ロールス・ロイス・スペクター(4WD)
畏怖の念すら抱かせる 2024.06.15 試乗記 ロールス・ロイスが世に問うた、電気のみで走るラグジュアリーカー「スペクター」。英国の老舗が放つ初のBEV(電気自動車)は、確かにロールスでありながら、過去のロールスを超越した一台となっていた。プレミアムBEVの指極星ともいうべきその仕上がりを報告する。「エンツォ」に比肩する衝撃
長いことクルマの記事を書く仕事を続けてきたなかで、「このクルマはもう触らないほうがいいかも」と自ら試乗機会の封印を考えた銘柄がいくつかあった。なかでも印象深いのは、2002年に幾度か乗る機会のあった「フェラーリ・エンツォ」だ。
最初の機会では「F40」や「F50」の時価を軽く上回る8000万円という値札の圧と、それまでのV12とはパワーの乗りや吹け上がりのまるで違う「F140」系ユニットのまばゆさに驚くいっぽうで、なにかそれまでのクルマとは異なる安定感に、きつねにつままれたような気持ちになった。
次いで乗った機会には、ハンドリングの次元がそれまでのどんなスポーツカーとも異なることをまじまじと実感させられる。踏めば踏むほど、タイヤの限界をうかがわせないほど路面に張り付いていく。全身で空力を形状化すれば、市販車でもこれほどのダウンフォースが得られるということを、一介のライター風情が身をもって知ったのがこの時だった。市販車という枠の中での、自分が知るものとの乖離(かいり)に戸惑う。安定させるためには踏むしかない、その魔性を思うがままにむさぼると、もうほかのクルマの動きを平準的に比較検討することができなくなってしまうのではないか。しまいには自分の物差しがぶっ飛んでしまうような、そういう恐怖が先に立った。
その後、幸いなのかエンツォの試乗機会はなかったが、5年後には同様の感触を思い出させるクルマが現れた。アウトバーンでの300km/hを日常化するそれは、R35型「日産GT-R」だ。あのエンツォの衝撃を、10分の1の値札でものにする。これぞ技術による前進、民の勝利なのかもしれない。が、たとえそうであったとしても、先達(せんだつ)への畏敬は永遠だ。
前置きが少々長くなってしまったのは、今、あのときエンツォに覚えたのと同じように畏敬を抱かせ、そして距離を置きたくなるような恐怖を感じるクルマが現れたからだ。自ら化け物と名乗るロールス・ロイス・スペクターのことを説明するには、ブランドの精神である内外装の設(しつら)えをスキップするわけにはいかない。が、このクルマのもたらす怖さは、間違いなくその走りにある。
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端々に宿るロールス・ロイスの“ものづくり”
ファストバックシェイプのクーペというスペクターのいでたちは、かつての「レイス」を思い起こさせるものだ。とあらば「ドーン」に該当する屋根開きモデルの登場も思い描くが、今のところそういうプランは聞こえてこない。
が、個人的にはレイスも然(しか)りで、ロールスのものづくり的な神髄はむしろクーペの側で深く味わえると思う。Aピラーからリアフェンダーへと続くキャビンの一体感は、ロウ付けを丁寧にならした手仕事のたまものだ。加えてAピラーからクオーターウィンドウまでを取り囲むように配された一体型のモールが、つくりの丁寧さを静かに物語っている。こうなると、ピンストライプの職人が一発引きで描くショルダーの加飾もより映えるが、もちろんこれはタダでお願いできる仕事ではない。ロールスのオプションの価値は、庶民的な尺度から測れるものではないが、工芸への対価、職人への御礼と考えられる富裕層の方々にとっては、プライスレスなものなのだろう。
私のような民草がとやかく言う筋合いのものではないと思うのは、皮革や木工にまつわるものばかりではない。ちまたでは究極のチャラ系アイテムとも称される「スターライト・ヘッドライナー」も然りだ。ちりばめられた2000~3000にもおよぶ光源は光ファイバーでもって明滅させているが、そのファイバーは一本一本すべて手作業で植え込んでいる。ゆえにひとつとして同じものはないどころか、注文次第では星座や流星などを配することも可能だ。ちなみに、スペクターでは2枚のドアライナー側にもスターライトを配することが可能となっており、用いられるその数は5000灯近くにおよぶという。
