説や詩を執筆する。惜しまれるのは、才能がないことだ。絵が売れた試しはなく、小説は出版社から送り返される。彼女は芸術に無理解な連中に対して憤り、さらに創作活動に精を出す。家事になどかまっていられないから、子供たちは垢(あか)で薄汚れていき、ボタンが全部取れてしまったコートを着て学校に行く。クラスメイトからいじめのターゲットにされるのは時間の問題だ。
コワモテ俳優とひどい目にあう女優
控えめに言っても、これは典型的なネグレクトである。虐待と表現したほうが正確かもしれない。日本では幼い子供に暴力をふるったり食べ物を与えなかったりして衰弱死させる事件が連続しているが、そういう案件だ。ジャネットは大やけどで死んでいた可能性だってある。レックスは金を手に入れるために、彼女の貞操を危険にさらしたことさえあるのだ。
レックスを演じているのはウディ・ハレルソン。『ナチュラル・ボーン・キラーズ』以来、数々の恐ろしい犯罪者役で名をはせてきたコワモテ俳優である。『スリー・ビルボード』では心優しい警察署長だったが、あれは意外性を求めた配役だった。なにしろ父親がプロの殺し屋だったというクリスピーな出自を持つので、悪役を振られやすいのだ。
ジャネットはブリー・ラーソン。『ルーム』では異常者に監禁されて性的な虐待を受ける役だったが、今回もひどい目に遭うことになった。たまりにたまったうっぷんは、『キャプテン・マーベル』で大暴れすることで発散できただろうか。
彼女はこの映画の監督デスティン・ダニエル・クレットンが撮った2013年の『ショート・ターム』で主演している。心に傷を抱えた未成年者のグループホームを舞台にした作品で、ラーソンは彼らを世話するケアマネジャー役。自身も父親に虐待されていたことがあり、自傷行為の経験を持つ。彼女をはじめとする俳優陣のリアルな演技が素晴らしく、悲惨な現実の中に確かな希望を感じさせる佳作だった。ちなみに、フレディ・マーキュリーになる前のラミ・マレックも出演している。
人間はまわりに迷惑をかけるもの
『ショート・ターム』は、監督自身がケアホームで2年間働いた経験から生まれた作品である。親から十分に愛情を注がれずに育った子供たちを直接見てきたのだ。彼らの痛ましい境遇を肌で知っているのだから、子育てを放棄しているレックスとローズマリーには厳しい目を向けそうに思える。そうしなかった理由を、監督は「単なる機能不全を起こした家族の物語として描くのではなく、底知れぬ愛の力を描くというアプローチをした」と語っている。
2013年の『ヒップスター』では、母の死を悲しむあまり自暴自棄になったシンガーソングライターを描いた。ワガママで自己中なダメ人間の彼に対しても優しい視線を向ける。クレットン監督にとって、人間がまわりに迷惑をかけるのはデフォルトなのかもしれない。沖縄にルーツを持つハワイ生まれの彼は、寛容という美徳を知っている。
似たようなテーマの映画に、2016年の『はじまりへの旅』があった。ヴィゴ・モーテンセンが演じる父親は、森の中で子供6人を育てている。大自然の中で生き抜くサバイバル術を教え、自分の頭で考えることの大切さを説く。宗教を否定し、クリスマスに祝うのはサンタクロースではなくノーム・チョムスキーだ。自助の精神と理性を奉ずる“正しい生活”を実践するが、それを可能にしているのは父の圧倒的な支配力だ。
レックスも同じである。彼は資本主義にまみれた都会の暮らしを憎み、砂漠で何者にもとらわれることなく生きるのが人間本来の姿だと語る。美しい考えだが、実際には自分の欲望を抑えることができないアル中の暴力男だ。記憶の中では、父はボログルマを運転してたくさんのステキな場所に連れていってくれた優しい人なのだろう。ジャネットは今も洗脳から抜けていないのかもしれないが、家族とはそういうものである。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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