第647回:“封鎖中”のイタリアで考えた「国の強み」と「変わるクルマ観」
2020.03.20 マッキナ あらモーダ!「無秩序な国」に映る理由
2020年3月18日付『デイリーコラム』で記したとおり、イタリアでは新型コロナウイルス感染拡大対策として、人々の移動制限および小売り活動の休止を定めた首相令が10日と12日に発動された。
今回はこの惨禍にイタリアで直面している筆者が、自動車に対する思いをつづりたい。
その前に、日本ではなかなか伝えられないイタリア地方都市の光景と、一般市民のマインドを記しておこう。
ひと足先に感染が広がった北部ロンバルディア州では、州が封鎖される前日の7日夜、多くの人々が州外に脱出しようとミラノの主要2駅から列車に乗ろうとした。同じ日には24時間営業のスーパーマーケットに買いだめ目的の人が殺到した。
2つの事象が日本の著名なニュースサイトによって伝えられると、筆者のもとには日本の知人から「大丈夫か」とのメッセージが次々と届いた。
イタリアの主要紙『ラ・レップブリカ』で確認すると、ミラノ2駅で特急の最終列車に乗ろうと押しかけた人の数は約500人である。その後、夜行列車の切符を購入したのは400人。そして切符売り場にあふれかえったのは約150人と記録されている。すべて合計しても約1050人である。
当然のことながら、その中にはよそからミラノを訪問していた人も含まれているであろうが、ロンバルディア州の人口(約1000万人)と比較すると、駅に来たのはその約0.01%ということになる。また、夜行列車を希望した客はほとんどが乗車できたと同紙は報じている。イタリア第2の大都市ミラノにとっては、極めてささいな出来事だったのである。
24時間営業のスーパーマーケットに関しても、日本とは事情が違う。人々が殺到する光景が報じられたスーパーはフランス系のカルフールである。同社は、労働時間に関する雇用者と労働組合との折衝が困難なイタリアで、事実上唯一24時間営業が認められた大型チェーン系スーパーだ。24時間営業を実施している店舗は、イタリア全土でわずか176店にとどまる。日本のコンビニとは規模が違うのである。
さらに、その後イタリアで同様の買いだめパニックが起きたという報道はない。
筆者が住む中部トスカーナ州シエナの状況について話そう。移動などをより強力に制限する首相令が発動された12日朝、筆者は生活必需品をそろえるため、営業が許可されているスーパーマーケットに赴いた。
その店はもちろん、沿道にある他店でも買いだめ行動は起きておらず、ほとんどの棚にはいつもどおり商品が潤沢に並べられていた。「物流は制限しない」という首相府の声明が効果を示したことは確かだ。
レジでは政府の指針どおり、他の客との間は1mを保つように指示がなされている。
次に訪れたチェーン系ドラッグストアでレジ係の女性が示したのは、スーパーの1mルール以上に厳格だった。彼女の指示を箇条書きすると「客は買い物カゴをレジに置く」「客がレジから離れる」「店員がレジ入力。そのあとレジから離れる」「客が現金またはクレジットカードを置いて、また離れる」「店員が会計して釣りやカードを台に置く。そして離れる」「客は商品を取って退店」という手順だ。客はそれを守っている。
イタリアの地方行政区画を説明すると、20の州の下に110の県がある。大都市を持つローマとミラノ、ナポリ、トリノ県に住む人口の合計はわずか21%である。あとは人口100万人級か、それ以下の県だ。
26万の人口を擁する県庁所在地であるシエナ県でさえ、市民生活はかくも平静を保っている。行動制限下なので筆者自身にこれ以上の確認はできないが、シエナ以下の規模の県では、生活はより平静が保たれているであろうことがうかがえる。
このように秩序を保った実生活が行われていながら、日本のメディアでは前述のような一部の事象が繰り返し報道される。また多くの場合「イタリアでは」とくくって報じられている。そのため、あたかもすべてが無秩序な国のように捉えられてしまうのは、在住者としては何とも複雑な心境になる。
忍耐の鍵は「同調圧力が低い社会」
イタリア衛生当局による新型コロナウイルス感染検査の是非については、筆者は医学的知見を持たないので当然のことながら避けることにする。
加えて、これまでの在住23年の中でイタリアの諸問題を目の当たりにし、時にそれらに巻き込まれて辛酸をなめた筆者である。手放しにイタリアに応援歌を送るつもりは決してない。
ただし、コミュニケーションの方法という観点から述べれば、筆者なりに政府の姿勢を分析し、評価することができる。
そのひとつは、ジュゼッペ・コンテ首相が、毎日定時(原則として12時と18時)に状況発表を行うことだ。彼は、用意した文章やプロンプターの読み上げだけでなく、日本で言うところのカメラ目線で訴え、記者の質問に的確に答えている。
3月9日夜の会見では「家族や若者がバールでアペリティーヴォ(食前酒)を楽しむのは、習慣としてわかっている」と言及した。さらに国技ともいえるサッカーの中止にも触れ、「今はすべての習慣を変えなくてはならない」ことを訴えた。多くのイタリア人の関心事にあえて触れ、国民に理解を求めたのである。
心情的な訴えだけではない。首相の定時記者会見には市民保護局の局長が同席し、最新状況を発表している。つまり救援活動を担う組織のトップの分析が、首相令の根拠を明確にし、より説得力あるものとしているのである。
さらに、イタリアの人々がこの非常事態を耐えられるのは、「同調圧力が低い社会」であるためだと筆者は考える。