以前、この工程を見学したことがあるが、その作業の繊細さは自分のような老眼では堪えるのだろう、若い職人が多く携わっていたのが印象的だった。時間やお金がかかっても八方手を尽くしてカスタマーの望む空間を実現しつつ、年齢的な得手不得手も補完しながら、自動車工芸を継承・発展させていく。いかにも英国的な世界観だと思う。
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これまでのロールスと同じところ、違うところ
意匠にはBEVがゆえという特別なものはなにもない。内装などはあえて既存車と限りなく歩調を合わせているようにさえ映る。独特な操作ロジックの空調系も、インフォテインメントを操るコマンダーも、物理スイッチを基本にした操作環境はそのまま継承され、時計もアニメーションではなく物理針を持つアナログ仕立てだ。
ステアリングホイールはレイスやドーンと同じく、リムが若干ながら太めの設えで、「ファントム」のそれとは異なり10時10分の握り位置でもしっくり収まってくれる。握りに革が巻かれたコラムシフトレバーの形状もレイスやドーンと変わりないが、従来用意されていた、低めのギアを積極的に使っていく「LOW」モードは、BEV化に伴い回生ブレーキを強める「B」モードへと変更された。いずれにせよ、それを積極的に用いる必要性は感じない。
ブレーキペダルやドアノブの操作と連動しながら開閉をパワーアシストするドアは、そのロジックを知るまでは若干の慣れが必要だが、理解してしまえば快適だ。扉の開け閉めさえも機械任せとは自堕落にも程があるよなあと思いつつ、その環境を生まれながらに当然として生きてきた人も世の中には幾ばくかいるわけで、本来、ロールス・ロイスとは経済的高低差とは別口の、そういうクラスのための乗り物でもあるわけだ。
イグニッションをオンにする。セレクターをDに入れる。アクセルにそっと足を乗せて動かし始めて交差点をひとつ曲がってみて……と、一連のぬるりとした所作は操作系のタッチも含め、まったくもってロールス・ロイスのそれだ。が、走り始めから伝わってくる、決定的に異なるポイントが2つある。
ひとつはレイスやゴースト、なんとなればファントムの印象をもってしても別次元の感のある静粛性だ。それらが搭載する12気筒は空吹かしや全開でも試みない限り、爆発という粗暴さをまるで感じさせず徹底的にしずしずと振る舞うわけだが、それでもゼロに等しいモーターの音・振動特性にはかなわない。さらにスペクターは、インバーター&コンバーター、スイッチングデバイス等のパワーエレクトロニクス系の作動ノイズを抑え込み、軸物の摺動さえも封じ込め……と、音消しを徹底している。
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静かさの次元が違う
こうなると陰に隠れていた走行由来のロードノイズや凹凸によるインパクトなどが際立ってしまいそうだが、そこでも異次元を感じさせるのがスペクターのすごいところだ。フロアに敷き詰めた102kWhのバッテリーモジュールは、剛体だけでなく音響的緩衝材としても機能しており、さらには前後間にドライブシャフトを持たないことで床面周りからの雑音や揺さぶりは徹底的にふさがれている。タイヤ周りからのロードノイズや風切り音の類いがきれいに除かれている点は、遮音材などの“物量”による効果も大きいはずだが、路面入力の伝達からは、素材的にアコースティック処理の難しいアルミ材を、専用設計のスペースフレーム構造によってうまくカバーしていることも推察できる。「アーキテクチャー・オブ・ラグジュアリー」と仰々しく題されるそのプラットフォームは、現行ファントムからの採用だが、当然ながら音振特性は開発の最重要項目として取り組んでいることだろう。
ロールスはかつて現行ゴーストの開発の際に、徹底した無音化に取り組んだものの、無音はかえって人間的感覚にはそぐわないということを学んだと語っていた。が、スペクターは確実にゴーストを下回る音量でありながら、そこにいることがなんにも苦にならない。このクルマには独自のチューニングによる電子的な走行音を付加するモードも搭載されているが、それで得られるSF映画的な演出よりも、この贅(ぜい)のなかに宿る静慮の時こそが異空間の極みではないかと思えてくる。
なんとも言葉では説明できないその空間にいることが、禅定のような仏事的境地とも重なってみえるのは果たして自分だけだろうか。そんなことを考えながら、軽貨物から大型のトラックやダンプが目まぐるしく行き交う湾岸の道路を走り込んでいくと、次いで驚かされるのが思うままの速度コントロールのしやすさだ。
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BEVの高級車が目指すべき指極星
内燃機ではリニアさの面でやむを得ない領域ともいえる、ごく低回転域および高回転域でのドライバビリティーは、速度の“乗り”や“伸び”といった言葉にも置き換えることができるが、スペクターにはそれが存在しない。徹頭徹尾フラットに、アクセルの踏量に忠実に速度を高めていく。足の指先に力を込めればじんわりと、それこそ1km/hごとのレベルで加速度を刻めるいっぽうで、大きく踏み込めば、あえて生み出しているだろうごくわずかなピッチングとともにGだけがずーんと体を覆っていく。減速もまた然りで、似合いもしない急減速を余儀なくされる場合でも、姿勢やブレーキバランスはしっかり管理されており、ぶざまに車体をバタつかせることなく止まることができる。が、いっぽうで圧巻なのはやはり1km/h単位の微々たる制動力を足の力加減ひとつできれいに引き出せることだろう。そこから停止に至るまでの回生と油圧の協調はまったくのシームレスで、Gの抜き差しは思うがままだ。
2.9tにならんとする巨体が苦もなく音もなく、思い描いたとおりに加減速する。それは“もののことわり”と書いての物理を手のひらに収めたかのような征服欲にも重なるものだ。ひと気のない港湾道路で曲がることも忘れて走っては止まりをサルのように繰り返しているだけでも、その意のままぶりは十分に快楽たり得るいっぽうで、クルマに対峙(たいじ)する基本的なスタンスを見失いそうにもなる。
恐らくエンジニアたちは、動力源が電気であっても、どこまで今までと同様のロールス・ロイスでいられるかということに細心の注意を払いながらスペクターをつくったのだろう。結果、生まれてきたものは物理的超越と引き換えに、それまでのクルマで得た経験値をバグらせてしまうような、やはり魔性の果実だった。これは明らかに、BEV化によって行き着くべき新種のハイエンドカーの姿だと思う。
果たして5年後、この域に到達するようなBEVがメルセデスやレクサスから登場するのか。それまでは、これが当たり前と勘違いすることがないよう、仕事で触れることしかないとはいえ、スペクターとはちょっと距離を置かなければと思っている。
(文=渡辺敏史/写真=向後一宏/編集=堀田剛資)
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テスト車のデータ
ロールス・ロイス・スペクター
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=5475×2017×1573mm
ホイールベース:3210mm
車重:2890kg(無積載時重量)/2920kg(車検証記載値)
駆動方式:4WD
フロントモーター:交流同期電動機
リアモーター:交流同期電動機
フロントモーター最高出力:258PS(190kW)
フロントモーター最大トルク:365N・m(37.2kgf・m)
リアモーター最高出力:490PS(360kW)
リアモーター最大トルク:710N・m(72.4kgf・m)
システム最高出力:584PS(430kW)
システム最大トルク:900N・m(91.8kgf・m)
タイヤ:(前)255/40R23 104Y XL/(後)295/35R23 108Y XL(ピレリPゼロELECT)
一充電走行距離:530km(WLTPモード)
交流電力量消費率:23.6-22.2kWh/100km(約4.2-4.5km/kWh、WLTPモード)
価格:4800万円/テスト車=--円
オプション装備:--
テスト車の年式:2024年型
テスト開始時の走行距離:1739km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(3)/高速道路(7)/山岳路(0)
テスト距離:105.0km
参考電費:3.5km/kWh(車載電費計計測値)
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渡辺 敏史
自動車評論家。中古車に新車、国産車に輸入車、チューニングカーから未来の乗り物まで、どんなボールも打ち返す縦横無尽の自動車ライター。二輪・四輪誌の編集に携わった後でフリーランスとして独立。海外の取材にも積極的で、今日も空港カレーに舌鼓を打ちつつ、世界中を飛び回る。
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