首相令が発動した直後からイタリアでは大都市を中心に、「バルコニーで一斉に歌って励ましあおう」というムーブメントが主にSNSを通じて広まった。日本でもテレビで報じられていたので、目にした読者もいるだろう。筆者の住むシエナでも、旧市街を中心にこれまで2回にわたって行われた。
もし日本でこの手のものを実行しようとすると、なぜか仕切る人が現れ、町内会といった準オフィシャルなコミュニティーが介入してくるだろう。不参加が認められない空気が漂うことも大いに想像できる。
しかしイタリアの場合は、あくまでも自由参加だ。このマインドは、シエナ市内に17ある町内会「コントラーダ」を見ればわかる。その起源は中世にまでさかのぼるが、加入は自由である。生粋の地元出身者でもまったく興味がない人もいるし、逆に他の都市から転入してきた人や外国人でも入会できる。脱会も自由で、抜けたからといってあきらさまに差別されるようなことはない。
そうした人間関係をさらにさかのぼれば、14~15世紀に定着し、地域によっては1980年代まで続いた小作農制度にも見ることができる。この制度下では、領主との契約に不満がある小作農は、契約期間満了後に家財道具ごと他村へ移動する自由が保証されていたのである。
一斉歌唱も、それが行われることを筆者に教えてくれた自動車ディーラー店主は「もちろん俺も参加するぜ」と張り切るいっぽうで、知人の若者はイベントオーガナイザーを職業にしているにもかかわらず、後日「歌わなかった」と明かしてくれた。
普段からの「ゆるい」社会が、非常時に不要な緊張感を抑えているのである。
CASE、今は要らない
ここからは、自動車の話である。
これも首相令が発動した初日である12日朝のことだ。筆者のスマートフォンに1通のメッセージが入った。
自動車整備工場からの「予定していた定期点検を延期してほしい」という内容のものだった。
毎年メーター内に定期点検時期の到来を示すインジケーターが点灯すると即座に予約していた筆者だが、例年になく多忙だったことから昨年は果たせなかった。
インジケーターに次いでアラームが鳴り出しても放置。「170日経過」の文字が出るようになったところで、心を入れ替えて予約した直後の延期要請だったので落胆した。
だが、目下のところ大半の整備工場が、医療活動や物資運搬に利用する車両の、それも緊急を要する修理に限定して営業しているのだから従うのが当然である。
それでも、先日からATから異音や振動がしている今となっては、自分のクルマがいつトラブルを起こすか、気が気でないのも事実だ。
ところで、多くの読者がご存じのとおり近年自動車業界は「コネクティビティー」「自動運転」「シェアリング」「電動化」のいわゆるCASEの技術に取り組んできた。
しかし少なくとも、現在のイタリアに関して言えば、CASEは最優先事項でない。理由はこうだ。
移動が制限されている中、コネクティビティーを使った交通情報やコンシェルジュサービスはほとんど不要だ。ニュースが聴取できるラジオだけでいい。
自動運転は、救急隊員に感染リスクを生じさせることなく、感染した疑いのある人を医療施設まで届けることができるまで昇華させることも将来的には可能だろう。だが、現段階のヨーロッパでは不可能だ。
シェアリングも指定の貸出場所まで出向く必要があるし、空車がない場合は使えない。さまざまな操作部を触る必要がある以上、かえって感染を媒介する可能性も否定できない。
電動化も問題だ。都市部の古い集合住宅などでは、充電施設を設置できる建物は限られている。また、自動車販売店の中にある充電器は、店舗が休止されると使えなくなる可能性が高い。参考までに筆者が確認したある販売店は、営業休止令以前から故障していたため充電不可になっていた。この状況下では、修理のメドも立たないだろう。
筆者自身、CASEの進歩に明るい自動車の未来を託していただけに、今回のような事態に役立たないというのが残念である。
いや、CASEどころか、普段はあんなに輝いて見えていた音声認識機能にも、多段デュアルクラッチ式ATにも、こうした状況下では興味が湧かないのが不思議だ。
代わりに、機構が単純で、機械的トラブルが起きても自分で最低限の整備が可能なクルマのほうがありがたく思えてくる。非常時は収入も限られるから、維持費もかからないクルマのほうがいい。
ふとわが家から窓外を見ると、初代「フィアット・パンダ」や「ルノー4」が止まっている。
こうした非常時に生活と命を守ってくれるのは、実はあの時代のプリミティブなクルマなのではないか。
ちなみにこうした状況下では、クルマのみならず、物欲そのものが衰退することを自覚した。
ミラノやフィレンツェで手に入れたおしゃれなジャケットやボトムスは、不要不急な外出が許されない以上、まったくもって出番がない。いっぽうで、東京出張時にものの試しにとワークマンで買った保温下着が、気温が下がる朝晩に何ともありがたいことよ。
残念なことにイタリアに続き、スペインでは非常事態宣言が発動。フランスでは商業施設の休業措置が、ドイツでは出入国禁止措置がとられた(2020年3月16日現在)。
この災厄が去ったとき、ヨーロッパ人のモノに対する考え方や自動車観が変化しているのではないか。そう考え始めた筆者である。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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